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愛の意味なんて知らない

作者: 遼護

母上はたぶん好き。「大好きよ」って言いながら、抱きしめてくれるから。

・・・・・・『大好き』の意味はよくわからないけど。


王様はたぶん嫌い。たまに会いに来てくれるけど、僕を見る目がなんか嫌いだから。


母上はたぶん好き。毎日僕の頭を撫でて、子守唄を歌ってくれるから。


兄上たちは嫌い。誰も見てないところで、僕のことを蹴ったり殴ったりしてくるから。


母上はたぶん好き。僕が怪我してきたら、優しく手当てして「頑張ったね」って言ってくれるから。


城にいる人たちは大嫌い。妾の子ってだけで、僕のことを見てくれないから。


そして今日は、僕の8歳の誕生日。

「大好きよ」

いつも通りそう言って僕を抱きしめてきた母上は、口から血を吐き出すとそれきり動かなくなった。

後から周りの人間が話していたのを偶然聞いたところ、どうやら母上は僕を庇って死んだらしい。

けど、母上が死んだって聞いても、僕の心はちっとも痛まなかった。涙も出なかった。それを見た人たちが、人形みたいって僕を指して言うのを、他人事みたいに聞き流していた。それこそ、何も感じない人形みたいに。

母上がいなくなっても何も困ることはなかったけど、少しだけ、「大好き」って言う人がいなくなったのは、惜しい気がする。




              ・・・・・けど結局、『大好き』の意味はよく分からなかった。






昔々あるところに、とても治安の悪い荒廃した国がありました。

悪政を強いられた国民たちは、日々貧困に喘いでいましたが、

王や貴族は、今日もそれに気づかぬふりをし続けています……。


そんな劣悪な環境の中でも、とても聡明で快活な性格に育った、ある村娘がおりました。

娘は幼い頃に両親を亡くし、父の姿も母の温もりも知ることなく成長しましたが、それでも彼女は幸せでした。

何故なら、雨風を凌げる家は両親が残してくれましたし、近所に住む人たちも親切だったので、貧しいながらも恵まれた毎日を送っていたからです。


そんな娘の生活に最近、新しい日課が1つ増えました。

それは、毎朝家にやってくる青年と会話をすることです。

青年との関係は以前、馬車同士の事故で怪我をした青年を助けたことから始まりました。

その日以来妙に娘に懐いてきた青年は、毎朝8時きっかりにやって来ては丁度1時間、特に何をするでもなく娘の家に居座り、ぽつりぽつりと2・3言話しては去っていくのです。

話の内容も、ある日はその日の天気のことであったり、またある日は景気のことであったり、はたまた近所の犬のことであったりと、まるで関係性のない話題ばかりでした。

最初こそ青年を警戒していた娘でしたが、気の抜ける青年の態度に警戒するのも馬鹿らしくなったのか、それとも娘自身無意識にこの時間を楽しみにしているのか、最近では青年のために、時間になると鍵を開けて待っているほどでした。


コン、コン、コン――。

そして今日も、いつも通り3回ノックをしてから青年が入ってきました。

一目で上質と分かる黒の外套にうっすらと雪を積もらせた青年は、玄関先で丁寧に雪を払ってから、今や青年の指定席となった入り口側の椅子に腰掛けます。

そのまま何を話すでもなく、自分の口から出る白い息を物珍しそうに眺めている青年を見かねた娘は、彼に温かいお茶を差し出しました。

ゆらゆらと立ち上る湯気を目を細めて見つめながら青年はお茶を含み、それから、内側からじんわりと温まっていく感覚にほっと息をつくと、

「ここは、寒いな」

ため息をつくような、細い声で呟きました。

「外よりは暖かいわよ」

呆れた様にそう言いながら、娘も青年の真向かいに腰を下ろします。

「けど決して、暖かくはない」

「仕方ないでしょ。王様たちのお陰で、私たち下町の人間に暖をとるために使うお金なんてないんだから。貴族様のことなんてよく分からないけど、あんた見た目からしていいとこの人間なんでしょ?だったら王様に会ったらこう言っといてよ。『王様は暖かい城にずっと居られるのでご存じないかもしれませんが、外は毎日吹雪いていますし、民は今日も寒さに震えて過ごしております』ってさ」

娘はそう言ったものの期待はしていないのか、諦めたような顔で深いため息をつきました。


娘の住む国は、かつて水の豊かな美しい国として有名でした。

しかし、昔は栄華を誇っていたその国も、先王が病に臥したことで崩れ去ってしまったのです。

先王の死後起こった醜い継承者争いのうちに3人の王子が次々と死に逝き、ついに残ったのは、王子たちの中で唯一、妾の子であった末の王子ただ1人でした。

その王子が4年ほど前、16歳という若さで王となりました。

しかし、彼の行った政治は、ひどく杜撰なものだったのです。

気が付けば今まで以上に国は傾き、民は飢え、美しかった数年前までの国が嘘だったかのように、今の国は荒れ果てたものになっていました……。


「・・・・・・すまない」

苦渋の表情を浮かべながら、青年は言いました。

「けど、王にも理由があるんだと、俺は思う」

そう言った青年の顔はひどく思いつめたものでしたが、幸か不幸か娘がそれに気づくことはありませんでした。

「そういえば、今の王様って色々と大変だったそうよね。あたしも昔のことはよく知らないんだけど」

「・・・・・・妾の子というだけで、彼は誰にも愛されなかった。唯一可愛がってくれていた母君も、周りの人間に殺されたらしい。・・・・・・そんな奴らがのうのうと生きている国のために、なぜ王が働かなくてはならない」

