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第5話 秘めた思い



 暖かい陽光が降り注ぐ午後。

 庭園には、いつものように花の世話をするアネモネの姿がある。それまでは、表情もなく淡々と花の世話をしていたアネモネだったが、今ではその表情は上空に広がる晴れ渡った青空のような、清々しい笑顔を見せるようになった。

 皇女のアリスタータと知り合ってからは、毎日のようにアネモネのもとに皇女が遊びに来るようになった。アリスタータと同じく、アネモネもまた、同年代の友達というものに嬉しさを隠しきれないでいた。

 花の世話をするアネモネの姿を、庭園に面した宮廷の廊下に腰掛けていたゼフィランサスが眺めていた。二年前にアネモネを引き取ってから、ずっと近くで彼女を見守ってきたゼフィランサスは、その変化に素直に喜んだ。

 アネモネを眺めるゼフィランサスは、まるで父親のような、または兄のような、そんな表情を見せている。

「よぉ、ゼフィ。ここにいたのか」

 軽い口調でハイドが声を掛ける。

 ハイドはゼフィランサスの横に並ぶと、その視線の先を追った。

「アネモネ、最近明るくなったな」

「どうやらアリスタータ様と仲良くなったらしい」

 ゼフィランサスは、ソニアから聞いた話をハイドに伝えた。

「なるほどね。まぁ、あのくらいの年頃には、やっぱ同年代の友達がいるのが自然だな」

「あぁ、そうだな」

 二年前の出来事を知るハイドも、アネモネの変化は素直に喜ばしいことだった。八歳にして生まれ育った村を失い、目の前で両親を殺されるという経験をしている。故郷もあり、両親も健在のハイドには、当時のアネモネの心境は計り知れないものだった。

 しばらくのあいだ二人は言葉を交わすことなく、懸命に花の世話をするアネモネを眺めた。

 そこで、ふと思い出したかのようにゼフィランサスが口を開いた。

「ハイド、何か用があったんじゃないのか?」

「あぁ、そうだった。久しぶりにどうだ?」

 にやりと口元を歪ませると、ハイドは腰に下げた剣を軽く叩いて見せた。

「まさか、真剣でやるつもりか?」

「俺はどっちでも構わねぇぞ」

「お前、懲りてないな。前に真剣でやって、ベネトナシュ様にさんざん説教されただろう」

 嬉々とした表情を浮かべるハイドに対して、ゼフィランサスはベネトナシュの説教を思い出して呆れた表情で言った。

 二人は互いに時間があるときに、剣を交えて勝負をすることがあった。一ヵ月ほど前にも訓練と称して真剣でやっていたが、それをたまたま見かけた三賢のベネトナシュが顔を真っ赤にして憤慨したのだった。

 初老を迎えようとしているベネトナシュのこめかみには、今にも血管が切れて血が噴き出すのではないか、そんな形相をしていた。

 訓練以外の時間で、しかもこの庭園でやっていたのだ。事情を知らない者が見かけたら、止められても仕方のない状況だ。

「ひょっとして……先日のエクリプスの件か」

「まぁ、な……」

 そうこぼすと、ハイドの表情から明るさが失われ、口元が引き締められる。

 自身の剣がエクリプスの頭領レギアに及ばなかったことに、悔しさを隠しきれないでいた。ハイドは自身の手を見つめながら、レギアとの勝負を思い起こした。

「悔しいが奴は確かに強い。あいつの言うように、四聖でもなければ勝つのは難しいだろうな……」

 ハイドは見つめていた掌を握りしめると、奥歯をかみしめた。

 そんなハイドの心境を汲み取って、ゼフィランサスは頷いて見せた。

「分かった。少しだけだぞ」

 ゼフィランサスは立ち上がると、腰に下げた鞘から剣を抜いた。

「あぁ、助かる」

 ハイドも同様に、剣を抜いて構えを取った。

「そう言えば、今までの勝敗はどうだったか?」

「お互いに十五勝、引き分けが三つだな」

「そうか、なら今日俺が勝って一歩リードさせてもらおうか」

「勝ってから言え」

 二人はゆっくりと間合いを詰めると、互いの剣先を打ち合わせた。剣先から小さな音が響くと、それを合図に二人は同時に剣を振った。

 豪快に振られた剣は、激しい音を立ててぶつかり合う。すぐに間合いをあけると、二人は素早く次の斬撃へ移行した。

 ハイドが上から剣を振り下ろすと、ゼフィランサスは剣を横に構えて受け止める。そのまま力任せに押しのけると、今度はゼフィランサスが横へなぎ払う。

 その斬撃を紙一重で交わすと、ハイドは剣を真っ直ぐに突き出した。ゼフィランサスは身体を捻るようにして回避すると、その遠心力を利用して柄頭による打撃へ転じる。ハイドはその打撃をしゃがんでかわすと、肩をゼフィランサスの身体に押し当てた。

