12
「ヤンデレたるもの!」
とレムが言い出したのは、透璃が仕事から帰ってきて直後。今日も今日とて彼は当然のように家にいるわけなのだが、それを問い詰めるのも今更な話。
防犯上簡単に家に入られることへの不安はあるが、レムが何か盗んだりするとは思えないし――盗聴器は仕掛けるが――たまに見かける監視っぽい人達も特に何をするわけでもない。居るぶんには別に良いか、と透璃は考えている。
そうして改めて「ヤンデレがどうしました?」と上着と鞄をレムに預けながら尋ねれば、返ってきたのは得意気な
「ヤンデレたるもの、相手を監禁すべし!」
という宣言である。さすがにこれには透璃も首を傾げるというもの。
監禁の意味が分からないわけではない、だがそれがどうしてヤンデレに繋がるのかわからないのだ。
「レムさん、とうしてヤンデレが監禁なんですか?」
「ヤンデレっていうのは恋人を監禁するものなんだ」
「恋人ではありませんけど、そういうものなんですか?」
「そういうものなんだ」
はっきりと断言され、透璃が「そういうものなのか」と頷いて返した。
どうやらヤンデレとは人を監禁するものらしい。理屈は分からないが、今までヤンデレだったことも監禁されたこともないのだから理解出来なくても仕方ないだろう。もっとも、監禁に関してはどうやらこれから体験できるようだが。
「つまり、レムさんは私を監禁するんですね」
「そう!」
「なるほど、だから社長が私に四日間も連休をくれたんだ。レムさんが裏で何かしたんですね」
「いや、それは透璃が死んだ魚の目で『今後一生、年末年始で休むことも冠婚葬祭で休むこともましてや親の死に目なんて喜んで合わずに働くんでお金ください』って言ったから色々心配して無理やり休み押し付けたんだ。聞いてるうちに社長まで死んだ魚の目になってたからな」
あれは凄かった、とレムが語るも、透璃は事実を言ったまでだと平然と聞き流した。それどころか、いったい何の問題があるのか首を傾げるほどである。
そうして改めて「その四日間を監禁されるんですか」と問えば、当時の透璃と社長の様子を思い出していたのか視線を逸らしていたレムがはたと我に返って「そうだ!」と答えた。
この際、どうしてあの場に居なかったレムが一字一句違えず復唱できるのかとか、社長の反応を知っているのかとかは気にするまい。きっとヤンデレというのはそういうものなのだろう。
もしかしたら体内にGPSを埋め込む際、他にも盗聴器やカメラも一緒に埋め込まれたのかもしれない。だが防犯ブザーには引っかかっていないのでさして問題視すべきではないだろう、四月にある健康診断のレントゲンは些か不安ではあるが。
「それで監禁されるんですね」
「そういうわけだから、監禁するんだ。透璃は今から外に出られないし家にも帰れない!」
「家はここですけど」
「外に出たいだろ、家に帰りたいだろ、でも無理!なぜならヤンデレが監禁してるから!」
「だから家はここなんですけどね」
どうやら首尾よく――良過ぎもするが――監禁できたことが嬉しいのか、やたらとテンションをあげるレムを横目に、哀れ監禁された透璃は嘆き……などは勿論するわけがなく、夕飯を食べるかその前に風呂に入るかを考え始めた。
そうして始まった監禁生活一日目。
昼前までグッスリ眠った透璃はウツラウツラと起きだし、朝食と昼食の狭間のなんとも言えない食事を済ませるや洗濯機へと向かった。
今日は天気が良い、溜まっていた洗濯物を一気に片付けてしまおう。
そんなことを考えつつ、手早く操作をして洗濯の終わりを待つ。
それから数十分後、ピーピーと電子音が鳴り響き洗濯の終わりを告げてきた。
頃よく見終わったDVDをケースにしまい、洗濯機へと向うや洗いたてのタオルをカゴへと移し替える。もちろん、二回転目も忘れない。なにせ今日は天気が良いのだ。
そうしてタオルを干すべくベランダへと向かったのだが、ここでピタリと透璃が足を止めた。
「……しまった」
と、思わず呟く。
次いで周囲を見回しレムを呼ぶのは、けっして彼がこの家の中にいるからではない。朝起きてから今まで一度たりとも彼の姿を見ていないし、足音や気配もしなかった。