「・・・・・・王様は、愛を知らないのね」

青年の話を聞いた娘は、痛ましげに俯いていましたが、そうぽつりと呟きました。

それからふと思い立ったように近くの本棚に歩み寄ると、そこから1冊の本を抜き取って、青年に投げて寄越しました。

「それで、何事でも、自分のしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です」

「え?」

「知らない?聖書の1部よ。あたしも別に敬虔な信者って訳じゃないけど、この言葉は好きだから覚えてるの。早い話、してほしいことはまず自分からしてみなさい。愛されたければ、まず自分が相手を愛してみなさいってことよ。・・・・・・自分から愛すなんて難しいわ。ましてや、愛もよく分からない状態で嫌いな人間を愛するなんて、とても。けど私、王様ならきっと出来ると思うの」

「何故」

「王様には貴方がいるからよ。さっきの話し方からして、貴方王様と親しいんでしょ?」

「親しいというか・・・・・・」

歯切れの悪い青年の答えに微笑みながら、娘は言いました。

「王様の近くに貴方がいるなら、王様はきっと大丈夫」

「私がいたら・・・・・・?何故そう言いきれるんだ」

「貴方を信用しているから」

「私を・・・・・・・?」

「そう、貴方を。貴方と初めて出会った日から結構経つけど、あたし貴方のことなかなか信用してるのよ?貴方は無口で不器用だけど、とても優しくて強い人。そんな貴方が近くにいるなら、王様もいつか自分の周りに誰かいてくれていることに気付くわよ。・・・・・・それに、貴族様なんてあたしたちから見ても碌な奴いないわよ。そんな奴らを見ただけで、人間全員に失望しないで欲しいものね」