 ハイドの体当たりにゼフィランサスが体勢を崩したところへ、ハイドの剣が振り下ろされる。ゼフィランサスは辛うじて剣で防ぐが、体勢を立て直す隙を与えことなくハイドの斬撃が続く。二合、三合と続くハイドの猛攻をなんとか防ぎきると、ゼフィランサスはようやく間合いをあけて体勢を立て直した。

 二人は呼吸を整え、次の斬撃を繰り出そうとしたその瞬間。

「二人とも何やってるのっ!」

 叫びに似た女性の声に、二人の剣はぶつかる寸前でその動きが止まった。

 二人が声の聞こえた方を振り向くと、食器を乗せたトレイを持ったソニアの姿があった。

「ソニアか」

 ハイドは、よく知った女性の名を口にした。

 怒りを露わにした表情で、ソニアはわざと足音を立てるようにして二人のもとに近づいてきた。

「ソニアか……じゃ、ないでしょ。庭園で何やってるのっ!」

 ソニアの怒りの声に、二人はばつが悪そうな顔で剣を鞘に収めた。

「いや、まぁ、訓練の一環としてだな……」

 ハイドはおどけた様子で言い訳をしようとしたが、ソニアの目がそれを許さなかった。

「訓練なら、ここでやらないでよ。ほらっ、アネモネが怯えてるじゃない」

 ソニアの言葉に二人が庭園へ目を向けると、植えられた草木の陰に隠れたアネモネが怯えた様子でこちらを見ている。

 それを見たハイドとゼフィランサスは申し訳なさそうに、頭を下げた。

「わりぃ……」

「すまない……」

「まったく、男ってどうしてこうなのかしら」

 二人が頭を下げて謝ると、ソニアは大きな溜息をついた。

「あーそうだ。オレ、用事思い出したわー」

 とってつけたような言葉を言うと、ハイドはくるりと身を翻す。

「というわけで、オレはこれで」

「おい、ハイド!?」

 二人に背を向けたまま手をひらひらと振ると、ゼフィランサスの制止の声も聞かずに、ハイドはそそくさと宮廷内へと姿を消した。

「あいつ……逃げやがったな」

 あっという間に小さくなるハイドの背中を眺めて、ゼフィランサスは独りごちた。

「ゼフィ、ちょっといい?」

「な、何だ?」

 不意に声を掛けられたゼフィランサスは、恐る恐るソニアへ振り返る。そこには、怒りや呆れの表情はなく、どこか沈んだ表情に変わっていた。

 ソニアはゼフィランサスの隣に並ぶと、その場に腰を下ろした。それにつられるように、ゼフィランサスもまた腰を下ろした。

 ソニアは虚ろな目で、手に持つ空いた食器に視線を落とした。

「ねぇ……もう、やめにしない?」

 ゼフィランサスは少し考える素振りを見せると、ソニアの言わんとしていることに思い当たった。

「皇王たちのことか?」

 ゼフィランサスの確認の言葉に、ソニアは小さく頷いて見せた。

「今ならまだ間に合う……まだ、引き返せるわ」

「俺たちがどんな目にあったのか、もう忘れたのか?」

 ソニアの諦めにも似た口調に、ゼフィランサスの声は低くした。ソニアは首を振って否定するが、その表情に変化はない。

「忘れてない……忘れられないよ、あんなこと。でも私は、今が幸せなの。あなたとアネモネと……三人でいる今が幸せなのよ」

 顔を上げたソニアの視線の先には、いつものように花の世話をするアネモネの姿があった。先程までのゼフィランサスとハイドの勝負に怯えた様子で眺めていたが、今ではいつものアネモネに戻っている。

「それでも……俺は皇王を許すわけにはいかない。故郷のゴトランドを取り戻すためなら、俺は一人でもやり遂げてみせる」

「皇王を殺しても四聖三賢はどうするの?」

「策がないわけでもない。一人ずつならなんとかなる」

 そう答えるゼフィだったが、そこに確固たる勝算があるわけではなかった。とくに四聖の四人は、いずれもその名を諸外国に知られた騎士たち。まともに戦っては勝ち目はない。それでもゼフィランサスには、一対一ならば四聖とも互角以上に渡り合える自信があった。ただ、唯一にして最大の不安要素がドゥーベの存在だった。単に強いと言うだけでなく、その剣筋は誰にも読めない特異なものがあった。あらぬ方角からくる斬撃は、かわした者は誰もいない。

 だが、ゼフィランサスの中では、幼い頃の誓いがドゥーベの存在を上回っていた。

「ゼフィ……」

 ソニアは肩を落とすと、持っていたトレイを脇に置き、身体を小さくするように膝を抱えた。

 ゼフィランサスは静かに立ち上がると、

「分かった。明日からは、俺が皇王と皇妃に食事を届ける。お前はしばらく休むといい」

 突き放したように言うと、ゼフィランサスは宮廷の奥へと姿を消した。

「男って、どうしてこうなの……」

 ソニアは抱えた膝に顔を埋めたまま呟いた。

 その時、悩み落ち込むソニアの様子を眺めていた人影が、柱の陰から静かに遠ざかるのが見えた。



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