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第十一話

 それから幾日か過ぎたとある昼下がりの事。


 ここ暫くの新婚生活は──主にシグナスの献身により──順調そのものであった。しばしば男の仕草や言動に心を乱され頭を抱える羽目になる事を除けば、の話だが。しかしその一方で、早急に解決すべき問題も生じており。


「…ルシャード、お前の意見が聞きたい」


 いつになく真剣な声でアルマが持ち掛けると、ルシャードは手元の書類から視線を上げ僅かにその口元を引き締めた。


「どうぞ、何なりと仰ってください」


 アルマは椅子の肘掛けを指先で撫でながら、慎重に言葉を選ぶ。


「仮に、もし仮にお前がシグナスに贈り物をするとして、だな」


 …まだ話の前置きに過ぎぬというのに、早くもルシャードはその眉間に皺を刻みだすものだから、アルマは抗議の意を込め鋭く睨みつけてやった。日頃からそんなしかめっ面ばかりしているから年の割にずっと老けて見えるのだ、お前は。


「何だ。何が言いたい」

「つまり陛下がシグナス殿に贈り物をなさりたいため、その内容について私の意見をお求めである、という理解でよろしいですね?」

「…だから!我の意志を!勝手に代弁するでない!!!」


 主君の怒声が執務室に響き渡ろうと、目の前の男はお構いなしに「まーた陛下がつまらぬ意地を張っておられる」と言わんばかりの視線を寄こしてくるので、アルマはそれを華麗に受け流し本題を切り出す。


「それで、あやつは何を贈れば喜ぶと思う」

「そもそも何故私に相談を? シグナス殿に直接お尋ねした方がよろしいかと」

「…そんな格好悪い真似が出来るか!」

「おや、普段あれ程癇癪を露わにしておきながら、陛下としては格好つけているおつもりだったのですか? これは失礼をいたしました、認識を改めねば」


 手元のインク壺を引っ掴んで投げつけてやりたい衝動を、アルマはかろうじて堪えた。人や物に当たるなど、それこそ癇癪以外の何物でもない。くそっ、覚えておけ。


「冗談はさておき、シグナス殿への贈り物となると、そうですね…装身具などいかがでしょう」

「そうしんぐ?」

「指輪やブレスレット、ネックレス、イヤリング、ブローチといった装飾品の事です。シグナス殿もよく身に着けていらっしゃるでしょう?」


 …正直な所、あまり記憶が定かでない。言われてみれば、よく耳に何かをぶら下げている、ような。指輪は…どうだったか。つい男の顔にばかり目が行くものだから、普段の装いなど気にした事も無かった。


 ああいや待て、違う。これはその、つまりアレだ、アルマは着こなしや服飾といったものに疎いが為に、シグナスの服装にさほど興味が持てなかったという、それだけの話である。うむ。素直に己の非を認める事もまた君主に欠かせぬ素質と言えよう。


「しかしどうしてまたシグナス殿に贈り物を? あの方の誕生日はまだ先であったと記憶しておりますが」

「…あやつに最近、手ずから花の刺繍を施したハンカチを貰ってな。王として礼の一つでもせねばなるまいと、そう思っただけだ」


 あの男は好意に対する見返りを求めるような俗物ではない。そんな事は分かっている。分かっているが、それでも何かしらの形で男の献身に報いてやりたかった。…いや勿論、これは他人からの好意を蔑ろにすべきではないという、道徳的観点による判断であって、アルマの個人的な感情に基づく決定ではないのだが。


「ふむ、となればあまり仰々しいものは避け、菓子や茶葉といったささやかな品を贈るのがよろしいかと」

「成程、食べ物か。悪くない」

「シグナス殿のお好きなものを教えていただければ、私の方でいくつか候補を見繕いますが」


 シグナスの好物。アルマは頬杖をつきながら、眉間に皺を寄せ暫し考え込んだ。その結果。


「…そんなもの、我が知る筈なかろう」


 途端、ルシャードがわざとらしい仕草で溜め息をつくものだから、アルマはむっと唇を尖らせる。何だその呆れ顔は。あの男とは出会ってまだ半月も経たぬのだから、知らぬことがあるのも至極当然ではないか。


 強いて言えば肉より野菜を好んでいるように思うが、まさか贈り物にサラダを選ぶ訳にもいくまい。


「朝夕の食事はシグナス殿と一緒になさるでしょう。その時に何かお話などされないので?」

「話はする。する、が…」


 アルマとてシグナスという男が好むもの、嫌うもの、胸に抱く思想、ルナリアでの過去、己に向ける感情。何もかもを知りたい。聞きたい。その口から、全てを。そう願っているのに、何故だか男の姿を目にする度不可解な動揺に振り回され、どうにも思考がまとまらぬのだ。


「では食べ物でなくとも構いません、他に何かシグナス殿がお好きなものは? 心当りはございませんか」

「…以前朝食の席で、この城の花を褒めていたのは、覚えておる」

「花。よいではありませんか。花束であれば見た目も華やかですし、返礼に相応しい贈り物かと存じますが」

「そんな容易く手に入るものを贈って何になる。もう少しこう、希少で、特別な価値があり、尚且つあの男が気後れせず受け取れるものをだな」


 …正直なところ、無理難題を口にしているという自覚は、ある。大いに。


 ルシャードがより一層大袈裟に溜め息をついてみせたが、流石のアルマも今回ばかりは反論を諦めるほかなかった。


「でしたらやはり本人にお聞きするのが一番かと」


 不承不承、その意見に頷かざるを得まい。


「…それしかあるまいか。だが何と尋ねればいい、さりげなく好物でも聞き出せと?」

「それは陛下がご自分でお考え下さい」


 目の前の男の真意が掴めず、アルマは眉を跳ね上げた。


「シグナス殿は私の言葉より、陛下ご自身のお言葉を望んでいらっしゃるかと」

「…お前の方が余程口は上手いだろうに」

「日常会話において言葉の巧みさなどさして重要ではありません。肝心なのは、陛下のご意志を、自らの言葉で正確にお伝えする事です」


 簡単に言ってくれる。それが出来れば苦労はしない。…とはいえ、ルシャードの言い分に理があるのもまた事実。分かっては、いるのだが。


「まあそう気構えずに。シグナス殿のことです、どのような贈り物であろうと少なくとも表面上は喜んでくださるかと」

「…だから、困るのだ」


 これがルシャードやレオンであれば、アルマから賜った品であろうと率直な意見を述べるに違いない。だがシグナスはどうだ。あの男の性格を鑑みるに、趣味嗜好にそぐわぬ贈り物を受け取ったとて、落胆を表に出すことはあるまい。恐らくは卒なく礼を述べ、丁寧に謝意を示すことだろう。…それでは、意味がないのだ。


 想像の中でさえ優美な微笑みを浮かべるシグナスに、アルマは一つ静かに息を漏らした。


 あの男を、喜ばせてやりたい。


 たったそれだけの事が、これ程までに難しいとは。


 アルマは思考を切り替えるべく今一度深く息を吐き出すと、机上の書類を手に取った。答えの見えぬ問いにいつまでも執着している時間は無いのだ。無いの、だが。


 胸の奥では未だ焦燥がくすぶり、その中心にはただ一人、己の伴侶たる男の静かな横顔が居座り続ける。


 窓辺に降り注ぐ午後の光はひたすらに優しかったが、それでもアルマの苦悩に光明が差し込むことはなかった。

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