終曲
「ほらっ! 横澤っ! 今日は私たちと一緒に朝まで飲むか!」
「そうそう! 夏見くんにフラれたモン同士でさ、愚痴でも言いながら飲もう!」
梓に言い負かされ呆然とする泉水の両サイドを、バイオリンの女性先輩二人がガッチリと腕を組んでそのまま連れていこうとする。
その後ろ姿に純平が呼びかけた。最後の別れの言葉のために。
「横澤っ、あの時はいい加減な付き合い方をして、本当にごめん。でも、俺の後輩としてずっと、横澤の幸せを願っているよ」
泉水がその言葉に振り向くと、自分が一番好きだった純平の優しい笑顔と、その腕の中には純平が愛してやまない梓がいた。
泉水から見た梓は、純平に愛され、美しく、幸せに包まれている顔をしている。時折見つめあう二人の中には、確かな信頼と深い愛情が見て取れた。
自分の独りよがりな愛情など、到底敵うわけがない。
その姿を見せられてやっと、泉水は気づくことができた。
どんな理由で二人が別れてしまったのかはわからないが、会えない期間も変わらず想い合っていて、再会した今はお互いを必要としている。自分が強引に押し切って付き合ってもらったのとはあまりにも違いすぎた。
自分は最初から勝負にもなっていなかった。告白をOKしてもらえただけで、有頂天になっていただけなんだと。
それなら最後くらい、可愛い後輩でありたい。その想いを胸に泉水は純平と梓に言葉を贈った。
「じゅ・・・夏見先輩・・・・・・これまで迷惑をかけてごめんなさい。彼女さんと・・・お幸せに」
泉水はそう告げると、女子だけで二次会をすると言って、先輩たちと共にその場から離れる。
すると、その輪から一人抜けてきた千晴が、純平と梓の元にやってきた。
「夏見先輩、それと遠山さん、あの子に・・・泉水にちゃんと言ってくれて、ありがとうございました」
「三吉・・・」
「私も遠山さんの言う通り、泉水は夏見先輩を一途に追いかけている自分に酔っているんだと思っていました。でも、私が言ったところで説得力もなく・・・だから、ちゃんと言ってくれて良かったです。それと・・・お二人とも、末永くお幸せに。それでは、失礼します」
親友の痛ましい姿を見続けていた千晴は、泉水の目を醒まさせてくれた純平と梓に感謝を伝え、ペコっと頭を下げると、再び女子会の輪の中に帰っていった。
遠ざかる女性たちを見送った後、遠巻きに見ていた五十嵐たちがホッとした顔で出てきた。
「うぅー・・・、横澤が乱入した時はどうなるかと思ったけど、何とかなったな!」
「いや、五十嵐先輩、全く何の役にも立ってませんでしたね」
「厳しいこと言うなよー」
一連の騒動をただ傍観していた男性陣は、もはや肩身が狭い思いをしていた。そこでチェロの亜衣子が、初めて梓に話しかけてきた。
「遠山さんの話しぶり、さすがだったね」
「え・・・・・・あ、申し訳ないです。みっともないところをお見せして・・・」
「ううん、さすが飯倉真純の娘は迫力があるなって、感心してたんだよ」
「!!!!!」
純平も梓も、梓が飯倉真純の娘であることはひとことも言ってない。にもかかわらず、亜衣子はすでに知っているかのようだった。
「え? えっ!? 遠山さんが、飯倉真純の娘!?」
「ど、どういうことだよ! 夏見!!」
これには五十嵐をはじめ、同じバイオリンの同級生二人も黙ってはいない。唯一チェロの後輩男子だけは、我関せずで口を挟まず場を見ていた。
「亜衣子先輩、なんで・・・それを・・・」
純平が亜衣子に尋ねると、亜衣子はそれを知った経緯を説明する。
「ほら私、飯倉真純の凱旋コンサートのチェリストオーディションに参加したって言ったでしょ? そのオーディションの空き時間にね、飯倉真純が話しかけてきたんだ。とっても気さくに」
「は、はぁ・・・」
「その時にね、私のマイエンジェルって言って、遠山さんの写真をみんなに見せていてさ。離婚して元旦那さんの方に引き取られたけど、今は一緒に住んでいるって。だけど、近々日本に帰さなきゃいけなくて寂しいって。本人も帰りたそうにしているし、純平に会わせたら絶対に取られる・・・みたいなことを言っててさ。やっぱそれって、夏見くんのことだったんだ」
そう言って亜衣子は笑っているが、他の全員誰も笑っていない。
「お、お母さん・・・」
