16
「ヤンデレたるもの!」
とレムが言い出したのは夕飯も過ぎた夜。
何をするでもなくただテレビを眺めていた透璃がおやと顔を上げたのは、もちろん上記の発言をしたレムがつい数分前までこの家に居なかったからである。
夕飯は一人で食べて後片付けも一人でした。その間ずっと家の中は透璃一人きりだったというのに、今レムが出てきた場所は台所なのだ。もっとも、それを疑問に思うのも今更な話。
むしろ今問題視すべきは彼の手の中にある杏仁豆腐である。デザートとして食べようと思って買っておいたのだが見つかってしまったか……と自分の迂闊さを悔やむ。夕飯を食べ終えた時に杏仁豆腐も食べてしまえば良かった。
「レムさんこんばんは、今夜はどんなヤンデレなんですか?」
「ヤンデレたるもの……互いの秘密を打ち明け合うべし!」
「秘密?」
いったいどういうことでしょう? と透璃が首を傾げつつ台所へと向かう。
そうして冷蔵庫から取り出したのはプリン。杏仁豆腐は食べられてしまったが、そういう時のために保険をかけていたのだ。
この際だから「プリン!」と瞳を輝かせているレムの視線は無視しておく。どうやらそうとう甘いものに飢えているようだ。以前に「角砂糖一つが家を買えるぐらいに高かった」とどこかの場所に赴いていた話をしていたが、もしかしたらその場所帰りなのかもしれない。そこがどこかは分からないが。
そんな飢えすら感じさせる瞳に、これが透璃でなければ胸を高鳴らせて迷うこと無くプリンを差し出していただろう。いやもしかしたらもっと上質のプリンをと買いに走っていたかもしれない。
だが生憎と透璃は強請られてもデザートを譲る気にはならず、せめてと「半分こしましょう」と譲歩策を提示した。そもそも杏仁豆腐もプリンも透璃が買ってきたものなのだ、条件を出すだけ褒めてほしいくらいである。
「それで、秘密ってどういうことですか? レムさんなら私のことなんて調べつくせるじゃないですか」
「そりゃ俺なら透璃の誕生日から血液型、銀行の口座番号に赤十字の番号に住民票の番号やこの間買った切符の発券番号まで調べられるけど」
「後半は私も知りませんね」
「でも一方的に調べるんじゃ意味がない! お互いに秘密を打ち明け合うことで愛が深まるんだ!」
「そういうものなんですか?」
「そういうものなんだ!」
だから!と訴えるレムに、透璃がふむと小さく頷いた。
どうやらヤンデレというものは人の個人情報を本人が想定する以上に調べつくす能力を持ちつつ、それでいて秘密を打ち明けられたがるものらしい。
もっとも、だからといって透璃も「はいそうですか」と秘密を打ち明けられるわけがない。というか粗方自分のことを思い返してみてもレムが知らなさそうなことが思い当たらないのだ。下手すれば彼は自分より詳しい気がする。少なくとも、透璃は己の赤十字の番号や住民票の番号なんて知らないし、この間買った切符の発券番号なんて知りたいとも思わないのだから。
そう訴えるもどうやらレムは納得がいかないらしく「それでも!」と駄々をこねるように食い下がってきた。見目麗しい彼が子供のように強請る様は他者が見れば見惚れてしまいそうなものだが、唯一例外である透璃は見惚れることもなく「それでもって……」と眉間に皺を寄せた。
そうして暫く悩んだ結果、
「それなら逆に、私がレムさんの秘密を聞いて良いですか?」
とレムに問いかけた。
透璃からしてみれば体よく誤魔化したわけである。だがレムはその問い掛けに満足らしく、瞳をキラキラとさせながら「おう!」と深く頷いて応えた。その美しさと可愛らしさの絶妙なバランスはまさに黄金比であり、もしもこの場に二人以外の者がいればうっとりと頬を染めて熱い吐息を漏らしていただろう。それどころか心臓を射抜かれて倒れていてもおかしくない。
だが相変わらず唯一の例外である透璃はレムが納得してくれたことに内心で小さく安堵し「それなら」と話を進めることにした。
「レムさんの秘密を教えてください。たとえば……どこで生まれたかとか」
「分からない」
「そもそも、どこの方なんですか?」
「多分地球だと思う」
「ディーさんとはいつからどういう付き合いなんですか?」
「俺が生まれたとき、隣の水槽に居たのがディーだった」
「レムさんは人間ですか?」
「人間と言うかヤンデレ!」
ドヤ!と胸を張って得意気に答えるレムに、透璃がこれは参ったと肩を竦めた。
秘密を打ち明ける以前の問題で、会話が食い違ってしまうのだ。