それでもレムを呼ぶのは、こうやって呼び続ければ……
「透璃、どうした?」
と、現れるからだ。もちろんそれが玄関や窓からではなく、さっきまで居たはずの洗濯機のある場所からである。
いつから居たのかとか、どこから入ったのかとか、そんなものは今更な話。むしろカゴに移し替える際に落としていたらしいハンドタオルを拾ってくれた方が透璃には重要である。
「透璃、それでなんの用だ? 俺今忙しくって、あんま長居できないんだけど」
「仕事ですか?」
「うん。ちょっと電磁砲の試し撃ちしてて」
「そうですか、よく分からないけど忙しい中呼んですみません。ところで洗濯物干してください」
はい、と透璃が洗濯物の詰まったカゴを差し出せば、レムがキョトンを目を丸くさせた。
彼のその表情は見目がいいだけにかっこよさと可愛さを感じさせ、透璃以外であれば老若男女問わず胸を高鳴らせただろう。おまけにカゴを受け取りつつ「なんで?」と首を傾げるのだ、まるで彫刻のような黄金比を保つ美しさでその仕草なのだから、これが外なら卒倒する者が後を絶たなかったに違いない。
もっとも、対面しているのは透璃のみ。ゆえに
「監禁されてるので、ベランダに出られないからです」
と、これである。
これにはレムも宝石のような深い色合いの瞳を数度瞬かせ、それでもとカゴを持ってベランダへと向かった。
そんな感じで、監禁生活二日目。
またも昼前に起きた透璃がレムを呼ぶ。もちろん今回は
「レムさん、暇なら居てください」
と配慮も忘れない。――ちなみに来てではなく居てである――
そうしてしばらく待てば、なにやら台所からゴソゴソと音がしだす。次いで顔を出したのは言わずもがなレムである。おまけに
「透璃、このプリン食べていいー?」
と、スプーン片手に既にプリンの蓋に手をかけるという、有無を言わさぬ雰囲気である。
「べつに構いませんけど」
「あと冷凍のたい焼きがあった。それにカップ麺も食べたい」
「よく食べますね」
「ほら、昨日電磁砲の試し撃ちしてるって言ったろ、あれ今日もやってるんだ」
「電磁砲とやらがよく分かりませんが大変な仕事なんですね」
「受けとめる方はそうでもないんだけど、さすがに放つ側は腹が減る」
そう話しながらプリンを頬張るレムに、透璃がよく分からないなりに「それはお疲れ様です」と労った。
どうやらヤンデレというのは電磁砲とやらを受け止めて更に放つこともできるらしい。それが何なのかよく分からないが、きっとヤンデレならではなのだろう。
そんなことを考えていれば、ペロリとプリンを完食したレムが「それで」と話を改めてきた。
「それで、透璃はどうして俺を呼んだんだ? そろそろ家に帰りたくなったか?」
「だからここが私の家なんですけどね。そうじゃなくて、今日呼んだのは他でもない……」
そう告げて、透璃が傍らに置いておいた小さな袋を手に取るとレムに差し出した。
「DVD返してきてください」
「なんで俺が?」
「私監禁されてるんで」
そう告げて透璃が差し出す袋を揺らせば、納得したのかレムがそれを受け取る。そうして若干不服そうに「じゃ、行ってくる」と告げ手立ち上がれば、透璃が待ったをかけた。
「レムさん、待ってください」
「ん?」
「それ返したら、同じシリーズのシーズン2と3を全部借りてきてください」
そう告げる透璃に、レムが何か言いたげに口を開きかけ……「行ってきます」と玄関へ向かった。
ついに監禁生活も折り返しの三日目。
今日も今日とて昼前に起きてきた透璃に、レムが怒ったように彼女の名を呼んだ。不満そうな表情はそれでも美しく、見るものが――というか透璃以外が――見れば見惚れて言葉を失っただろう。
「どうしました、レムさん」
「透璃は監禁される者としての心構えがなってない! 普通は家に帰りたがったりするもんだろ!」
「だからここが私の家なんですけどね」
「他にも助けを求めたりとか、することあるだろ!」
「助けを……」
ふむ、と頷きつつ透璃が部屋の一角にあるコンセントへと向かう。
そうしてヒョイとしゃがみこむと、まるでコンセントに話しかけるように