「真純さん、やっぱりわかってて帰国を遅らせてたのか・・・確信犯だな」
「そう言うってことは夏見、本当にそうなんだな・・・?」
五十嵐が純平に恐る恐る尋ねる。
覚悟を決めた純平は一つ大きく息を吐き、その場にいる全員に告げた。
「そうですよ。梓は正真正銘、飯倉真純の娘です」
純平がそう言い切ると、亜衣子以外の男性たちが騒ぎ出す寸前「でも!」と話を続けた。
「今は俺の・・・夏見純平の婚約者です。なので、これからも俺の婚約者として梓を見てください。お願いします」
純平はそう言うと、ぺこりと頭を下げた。それにつられて、梓も頭を下げる。
「おっ、おいっ! やめろよ夏見!」
「そうだよ! そんなことしなくても、ちゃんと遠山さんのことはそう思ってるから!」
「ほらっ、遠山さんも頭上げて!」
まさか二人に頭を下げられるとは思わず、五十嵐たちは焦って二人の頭をすぐに上げさせた。
「俺たちはそんな色眼鏡で遠山さんを見たりしない。だから、夏見も遠山さんも後ろめたく思う必要はないよ」
「すごいなーって思うけど、単純にそれだけだから!」
純平と梓は、その場にいる人たちが自分たちに対して、温かい目を向けていることに気づき、ホッと一息つく。
「まあでもさ、さっきの横澤への対応もそうだけど、二人ともお似合いだよ」
「それにさ、どんな事情があって10年も離れていたのかは知らないけど、夏見、もう離すなよ」
同級生にポンっと肩を叩かれた純平は、それに対して力強く答える。
「ああ、もう二度と離さないよ」
その言葉を聞くなり、再び揶揄うだけ揶揄ったオケのメンバーは、
「結婚式には絶対呼べよー!」
「おめでとうな!」
「幸せになれよー!」
と言いながら帰っていった。
「梓、なんか今日はいろいろ・・・ごめんな」
帰宅した二人は、風呂と寝支度を済ませ、早々と布団の中に潜り込んでいた。明日も通常通り仕事のため、早く寝ないといけないと思いつつも、純平は今日の飲み会を振り返り、考えているうちに眠れなくなっていた。
「やだ、純平くん。謝らないでよ。私の方こそ、ちょっとエラそうだったなって思ったし・・・」
「そんなことない。梓の言葉・・・嬉しかった」
ベッドで横になって向かい合い、二人は今日のことを話していた。
純平は梓の頬を優しく撫でながら、梓が泉水に放った言葉を思い出していた。
「私ね、純平くんから彼女の話を聞いていなかったら、たぶん、あんなこと言えなかったと思う。今日、彼女に私の純平くんに対する気持ちを伝えられたのは、純平くんがちゃんと私に話してくれたからだよ」
「梓がそう言ってくれると・・・ちゃんと話して良かったって思う。ありがとう、梓」
「私の方こそ、きちんとみんなに紹介してくれてありがとう」
二人はお互いに礼を言い合いながら、その日は眠りに就いた。
1年半後―――
夏の日差しが眩しいこの日。
純平と梓は、二人が通っていたバイオリン教室のある町で結婚式の日を迎えた。入籍は半年前に済ませていたものの、ドイツにいる真純の都合を考慮したためこの日に執り行うこととなった。
それほど大きくないチャペルでの挙式の際、征司の腕にエスコートされて入場した梓のウェディングドレス姿に、参列者全員がほぅ・・・とため息を漏らす。
純平に至っては梓の姿を見て、その後の段取りを飛ばしそうになっていた。
誓いのキスを交わすと、真純、花純、房恵、加夜子の四人は手を取り合って号泣し、梓の祖母の喜代は、終始ニコニコと笑顔を絶やさずにいた。
それから場所を移して披露宴が行われた。
橋本や吉田、江口、岸本など高校の同級生のほか、2年生まで担任だった鈴木先生も出席した披露宴は、慎ましくも幸せなオーラに包まれている。
そして親族の席では――
「夏見先生、まさかこうして本当に縁続きになるなんて・・・とても感慨深いです。これからもどうぞ、末永くよろしくお願いいたします」
「そんなっ遠山先生、こちらこそよろしくお願いします」
「セイジ! それにコーヘイ! カンパイしよう~」
「ライナーさん、さっきから何度目ですか・・・」
「カンパイは何回してもいいでしょう?」
「おっ! ライナーさん、さすがドイツの方はビールがお好きなんですね」
「僕にとってビールは水みたいなものだよ! ハイ、それじゃあカンパーイ」
父親三人は、すでに飲んだくれていた。
