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響くインターフォンの音に、のんびりと本を読んでいた透璃がはたと顔を上げた。
時刻は九時過ぎ、こんな時間帯にいったい誰だろうと首を傾げるも、思い浮かぶ人物はいない。
こんな時間に遊びに来る友人も居なければ、宅配便の記憶もない。N〇Kはちゃんと払っている。
そもそも、この家を訪ねてくる知人自体一人しか思い浮かばないのだ。そしてその知人にインターフォンを慣らす習慣はない……というより、インターフォンを押すどころか、扉を通ったかどうかも怪しいのだ。気付けばいつも家の中にいる。
「透璃、誰か来たから出てー」
と、これこの通り、さも当然のように台所から顔を出すのだ。
帰宅してから一度たりとも扉を開けた記憶も無ければ、つい数分前まで台所で透璃一人で洗い物をしていたというのに。
といっても今更それに対してとやかく言う気も起きず、「今手が離せない!」と訴えるレムの代わりに透璃はよいしょと腰を上げた。
そうして扉を開けた先に、いかにも『テレビの撮影クルー』といった人物が待ち構えており、透璃が思わず目を丸くした。
「緊急警察24時?」
渡された名刺に視線を落とし、透璃がそこに書かれている文字を驚いたように読み上げた。
それに対して責任者が頷き、カメラクルーが肩に担いでいた『いかにも突撃取材用のカメラ』をいじった。キュイ、と音がする。
彼等の予定では、ここで『突然の訪問に、女性は驚きを隠せずにいる』とナレーションが入る予定だ。期待通り、透璃は「まさかそんな」といった表情をしている。
「たまにテレビでやっているやつですね、よく見ますよ。それが……どうして私の家に?」
驚きつつも様子を伺う透璃に、カメラクルーが心の中でガッツポーズを取った。
大袈裟に驚きすぎず騒ぐこともせず、それでいて落ち着きの中に多少の動揺を見せる透璃の反応はテレビ的にも適度な信憑性を持たせる。この女性、良い反応をしてくれる。
そう考えながら、それでも透璃を落ち着かせるように取材陣を代表して一人の男が前に出た。
その傍らに立つ男は所謂「探偵兼何でも屋」であり、その道のプロである。彼に密着してとあるものを探すのが今回の番組の目玉なのだ。
「落ち着いて聞いてください。貴女の家に、盗聴器が仕掛けられています」
「え……?」
キョトンとした透璃の表情に、カメラクルーが再びキュイとカメラを弄った。
放送時には撮影対象者にモザイク処理を入れるのが決まりだが、それを勿体ないと思えるほど透璃の表情は見事なまでに「唖然」としている。
まるで「何を言っているの?」とでも言いたげな、むしろ今この瞬間にでも言い出しそうな表情だ。プライバシー問題は分かるが、それにしても隠してしまうのが惜しい。
「……私の家に、盗聴器が」
「えぇそうです。安心してください、貴女の個人情報は守ります。実は我々は盗聴器の探索をしておりまして」
「それで私の家に来た……と?」
「そういうことです。驚くのも分かりますが、どうか落ち着いて話を」
「存じておりますが」
あっさりと言い切った透璃の言葉に、誰もが「え?」と目を丸くした。
「三台までは存じておりますが……あ、もしかして四台目が?」
不安げにそう尋ねる透璃に、撮影クルーが動揺を隠せずに互いに顔を見合わせる。
通常、この手の流れであれば女性は不安を隠せずに動揺するものだ。というか、盗聴器を仕掛けられていると知れば老若男女問わず動揺するだろう。
とりわけ、調べたところ彼女は一人暮らしだ。女性の一人暮らし、そこに盗聴器の知らせとなれば、恐怖を抱いてもおかしくない。
だというのに透璃は「トイレとお風呂は止めるように言ったんですけど」と四台目の盗聴器の心配をしている。
これに対して新人の音声が「どうしましょう」と周囲を見回すが、ベテランのカメラクルーは「続行するぞ」と目配せをした。
なに、最終的に音声を少しいじってしまえば良いのだ。四台目を気にしている彼女の様子は、声さえ入らなければまさに『不安そうな女性』なのだから。
