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透璃がアパートの階段を登っていると、ふと自分の部屋の窓から明かりが漏れていることに気付いた。
ここで通常の一人暮らしならば、しまった電気を着けっぱなしで出てきてしまったか……と思う所だろう。もしくは、不法侵入者を考え警戒するかだ。
だが透璃はそのどちらでもなく、平然と階段を登りきると鞄から鍵を取り出し、何の迷いもなく鍵穴に差し込むと慣れた手つきで扉を開けた。
「おかえり透璃!」
と、それを出迎えたのはレム。
今日も今日とて見目の良い彼は、成人男性ならば真顔で拒否しそうな花柄のエプロンを身に纏いお玉を片手に嬉しそうに笑っている。
その光景は似合わないの一言に尽きるのだが、きっと世の女性ならば、このギャップが良いのだと興奮し黄色い悲鳴をあげていただろう。
だが、透璃はその姿に歓喜するでもなくかといって目を背けるわけでもなく、ただ一言「ただいまかえりました」と告げて靴を脱ぎ始めた。
そうして、玄関に上げるや顔を上げてレムを見上げる。深い紫色の瞳は、透璃以外ならば見惚れていただろう。
「ところでレムさん、わたし今朝出かける前に業者に頼んで鍵を変えたんですが、どうやって入ったんですか?」
「今の日本に俺の開けられない鍵はない」
「そうですか」
胸を張って言い切るレムに、透璃が納得したかのように頷いて返した。
今まで二十件近くの鍵業者に頼んで変えてもらっていたのだが、それでも家に帰れば決まって彼が出迎えてくれたのだ。つまり、どうあがいても平然と不法侵入してくる。
それでも、いつかは彼が開けられない鍵が見つかるはず……と考えていたのだが、今の日本の技術が追いついていないのなら仕方ない。
諦めよう。
お金の無駄だ。
それに、鍵を変えすぎたからか業者の間で嫌な噂をされるようになってきた。潮時と言うやつだろう。
そう考え、透璃が溜息をつきつつ鍵を所定の位置に戻した。
玄関にある靴箱の上、壁につけたフック。紛失を避けるため、帰って来て直ぐにそこに掛けるよう自分自身でルールを作ったのだ。
そうしてチャリンと軽い音をたて鍵をフックにかけ……その隣にもう一つ鍵があることに気付いた。
「レムさん、合い鍵を作りましたか?」
「ヤンデレたるもの、恋人の部屋の合鍵をこっそり作るのは基礎の基礎だから」
「そういうものなんですか?」
「そういうものなんだ」
さも当然のように語るレムに、透璃が合鍵をジッと眺めながら頷いて返した。
これがこっそりしているのかどうかは分からないが、どうやらヤンデレというものは人の部屋の合鍵を勝手に作るものらしい。
防犯上やめさせたいところではあるのだが、そういうものなら仕方ないか……と透璃が小さく呟いて納得するように頷く。
ここで無暗に取り上げて、維持になったレムに量産されるよりかは安全だろう。それに、合鍵が一つあれば万が一無くした時の対処にもなる。
そう考え、透璃が壁にかかっている合鍵を手に取ってマジマジと観察してみた。
合鍵というだけあって、形だけは自分の持っているマスターキーと瓜二つ。
といっても鍵の形の微々たる違いなど目視で判断できるわけではなく、仮にここに形こそ似ているが別の部屋の鍵を用意されたとして、自分には区別がつかないだろう。
だが……と透璃が合鍵を裏返す。
自分の持っているマスターキーとこの合鍵の決定的な違い。
そう、この鍵は全面的に可愛らしいピンクの水玉柄にコーティングされているのだ。
ファッションキーだのアートキーだのと言われているもので、鍵屋に行くとよく店先に展示されている。
可愛らしい花柄にストライプ、果てにはキャラクターものまで取り揃えており、一瞬何を扱っているのか分からなくなるぐらい派手なものまである。
そういったものにはあまり興味を示さない透璃だが、こうやって目の前に置かれると流石に手を伸ばしてしまう。とりわけ、自分の家の合鍵となれば尚更だ。
そうしてジッと眺めて数秒。
「ところでレムさん」
「うん?」
「私のマスターキーとこれ、交換しませんか?」
どうでしょう。と、防犯もへったくれもなくマスターキーを差し出す透璃に、レムは見目の良い笑顔を浮かべ。
「やだ」
と一言告げてキッチンへと戻って行ってしまった。
残された透璃は忌々しげにレムの消えた先を睨みつけ、明日も業者を呼んでやろうと決意するのであった。
こうなったら防犯もなにもない。
家主が可愛げのない銀色の鍵を使っているというのに、不法侵入者が可愛らしい合鍵を使っているというのが気に入らないのだ。