最後は茶化すように笑いながら言うと、娘は戻ってきて椅子に座り、自分の分のお茶をすすりました。

「しかし、王は取り返しの付かないことをしてしまった」

「そりゃ、私も皆も簡単には許せないわよ。けど、過ちは誰だって犯すわ。そこから何を学ぶのかが重要なんじゃない。まぁ、王様に失敗されたら困るけど」

「・・・・・・今日はもう帰る」

それからしばらく青年は黙って座っていましたが、そう言って外套片手に立ち上がりました。

それを聞いて娘も、見送りのため席を立ちます。

「この本、譲り受けるわけにはいかないだろうか」

先程娘が青年に投げた本を指して、彼が言いました。

それを聞いて、娘は訝しげに首を傾げ、

「珍しい本でもないから、あんたなら簡単に手に入ると思うけど。それもう汚いから、気に入ったなら新しく買ったら?」

と言いましたが、青年この言葉に首を振り、大事そうに本を撫でながら言いました。

「これが、この本がいいんだ」

娘にとってそれはよく分からない願いでしたが、青年が自分に何かを要求してくることは珍しいことでしたし、青年に本を譲ることにしました。

「それじゃ、気をつけてね」

「あぁ。・・・・・・あの、さ」

「ん?なに?」

「・・・・・・いや、何でもない。それじゃ」

外套を翻して、青年は去っていきました。

いつもと違った青年の態度を不思議に思いながら、娘は家に入ります。

相変わらず底冷えのする寒さに震えながら、娘は何気なく時計を確認しました。

時刻は、まだ8時38分でした。


そして次の日から、青年は娘の家に訪れなくなったのです。


最後に青年が娘の元を訪れた日から、1年が経ちました。

理由は分かりませんが、最近街に活気が戻ってきた気がします。

毎日少しの豆が入った薄味のスープと、カビが生える寸前の固いパンを食べていた娘は、

毎日野菜の入ったスープと、温かいパンを食べるようになりました。


最後に青年が娘の元を訪れた日から、3年が経ちました。

娘の家には、毎日ストーブの光が煌々と灯っています。

数年前まで外とあまり変わらない寒さだった家が、今では暖かく娘を守ってくれました。

もう、娘が寒さに震えながら眠りにつくことはありませんでした。


最後に青年が娘の元を訪れた日から、5年が経ちました。

その日、今まで民の前に一度も出ることののなかった王様が、初めて姿を現すことになりました。

数年前までは皆王様を嫌っていましたが、だいぶ元の美しい姿を取り戻してきた国に、王様のことを悪く言う人は少なくなりました。

娘もその一人です。今日はセレモニーに参加しようと、態々仕事を休んでまで都に来ていました。

皆も娘と同じことを考えたのか、平日だというのに城の前はひどい人だかりでした。

その人混みに巻き込まれてしまってふらふらとしていた娘でしたが、幸運にも行き着いた先は、前列に程近い場所でした。


ファンファーレと共に、大臣の話が始まります。

周りの人間は皆その話に耳を傾けていましたが、娘だけはいつまでも、きょろきょろと辺りを見渡していました。

あの日以来見ることのなくなった、青年の姿がないか探していたのです。

今日娘が都に来たのは、王様を見てみたいという気持ちも勿論ありましたが、それよりも青年の元気な姿を確認することが目的でした。

しかし、どこを見ても青年の姿を見つけることは出来ません。

気持ちは焦るばかりでしたが、時ばかりが無意味に過ぎ去り、ついに王様が登場する時間になりました。せめて王様だけちゃんと見ておこうと思い、前を向いた娘でしたが、華やかな音楽と共に城の奥から現れた王様を見て、頭が真っ白になりました。

―――王として現れた人間は、昔よく言葉を交わした青年そのものだったのです。

この5年、ずっと待ち望んできた青年との再会が、思わぬ形で叶ってしまい驚いた娘は、王として立つ青年を見ていられず、思わずその場から駆け出しました。

突然乱れた人混みに何気なく視線を向けた王が、去っていく娘の姿を見てわずかに目を見開いていたことも知らずに―――。


それから1週間が過ぎました。

娘の日常は、今日も変わらず過ぎ去っています。

唯一変わったことといえば、1週間前から、扉に鍵をかけるようになったことでしょうか。

それでも、8時になるとつい時計を確認し、扉のほうを振り返ってしまうのはここ数年の名残でした。


コン、コン、コン―――。

8時丁度、3回扉が叩かれました。

青年の癖と同じそれに、娘の肩は大きく揺れます。

娘は早鐘を打っている心臓を服の上から抑えると、恐る恐る扉に近寄りました。

「・・・・・・いるか?」

記憶より幾分低くなっているものの、それは間違いなく青年の声でした。

すかさず駆け寄って扉を開けようとしましたが、ドアノブに手をかけた瞬間、堂々と民の前に立つ青年、否‘王’の姿を思い出して、娘は手を引きました。

「そこに、いるんだな」

扉の近くで動く気配に気が付いたのでしょう。青年は確かめるようにそう呟くと、扉にそっと手を置きました。

「扉を、開けてくれないか」

「・・・・・・」

懇願するように青年は言いましたが、娘はそれに応えることなく、ただ黙って立っています。

根気強く青年は娘が鍵を開けてくれるのを待っていましたが、数十分も経ったころ、大きく溜息をついておもむろに口を開きました。

「王である私は、もう君にとって遠い存在か?」

「・・・・・・」

「・・・・・・もう、私が君に会いに来るのは迷惑か」

「っそんなことない!!」

思わずといったように声を荒げた娘は、それからはっとしたように口を閉じ、また黙り込んでしまいました。

また無意味に時間が過ぎていき、青年が立ち続けているのに苦痛を感じ始めた頃、



カチャ―――。



小さく、鍵の開く音が響きました。

その音が耳に入った青年はそっと扉を開けましたが、目の前に立つ娘を見た瞬間、思わず強く彼女を抱きしめました。

娘は驚いて身を引こうとしましたが、青年の体が頼りなく震えていることに気付くと、そっと、5年前より広くなった背中にその細い腕を回しました。

「民に、感謝された」

「うん」

「民を苦しめていたのも私だというのに」

「そうだね」

「愛したら愛してもらえるとは、こういうことだったのか?今なら、少し分かる気がする」

「そう。・・・・・・頑張ったね」

「っずっと、ずっと君に会いたかった・・・・・・!!」

そう娘に言われた途端、青年は堰切ったように大声を上げて泣きました。

母が死んだときも、皆に蔑まれたときも1つとして溢すことのなかった涙を、娘の腕の中で、ただただ流し続けたのです。


しばらくした後、泣き止んだ青年は、恥ずかしそうに微笑みながら顔を上げ、娘を放しました。

涙でぐちゃぐちゃになった青年の顔を笑いながら娘は拭ってやると、いつも青年が座っていた席に青年を座らせ、自分も青年の真向かいに座りました。5年前と同じように。


それから2人は、ここ数年の隙間を埋めるように様々な話をしました。

相変わらず青年は無口だったので、話のテンポは決して良いといえるものでありませんでしたが

それでも彼らは、数年振りの邂逅に幸せを感じていたのです。



青年は、以前と同じように黒い外套を翻して娘の家から去っていきました。

以前より堂々とした足取りで歩く青年の後ろ姿に自然と笑みを浮かべながら見送ると、娘は暖かい部屋に入っていきました。


時刻は、とうに昼を過ぎていました。








昔々あるところに、水の豊かな美しい国がありました。

一度は廃れてしまった国でしたが、若くして王になった聡明な人物のお陰で、その美しい姿を取り戻すことが出来ました。

貧民の出でありながら、その王を支え続けた強く美しい姫と共に、後世まで多くの人間に語り継がれています―――。



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