「タスケテー」
と声をかけた。――余談だが、透璃自身は迫真の演技をしたつもりである。それこそ、アカデミー女優顔負けの危機感を演出したと自負するほどに。実際は驚きの棒読みなのだが――
そうして次の瞬間、ゴン!と何かが落ちたような音が聞こえてきた。それもトイレから。
これには透璃は勿論レムも首を傾げ、トイレへと向かう。
そうしてトイレの扉を開ければ……
そこには新品のトイレットペーパーがあった。
「……なにこれ」
「先日、うっかりトイレットペーパー買い忘れたのに用を足してしまい、助けを求めたら天井からトイレットペーパーが落ちてきたんです。ディーさん、また私がトイレで危機に陥ってると思ったんですかね」
とりあえず有り難く頂戴しよう、と転がるトイレットペーパーをストック入れに放り込み、「それで」と透璃がレムに向き直った。
「助けを求めましたが、これで満足して頂けました?」
他にご要望は?と透璃が尋ねれば、悔しそうな――それでも誰もが見惚れるほど美しい――表情で、レムが
「ぐぬぬ……」
と小さく呻いた。
そうして迎える監禁生活最終日。
最終日なのだからと昼過ぎまでグッスリ眠っていた透璃が欠伸をしながら起きてくれば、なぜだか部屋でレムが泣いていた。
色味の深い瞳が涙で輝き、長い睫毛が揺れるたびに頬を伝う……。その姿は切なげで儚く、見た人が心を痛めそして心を奪われかねないほど美しい。
もっとも、唯一の例外である透璃はその姿に僅かに目を丸くさせ、それでもとボックスティッシュを片手にレムの前に腰を下ろした。
「どうしましたレムさん、花粉症ですか?」
「違う! 透璃のバカ、透璃のせいだ!」
「……私?」
私がいったい何を?と透璃が首を傾げるも、その反応がまたレムの怒りを買うようで、キッときつく睨まれてしまった。
そうして怒気を含んだ声で彼が訴えるのが……
「透璃が逃げ出そうとしないから、せっかく扉や窓を施錠したのが無駄になった!」
と、こういうことである。
「施錠?」
「ヤンデレたるもの監禁すべし。相手がどんなに逃げようとしても捕え続ける、それがヤンデレ……だから透璃がどんなに逃げようとしても逃げれないようにしたのに! 家に帰さないって決めたのに!」
「だからここが私の家ですからね」
「少しくらい逃げようとしても良いだろ……せっかく玄関の扉は俺の角膜をスキャンしないと解錠できないようにして、ベランダは俺以外が抜けようとしたら部屋の中に転送されるようにワープホールまで仕掛けたのに!」
「凝ったことしてたんですね」
「なのに逃げようとするどころか玄関にもベランダにも近付かない……! 帰ろうともしない!」
「私の家ですからね、ここ」
「監禁し甲斐がない!」
涙混じりに訴えるレムの気迫に、思わず透璃が臆してしまう。それと同時に、ふとある仮設を立てた。
ヤンデレとは人を監禁するものなのだと思っていたが、もしかしたらヤンデレとは人を監禁したうえで逃げようとするのを阻止するものなのかもしれない。
となれば、逃げようともしなかった自分は監禁される側としてマナー違反だ。どんなマナーがあるのか分からないが、被監禁初心者ゆえの過ちである。
「すみませんでしたレムさん、監禁される側として考えが足りませんでした。次は逃げようとします」
だから泣かないでください、と透璃が慰めれば「次は」という言葉に反応したのかレムがパッと顔をあげた。
瞳に涙こそ残っているがその表情は晴れ晴れとしており、透璃が僅かに安堵の息をもらす。
「それなら、次は俺も更に頑張って逃さないように帰さないようにするな!」
「まぁ帰りはしませんけどね、ここ私の家ですし」
「それじゃ、ベランダに仕掛けたワープホール回収してくる!」
途端にご機嫌になりベランダへと向かうレムの後ろ姿に、透璃がやれやれと小さく肩を竦めた。
そうして四日間の監禁生活は恙無く終わった。
……のだが、
「透璃! 仕事に行く時間だろ!」
「嫌です嫌です、外に出たくない…外の世界怖い。一生家に居たい太陽光怖い他人の視線怖い外に出たくない……」
と、最後の最後で一つの問題が発生した。