「と、とりあえず上がらせて頂いてもいいでしょうか。」
「えぇ、構いませんが……あ、でも」
ふと、何かに気付いたように透璃が顔を伏せた。
それを見た取材責任者が苦笑をもらす。少し風変わりな女性ではあるが、やはり間違いなく彼女は女性だ。
大方、こんな時間に男を家に上げることに不安を抱いたり、もしくは散らかっている部屋をテレビ放送されることに躊躇っているのだろう。盗聴器などという物騒な話を聞いたばかりなのだから警戒心が高まって当然だ。
今まで何度もそれで断られ、その都度説得してきたのだ。シリーズを重ねてきただけあり、こういった体当たりな取材での反応はお手の物である。
「大丈夫です。貴女には勿論、部屋の中にもモザイクをかけますから」
「いえ、別にそれは良いんですが……ただ、お客様用のスリッパが無いんです」
「お構いなく……」
変なところで気を使う透璃に、誰もが思わず軽く頭を下げる。
そうして透璃が「一応、掃除はしていますから」と明後日なフォローを入れつつ招き入れれば、撮影クルーはようやく彼女の……そして、盗聴器が隠されている部屋へと足を踏み入れた。
ここで差し込むナレーションはこうだ。
『彼女…Tさんの部屋は至って普通の女性の部屋だ。まさか、ここに盗聴器が隠されているなんて……』
深刻な男の声でナレーションを入れれば、物が少なく小ざっぱりとした部屋とのギャップで迫力が出るだろう。
次いで、台所から不思議そうに顔を覗かせる人物に気付き、誰もがそちらを向いて唖然とした。
「あ、あの彼は……」
「彼ですか? 彼はレムさんです」
「えぇっと、恋人でしょうか……」
誰もが呆然としながら、レムに視線を向ける。
なにせこんな部屋には似合わぬほど、彼の見目は優れているのだ。撮影クルーとして長く、そして何人もの芸能人やモデルを見てきた者でさえ思わず見惚れてしまう。
今まで見てきた『美形』がどれだけ甘かったか、いっそ特番の趣旨を変えてしまおうか……と、そんなことすら考えはじめていた
だが本人は至って平然とし「何の撮影だ?」と首を傾げている。その姿さえも美しく、思わずカメラが彼を追いかけてしまう。
「テレビの撮影だそうです。なんでも、この部屋に盗聴器が仕掛けられてるって」
「へぇ、なんだって今更そんなことを」
「ですねぇ。でもとりあえず見てみたいらしいので、上がっていただきました」
さぁみなさんどうぞ、と部屋に通す透璃に、動揺を隠せぬ撮影クルーが顔を見合わせる。
それでも頷きあったのは、通されたのならば盗聴器を探すべきだと判断したからだ。
二人の会話や、盗聴器が仕掛けられたと知ってなお夕食を配膳しだす行為には違和感を感じざるを得ないが、それは編集でどうにかなる……だろう。
それに、件の盗聴器を見つけてしまえば二人の態度も変わるかもしれない。そう誰もが期待を抱きつつ、盗聴器を探すための装置に視線を向けた。この装置が示す反応が大きい程、盗聴器が近くにあるのだ。
試しに、とスイッチを入れれば、ピィーと甲高い音が鳴り響いた。
間違いない、この部屋に盗聴器が仕掛けられている。そう、誰もが息を飲んだ。
――もっとも、透璃とレムだけはのんびりと「食べてていいんですかね」「良いんじゃないか?冷めるし」と会話しながら、いそいそと食卓についてしまったが――
「あの、お食事中にすみません。最近他人から貰ったものや送られてきた物はありませんか?」
「貰ったものですか?」
首を傾げる透璃に、探索のプロが盗聴器をあちこちに向けながらも「そういったものに盗聴器が仕掛けられている可能性が高いんです」と説明する。
それを聞いた透璃が一度「なるほど」と頷くも、どうやら思い当たるものが無いらしく眉間に皺を寄せた。……もっとも、眉間に皺を寄せつつも箸は進んでいるが。
「貰ったもの……特に思い当たらないですね」
「そうですか。例えば、手紙やぬいぐるみなんかは」
「申し訳ありません、そういうものには覚えはありません。でも、盗聴器ならそこのコンセントに仕込まれてますよ」