これはもうレムの返答一つ一つを気にしている余裕はない。彼が自分に対して「人間、だよなぁ……」と小首を傾げていることや、そもそも生まれた時に水槽が云々…いちいち気にしていては埒が明かないのだ。
それにヤンデレというものは自分が人間かどうか定かではなくなってしまうものなのかもしれないし、もしかしたら水槽で生まれるものなのかもしれない。生憎と透璃はヤンデレではなく、ちゃんと己を人間だと自信をもって答えられる。それに水槽ではなく人の股から生まれて育った身だ。それを思い返すと悍ましさと寒気と吐き気と嫌悪と憎悪と嘔吐感に襲われて意識を失いかねないので深く考えはしないが。
とにかく、このままでは食い違ったままだと透璃が改めて「レムさんは私に秘密にしていることはありますか」と尋ねることにした。直球過ぎるというなかれ、こちらから聞いて食い違うのなら彼が喋るのを聞けばいいのだ。
どうやらレムもそれで満足らしく「えぇー、透璃は俺の秘密を知りたいのぉ?」とご満悦で勿体ぶっている。焦らしにすらなっていないその態度は「今から洗い浚い喋ります!」と宣言しているようなものであり、予想以上の食いつきにこれは長丁場になると察して透璃が冷蔵庫からジュースを取り出した。
「それじゃ何から教えようかなぁ、とりあえず最近の秘密は……」
「最近の秘密は?」
「某国の極秘プロジェクトの鍵である管理システムの始動コードを盗んだことかなぁ、これすっごい秘密なんだけど」
そうニマニマと嬉しそうに話すレムに、透璃が目を丸くさせた。
某国の極秘プロジェクトの鍵である管理システムの始動コードとは随分な代物ではないか。透璃からしてみればまったく見当のつかないもので、「聞きたい?聞きたい?」と詰め寄られたところで頷くことも首を横に振ることも出来ない。
もっとも、透璃からしてみれば頭上に疑問符を浮かべてしまいそうなものとはいえ、某国の極秘プロジェクトの鍵である管理システムの始動コードである、その重要さを知っている者からしてみれば容易に伝えていいものではないのだろう。
現にバツン!と大きな音を立ててテレビの画面が切り替わり、
『:(』
と記号が映し出された。
透璃が首を傾げてその記号を読み解く。
『:』は目を現していて『(』は口だ。つまりこの記号は……。
「レムさん、ディーさんが某国の極秘プロジェクトの鍵である管理システムの始動コードを教えちゃ駄目って言ってますよ」
「えぇー、良いじゃん!」
『;(』
「レムさん、ディーさん泣いちゃいましたよ」
「嘘泣きだ!」
騙されちゃだめだ!とレムが喚く。
もっとも透璃からしてみれば某国の極秘プロジェクトの鍵である管理システムの始動コードは興味を持てるものではなく、ディーが駄目だと訴えているのなら無理をして聞き出すものでもない。
だからこそ「それ以外に何かありますか?」と会話を次へと移すことにした。テレビの画面がバツンと音をたてて『:)』と映し出すのは、この話題変更にディーがどこかで喜んでいるからだ。そこがどこかは分からないし、透璃からしてみればそろそろチャンネルを戻してほしいところである。
「それじゃ他の秘密……俺の秘密かぁ……」
「あんまり国が関わらない方が良いんですけど」
「そっかぁ……ところで透璃……あのな」
ふと、レムが視線を向けてくる。
彼の美しい色合いの瞳に、透璃はそれでもいったい何だと首を傾げて返した。これが世の老若男女であれば見つめられただけで胸が張り裂けんばかりに痛んで鼓動が高鳴り呼吸がおかしくなりそうなものだが、透璃に限っては不思議そうに「どうしました」と尋ねるだけだ。
対してレムはどういうわけか何か言い難そうに「その」だの「あの」だのと繰り返している。彼らしくない歯切れの悪さに透璃が更に不思議そうに眉間に皺を寄せる。それがまたレムを焦らせるのだろうか、ついには逃げるように視線を逸らしてしまい、それがまた透璃の疑問を深め……と悪循環だ。
おまけに先程までテレビに映っていたディーの顔文字もまるで空気を読んだかのように消えてしまい、真っ黒な画面は鏡のように部屋の中のレムと透璃を写す。
妙な静けさが漂い、レムの歯切れの悪い言葉だけが続く。
いったい彼は何を言おうとしているのか。
それ程までに聞きたいことなのか。
そう透璃が尋ねようとした瞬間、視線を逸らしていたレムが窺うようにジッと見つめ……
「透璃は、どうして旦那さんから逃げてるんだ……?」
と、ポツリと呟くように尋ねてきた。




