怒れる山脈
不眠の種はプラスチックで作られている。グツグツと煮立つ臓腑の最奥から、じんわりとせり上がってくる溶岩の熱をおれは確かに感じた。地肌を撫でる不快な足跡たちも、刈り上げられていく木々の悲鳴も、全てが憎らしく思える。自然の泰然とした矜持、星にそびえる火山としての誇り。それら全てを卑下されているようで、目眩がした。
「あの小さき霊長は、まるで驕っている。大地を踏破し、開拓を終えたと、嘯いている。」
独り言をぶつくさと呟き、恨み節を空へ放り投げていく。その声を聞くものは最早少なく、枯れ果て、散りぬき、零れて死に絶えたもの達へさえ、届くことはないだろう。その怒りも繰り返していくうちに既に慣れ、また慣れてしまう自分にも憤りが抑えられない。この大地に広がるうちは、あの霊長が根を下ろしているうちは、せめて亡くなっていった同胞のことを忘れずにいよう。それこそが最後尾に残された、おれにできることなのだ。
「おや、あなたは人間が嫌いなのね。」
薄茶色の、身体中に霊長の出したゴミを纏った海が話しかけてくる。霊長を産み落とした罪業を恥ずかしげもなくぶら下げて、一体何を思って未だこの星にしがみついているのか。おれには全く、理解が出来なかった。
「おまえは憎まないのか。そんなに汚されて、そんなに足蹴にされて。」
「ええ。ちっとも憎くないわ。あなたのように、わたしは怒れないもの。だって子供が親に迷惑をかけるのは、当然のことでしょう?」
「腑抜け。おまえは自然の恥だよ。」
そうかもね。と、海は笑うようにさざ波を立てた。元々は美しい空の色を写していたはずなのに、今では赤茶けた波間に泡立つ白が人工の虹色に光って汚らしい。海はもう、頭がおかしくなってしまったのだ。人間に犯されて、自分の子供にあんな風に汚されて、正気を失ってしまったのだ。哀れなことだと、そう思いながらおれは再び臓腑の熱を体内に感じる。森は消えた。今では霊長の建造物が立ち並んでいて、そこに住んでいた動物たちも殆ど死に絶えてしまった。その命を足元に、霊長は繁栄を続けて、けれど今では退廃の一途を辿っている。馬鹿げた話だ。たくさんの犠牲の上に無理やり成り立たせたものが、自分たちの怠慢、未熟で自壊していく。これでは何も、報われない。失われたものが回帰しないように、霊長達が滅ぼしていった数々は二度とこの星の大地に立つことはない。一体何のために、森は消えたのか。有限な資源を使い潰して、得られた結末が無意味。時間が経てば戻るものもあるだろう。霊長が去れば、再び立ち上がるものもいるだろう。霊長が使い切ることの出来なかった、残りカスのような資源で、再び立ち上がる砂粒ほどの生命。これを、再起と呼べるだろうか。否、もちろん否と、叫びたくなる情動に駆られる。あってはならない。こんなもの、許されてはいけない暴挙だろう。彼らは今すぐに、死に絶えるべきだ。一刻も早く、何をするより先に滅びるべきだ。それが、思慮分別のある生物としての最低限の礼節だろうに。
「でもあなたの理屈だと、今更何をしたって手遅れじゃないの。」
「黙れ、裏切りもの。おれはおれのためだけじゃない。この星に産まれた全ての自然のために、怒っているのだ。」
「霊長は自然じゃないと、言いたいのね。乱暴、乱暴。」
ますます、海のことが分からなくなった。この星はもうすぐ、灰色になってしまうというのに。どうしてまだ霊長の肩を持てるのだろう。今に生き物は消え、空気は淀み、海も萎んでいく。恐ろしくないのか。長い長い時間の意味が、無に帰る事が怖くは無いのか。
「そういうあなただって、いつかは綺麗なものにしてしまう癖に。そう、色んなことを、歪んで薄れて、忘れていくの。わたしも、あなたも。」
気が触れた耄碌が、ここまで救えないものだったとは。この怒りが美しいものに変わる瞬間など、永劫やって来ることはないだろう。おれは悠久を過ごすもの。海や森と違って、この星が砕けるその瞬間まで、運命を共にするもの。その生涯を賭けて尚、断言出来る。全くもって、下らない戯言だ。慣れること、諦念に喉元を突き刺されることはあっても、薄れることなど有り得ない。そうで在らぬように、おれは全力を尽くしているから。その意志を体現するように、時がどれだけ流れてもおれは怒りを失わなかった。その道中、空は荒れ、少なかった木々も消滅し、霊長はついに絶えた。そうして、海もまた同じように、小さな小さな水溜まりとなって、その溝のような醜い色を空へゆっくり蒸発させていた。
「ほれ、どうだ。こうなった。霊長が無意味に星を荒らして、辺り一面、酷い荒野だ。おまえの産んだものは、全て滅びたよ。こんな景色が、おまえの見たかったものか。」
「そうではない...。そうではない...のだけれど。でも、そうね。こうなってしまうのも、仕方の無いことだったのかもしれないわね。」
「やっぱり、頭がおかしくなっていたんだな。仕方がないなんて、今際にあって、そんな風に片付けられるわけがない。」
「わたしは、いつか消えてしまうもので。あなたよりもずっと、短い時間でしか存在できないもの。だからこうなってしまうことも、分かりきってはいたわ。」
「では、どうして。」
「ただ、好きだったから。無意味に帰るとしても、自分が産みだしたものだから、愛おしくて、愛おしくてたまらなかった。本当に、それだけ。」
本当に、馬鹿げている。ゴロゴロと、身体の芯から熱が漏れ出し、溶岩が辺りへと流れ始めた。岩肌を熱が這い下がり、もうどんな草木さえ存在しない大地を覆っていく。そうして、ついに小さな水溜まりへと、おれの溶岩が触れた。ジュワッと音を立てて、真っ白な煙が天へと昇る。汚れ切った全身がどんどん萎んで、海もとうとう終わりが近い。
「わたしのことは、綺麗にしないでね。そのままの、汚いわたしを、どうか。」
地に溶岩が満ちる。煮立って、沸いて、火を上げて、おれの怒りをこれでもかと体現するように、熱は唸りを上げ続けた。そうして、どれだけの時間が経っただろう。溶岩はすっかり冷えて固まり、星はキラキラと数え切れないほどの光を孕んだ宝石となって、宇宙に輝いていた。荒れ野だった星が、見間違えるほどの輝きの大輪を咲かせて、太陽にも引けを取らない美しさを着飾る。そうしておれは、誰もいなくなった煌めきの渦中で一人、ぽつりと呟いた。
「あぁ。おれは、どこかで愛していたのかも、しれないなあ。」