しれっと部屋の一角を指さす透璃に、誰もが唖然とした。
それでも一人が恐る恐る探索器を向ければ、今まで鳴っていた機械音がより一層大きな音を響かせた。
間違いない、このコンセントに盗聴器が仕掛けられている。……のだが、それを被害者に教えられるというのはどういうことだろうか。
だが教えたことで満足したのか透璃は再び食事に戻ってしまい、見兼ねた責任者が眉間に皺を寄せた。これも編集でどうにか……なるだろうか。
「えっと……あ、ありました。盗聴器です」
なんとか雰囲気を作ろうとしているのか、コンセントから取り出された盗聴器に誰もが「おぉ」と声を上げる。
――勿論、透璃とレム以外だが――
「ありましたよ、これが盗聴器です」
「そうでしょうね」
「これはかなり高性能なタイプですね……まさかこんな物が仕込まれているなんて」
「存じておりましたが」
「……この盗聴器を元に、受信器がどこにあるのか探ってみましょう」
今一つピンとこない透璃の反応に、それでも探索のプロが盗聴器の周波数を調べるために機械を取り出した。
この盗聴器を元に犯人の居場所を特定し、実際に現場に押しかけて犯人を捕らえる……までが理想の流れだ。全てを解決出来たらなら、番組の目玉どころか番組一つ使っても良いかもしれない。
そんなことを考えつつ探索のプロが盗聴器の周波数を探していると、それを横目に見ていたレムが徐に鞄を手繰り寄せた。
そうして、ドン!と机の上に置いたのは、一台の小さな機械。
誰もが盗聴器に意識を向けていて気付かないが、彼と向かいあって座っていた透璃だけがそれに気付いて興味深そうに機械を覗き込んだ。
「この盗聴器から出ている周波数を辿れば」
『この盗聴器から出ている周波数を辿れば』
「受信機がどこにあるかを大まかですが探ることができます」
『受信機がどこにあるかを大まかですが探ることができます』
……。
そっくりそのまま、実際に交わしている会話がコンマ数秒の差で側から聞こえてくる感覚に、誰もが顔を見合わせた。
そうしてゆっくりと、恐る恐る透璃とレムの方向へと向けば……。
「最近の盗聴器っていうのは良く聞こえるんですね」
「むしろ音を拾いすぎて不便な時もあるけどなぁ」
「あ、私の声まで聞こえてきますね。自分の電話の音を聞いてるみたいで変な感じ」
クスクスと楽しそうに二人が笑っていた。
「……あの、それは?」
「盗聴器の聞く方ですが?」
「いえ、そうじゃなく……どうして、それがここに?」
「どうしてって……」
まるで「いったい何を改まって」とでも言いたげに、透璃とレムが顔を見合わせる。
そうしてクルリと撮影クルーの方を向くや
「彼が聞くからです」
「俺が聞くからです」
と、あっさりと自供した。
その後の撮影クルーの撤退の速さと言ったらない。
即座に「これは使えない」と判断し、目配せするやそそくさと広げた機材を片付けていく。
そうして撤退準備を終えると、「お邪魔しました」と生返事をして誰もが玄関に向かっていった。
お客様のお帰りである。
となれば透璃は立ち上がり、玄関先までお見送りをしなければならない。彼等が出て行ったら鍵をかけなければならないからだ。鍵というものの役割を最近見失いかけてはいるが。
「夜分遅くに失礼しました」
「いいえ、こちらこそ何のお構いも無く」
「……あの」
チラ、と新人音声が顔を上げる。
これで良いんですか?と、そう尋ねようとしたのだ。番組としては没だったとしても、流石に年頃の女性の家に盗聴器が仕掛けてあるのを放置するのは気が引ける。
だが当の透璃はキョトンとしたまま首を傾げ、何かに気付くと「あぁ」と小さく声を上げた。
そうして、やんわりと微笑むと
「まだあと台所と玄関に仕掛けてあるそうなんで、見たくなったらまた来てください」
と、さも当然のように答えた。
それから数週間後。
「おかしいですねぇ、盗聴器の特集なんてやってないですよ」
「せっかく楽しみにしてたのになぁ」
と、テレビを見ながら残念そうに話す二人の姿があったとか。
勿論、この会話も盗聴器はしっかりと拾っていた。