あの子は空から微笑んだ
その子は、私が三年になって初めて同じクラスになった。
他のクラスに興味がない私は、同じクラスになるまでその子のことは知らなかった。
一番後ろの席だった。
不思議な子だった。
茶色の短い髪。
特別白いわけでもなく、焼けているわけでもない肌。
特別、可愛いとかそういう子ではなかった。
平凡な、おとなしい子、のはずなのに…
なにかとても神秘的だったのだ。
私は、気が付いたらその子のことを見ていた。
私は確かに、見とれていたのだ。その子に。
目が合うこともあった。
そうするとその子はにっこりと微笑むのだ。
私もついにっこりと微笑みかえしてしまう。
でも、二学期が終わる今日まで、私はその子と話をしたこともなかった。
声も知らなかった。
名前も、なぜか知らなかったし、知ろうとも思わなかった。
下校時間になると、いつの間にかその子はいない。
でも、今日は違ったのだ。
友人と一緒に歩いていると、目の前にその子がいた。
「ねえ、あの子…」
「あの子?前の?」
「同じクラスのさ…」
「え?あんな子いたっけ?」
友人は真顔でそう言った。
きっと、この友人以外の人に言っても同じ答えが返ってくるのだろう。
あの子が誰かと話しているところなんて見たことがなかったから。
班で話し合いをしているとき、あの子はいなかったような気がする。
授業中、先生にあてられたところも見たことがなかった。
あの子の存在に気がついていたのは、私だけかもしれない。
「バイバイ」
「うん、じゃあ来年。よいお年を」
分かれ道で友人と別れてから、ふと前を見ると、あの子がマンションに入って行った。
(ここに住んでるのかな?)
そう思って、何故か私はついていってしまった。
こそこそついていくわけでもなく、かといって友達の後ろをついていくように行くわけでもなく、ただついて行った。
階段を上がっていくその子に、ただついて行った。
何階上がったか分からない。
そして屋上についてしまったのだ。
立入禁止のはずの屋上の扉は、鍵がかかっていなかった。
小走りでその子は屋上のフェンスまで行った。
「何、してるの?」
つい、私は言ってしまった。
その子は、私に振り向いてにっこりと微笑んだ。
そして、深呼吸をして空をあおぎ、答えた。
「聞いてるの」
初めて聞く、その子の声。
特に魅力的というわけでもない、普通の声。
でも、なんて透き通った声なんだろうと思ったのだ。
「聞いてるの?」
「そう。
水の声、風の声、空の声、星の声、雲の声、太陽の声…」
聞いたらばかばかしいと思うだろう。
何を言っているんだと、思ってしまうだろう。
でも、この子が言うとなぜか全くそうは思わなかった。
その子は、空を指さした。
見るとそこには、
「ひこうき雲?」
「そう。きれい」
うっとりとした表情でその子は言った。
ひこうき雲は、この子に似ていた。
なんのことはない、地味なもの。
でも何か、不思議な、ひきつけるものがある。
「わたし、空を飛ぶの」
「空を飛びたいの?」
「ううん。飛ぶの」
そして空を指差し、ゆっくりと空中に線を描いた。
「ウィーーーーーン―…
ウィーーーーン―…ってね」
この子なら、本当に飛べるのかもしれないと心から思ってしまった。
とん、とその子はフェンスの上に立って私を見おろした。
自分の背丈よりも高いフェンスの上へ、簡単にその子は乗った。
「ウィーーーーーン―…ってね」
私は、とっさに走り出した。
でも、足が思うように動かない。
その子はにっこりと笑って自らの重心をかかとへかけた。
「飛ぶの。わたし」
時間が、ゆっくりと流れて…
その子は落ちた。
私はフェンスを掴んで下を見た。
そしてその瞬間―…
下から強風が吹いてきた。
そして頭上を見上げると、鳥がいた。
茶色い、地味な色の鳥。
でも、なにかひきつける不思議な鳥。
その鳥の姿は、鮮明に覚えている。
それから私はたくさんの鳥の図鑑を見た。
でも、その鳥はどこにも見当たらなかった。
新学期―…
私のクラスは、三十八人から三十七人になった。
あの子が、いなくなったのだ。
なにも、なにも変わらなかった。
先生も何も言わなかった。
まるで、元からあの子なんていなかったかのように。
いや、いなかったのかもしれない。
いないのが、当たり前になってしまった。
そして、ある日の帰り―…
小さな女の子に出会った。
茶色い髪の、地味な子。
でも、神秘的な不思議な子。
「ウィーーーーーン―…」
そう言いながら、女の子は走って行った。
こんなこと、前にもあったような気がする。
でも、思い出せない。
いや、そんなことはなかったのかもしれない。
女の子は振り向いて私にこう言った。
「ウィーーーーーン―…ってね。飛ぶの」




