第4話 四聖三賢
宮廷の大きな鉄門が重々しい音を立てて開かれると、一人の騎士が入ってきた。
真紅の鎧とマントを身に付けた騎士が悠然と歩くと、すれ違う皇王の臣下たちは道を空けて一礼した。臣下たちの対応を気にもとめずに、真紅の騎士は皇王の間へ真っ直ぐ向かった。
優に千人は入るであろう皇王の間は、外観と同じく壁や柱はすべて大理石で造られている。中央には金の刺繍が入った赤い絨毯が、入口から皇王が座る玉座まで真っ直ぐ敷かれている。
真紅の騎士が赤い絨毯に沿うように歩くと、玉座に座るデボンの皇王クフェア三世の前でその歩みを止めた。
齢六十一になるクフェア三世の頭髪は白く染められ、痩せ細った身体は年齢以上に老け込んで見える。
クフェア三世の前で、真紅の騎士は恭しく片膝をついた。
「四聖のドゥーベ、ただいま帰還いたしました」
「うむ」
頭を下げるドゥーベに向けて、クフェア三世はやや億劫そうに短く答えた。
「デボンの七地方すべてを見てまいりました。年々減ってきておりますが、まだ野盗や奇石を巡る諍いがあるようです」
片膝をついたまま、ドゥーベは国内の様子を淡々と話し始めた。
「ですが、各地を治める四聖三賢の功もあって、いずれも大きな問題には発展していないように見受けられます」
「そうか」
ドゥーベの報告に、クフェア三世はさして興味なさげに言ったのち、やや苦しげに咳き込んだ。
クフェア三世の対応を気にした素振りを見せずに、ドゥーベは続ける。
「オルドビス公国と隣接するサーラバリア地方も、幸いなことに今のところは先方からの侵攻は見られていないとのことです。これまで通り隣国への侵攻は控え、野盗討伐に注力すべきかと存じます」
「分かった。後のことはお前とベネトナシュに任せる」
「はっ……」
先程と同じように、クフェア三世は投げやりに言い放った。
「報告はもう良い、下がれ。余は疲れた」
まるでドゥーベを追い返すような手振りをすると、クフェア三世は何度か咳き込みながら腰を上げた。クフェア三世が皇王の間の奥へ姿を消すのを見届けると、ドゥーベは静かに立ち上がった。
「愚王の極みだな」
つい先程まで目の前にいた人物に対して、溜め込んでいた感情を込めて吐き捨てた。
そこへ、ドゥーベ以外誰もいない皇王の間に足音が響いた。
「カトレアか」
主が去った玉座を見つめたまま、ドゥーベは背後にいる人物の名を口にした。
「はい」
自身の名を呼ばれた女性は、ドゥーベの背に一礼する。
頬まで伸びた横髪は綺麗に切り揃えられ、切れ長の細い目を持つその顔には、内なる感情を一切読み取らせないような無表情を浮かべている。加えて白い肌からは、見る者に冷たさを印象づける。
「俺が留守のあいだ、特に変わりはないか?」
「先日、聖都の南東にエクリプスが現れたようですが、ハイドとゼフィランサスが迎え撃ち、事なきを得たとのことです」
「あの義賊か……ふっ、解放者とはよく言ったものだ」
「あとは、皇王様、皇妃様のご容態が日々悪化しているようです」
「そうか……所詮は愚王だ。死なれたところで、デボン皇国にさして影響はあるまい」
ドゥーベは皇王に仕える臣下とは思えない言葉を発した。
しかし、その辛辣な言葉にもカトレアは表情を変えることはなかった。
デボン皇国には、四聖三賢と呼ばれる四人の聖騎士と三人の賢者が存在する。先代の四聖三賢によって次代の四聖三賢が選出され、皇王によってその座が与えられることになっている。選ばれる理由に家柄や血筋は関係なく、純粋に実力や資質によってのみ選出された。
四聖三賢に選ばれた者には、定められた名前と管轄する地方が与えられる。それに加えて、皇王の最終決断の下に政治を行ったり軍を動かしたりできる権限も与えられた。
四聖三賢が管轄する地方は次の通りである。
四聖ドゥーベ……聖都マルムがあるデボン中央のソルヴァン地方を管轄。
四聖メラク……デボン最東端にあるゴトランド地方を管轄。
四聖フェクダ……デボン南東のバートニア地方を管轄。
四聖メグレズ……デボン西方のサーラバリア地方を管轄。
三賢アリオト……デボン南西のルペリア地方を管轄。
三賢ミザール……デボン北東のランディロ地方を管轄。
三賢ベネトナシュ……デボン北西のノーリ地方を管轄。
今のデボン皇国は、四聖三賢によって成り立っていると言っても過言ではない。現皇王のクフェア三世は、呆れるほど国政というものに興味も関心もない。そのため、すべての判断を四聖三賢に委ねていた。ドゥーベほどではないにしろ、臣下の中にはクフェア三世を快く思わない者が多いは事実だった。
先代の皇王クフェア二世は、決して良い皇王とは言えなかったが、まだその責務を全うしたと言えた。ただ、唯一の欠点が血の気が多いこと。現在はデボンの一地方であるゴトランドは、元はデボンに隣接する一つの国だった。それがクフェア二世の命によって、討ち滅ぼされ現在に至る。
国土の拡大には成功を収めたが、国力がそれに追いつかなかった。国土に見合った兵の数が揃っていないため、辺境にあるような村や町は、クフェア二世に不満を持つ野盗たちに襲われるようになっていた。
クフェア二世の死後、それが未だに続いているのが現状である。
「斬って捨てるのは容易いが……さすがに他の四聖三賢を相手にするわけにもいかんしな。皇王には誰もが異論を唱えられない形で、その座を俺に渡してもらわねば」
それは野心であると同時に、この国に対する憂いでもあった。空席の玉座を見据えたまま、ドゥーベはその口を真一文字に引き締めた。
「ドゥーベ様、皇王様と皇妃様の少し気になることが」
少し声を低くしてカトレアが口を開いた。
「なんだ」
「お二人のご容態についてですが……」
そう言うと、辺りを一瞥してからカトレアはドゥーベに小声で耳打ちを始めた。
カトレアが何事かを告げると、ドゥーベは僅かに眉尻を上げた。
「ほう、興味深いな」
「いかがいたしましょう?」
しばらく考えるような表情をしたのち、ドゥーベの口角が僅かに上がった。
「俺の計画に役立つかもしれん。もう少し調べておけ」
「分かりました」
カトレアはドゥーベに一礼すると、静かに皇王の間を後にした。
「誰からも恨まれる王族とはな……哀れすぎて同情したくなるな、ほんの僅かだが」
今度こそ誰もなくなった皇王の間で、またしてもドゥーベは辛辣な言葉を吐いた。
その双眸には、野心という名の炎が赤く煌めいていた。
デボンの中央にあるソルヴァン地方と、その南東にあるバートニア地方の境にある小さな村で、女性の影が動いた。村に人の気配はなく、家屋は瓦礫と化して今では廃村という表現が正しかった。
女性は瓦礫の陰から地下へと続く石造りの階段を下りると、木製の戸を開いた。
「レギア、いる?」
「戻ったか、カリス」
薄暗い陰気な部屋の奥で、エクリプスの頭領は静かに女性の名を呼んだ。
カリスと呼ばれた女性は、身につけていたフード付きのコートを脱いだ。頬の辺りで綺麗に切り揃えられた髪と白い肌が露わになり、フードから解放された頭を小さく振ってみせた。
「四聖のドゥーベが聖都に戻ったわ」
「そうか」
カリスの報告に、顔色一つ変えずにレギアは短く答えた。
「それと、妙な噂を耳にしたのだけど……」
カリスは部屋の中央にある薄汚れたソファに腰を下ろした。その拍子に、ソファに積もった埃が僅かに舞う。
「皇王と皇妃が病を患っているというのは、前にも話したけど……。どうやらそれには、侍女が関わっているみたいよ」
「侍女?」
普段からあまり感情を表に出さないレギアが、僅かに眉を寄せて見せた。
「侍女の名はソニア。ただ、彼女一人が動いているとは思えないわ。おそらく、彼女と親しい騎士長のゼフィランサスも関与していると思う」
「ゼフィランサス……あの男か」
レギアは、先日のハイドとの一騎打ちに介入した若い白騎士を思い出した。
カリスの報告に、レギアは考えるように右手を顎に当てた。しばらく思案した後、閉じていた口を開いた。
「我々以外にも皇王を討とうとしている者がいる、ということか」
「おそらく……」
「皇王を討ってもらう分には一向に構わんが……ドゥーベだけは度外視するわけにはいかぬ。奴の野心は底が知れん。奴の思惑通り事が進んで皇王にでもなれば、この国はどうなるか……」
レギアは一番恐れている事態を想像し、すぐにその考えを追い払った。
「どちらにしても、ドゥーベが聖都に戻った以上、しばらくは様子を見るほかないな」
「そうね。それじゃ私は聖都へ戻るわ」
「あぁ、頼む」
薄汚れたソファから腰を上げると、カリスは再びフード付きのコートを身に纏い、薄暗い部屋を静かに出た。
「ゼフィランサスか……あの男が我々の敵なのかどうか、少し見極める必要があるな」
陽の光が届かない部屋で、レギアは独り言のように呟いた。