一方、母親たちは―――
「喜代ちゃんっ! 梓がっ、私の可愛いマイエンジェルが・・・お嫁にぃ~!」
「ほら、ほら、真純。もう泣かないの」
「だって・・・だって・・・!」
梓が結婚したことを嬉しくも寂しく思う真純は、なぜか喜代に泣きついていた。征司と真純は幼馴染で、喜代も昔から真純や花純のことをよく知っている。ゆえに、離婚した後もこうして真純は喜代に甘えているのだ。
「花純先生、真純さん、大丈夫ですか?」
「まあ、喜代ちゃんがいるし大丈夫ですよ。しかもあの人、まだ1滴もお酒を飲んでませんから」
「えぇ!? あれで!?」
「この雰囲気と、あのあまーい二人に酔っちゃったんじゃないですか?」
「・・・なるほど」
そうして房恵と花純と加夜子が見つめる先には、本日の主役の純平と梓が、高校の同級生達と楽しそうに会話をしている姿があった。
それからも披露宴は滞りなく進み、余興の時間となった。
これから純平と梓による、バイオリン二重奏が披露される。
二人が選んだ曲はもちろん思い出の曲。
J.S.バッハ作曲『2つのバイオリンのための協奏曲 全3楽章』だ。
二人がバイオリンを構えると、騒めいていた披露宴会場もシーンと静まり返る。二人は目と呼吸を合わせて弾き始めた。
華やかな第1楽章は梓のバイオリンで始まる。
それを追いかけるように、純平のバイオリンが重なっていく。
華やかでそして時には音遊びを楽しむように、2本の独立したバイオリンの音色が響き渡る。
バラバラなようで繊細に重なる音が二人を強く結んでいった。
続く第2楽章は、いまや夫婦となった純平と梓が静かに愛を語らうように音が紡がれていく。お互いを慈しみあい、思いやり、支え合いながら寄り添っているかのようなメロディーが披露宴会場を包んでいた。
そして最後の第3楽章は、それまでの曲よりも激しさを増し、それでも2本のバイオリンで互いの音を引っ張っていく様は、まるで人生の荒波を二人で手を取り合い乗り越えていくようにも感じられる。
二人で音を合わせるところはとても力強く、そして何があっても離れないという芯の強さを思わせる、そんな音だった。
約15分に及ぶ二人の演奏が終わると、披露宴会場中から大きな拍手が鳴り響く。
純平の大学時代の先輩である五十嵐や、大学オケのメンバーも参列しており、二人に対して惜しみない拍手を贈っていた。
「ブラボー! 夏見! 遠山さん!」
「あの二人の二重奏をまさかこんな形で聴けるなんて・・・!」
「最っ高のバッハだった!!」
大学入学前から注目されていた二重奏ペアの演奏を生で聴いたオケのメンバーは、二人の演奏に圧倒され、興奮冷めやらぬ状態だった。
バイオリン講師として一緒に歩んでいる二人だが、その実力は高校時代よりも確実に上がっている。その二人の演奏を聴いて、心を揺さぶられるのは当然のことだった。
演奏が終わると、純平がマイクを手に挨拶をし始めたため、参列者は二人に注目する。
「いま演奏したこのバッハは、僕たち二人がとても大切にしている曲であり、思い出の曲です。この曲をこの場で演奏することができて、とても嬉しく思います。ありがとうございました。そして、これは1週間前にわかったことなんですが・・・」
純平はそこまで言うと、マイクを持つ手に力を入れ、隣にいる梓と目を合わせる。
「いま梓のお腹の中に、僕と梓の大切な新しい家族がいます。これからは、家族が三人となることで、助けてもらわないといけないこともたくさんあると思います。まだまだ未熟な僕たちですが、みなさん、これからもどうぞよろしくお願いいたします」
そう言って純平と梓がペコリとお辞儀をする。そのあとすぐ、
「「「ええええぇぇぇーーーーーー!!!」」」
友人たちはもちろん、二人の家族でさえも、いまこの場で初めて知らされた事実に、全員が驚きと喜びの声を上げた。
「ち、ちょっと! 純平! それホントなの!?」
「私、お祖母ちゃんになるの!? うれしいっ!」
「僕の初孫が・・・梓のお腹に・・・」
「遠山先生! めでたいですな! 飲みましょう!」
「ジュンペイ! 順番は守った・・・のかナ?」
両家の両親+ライナーが何か言っているが、それはどのテーブルも同じだった。ただその場にいる全員が、二人の嬉しいサプライズ報告に祝福の言葉を並べる。
純平は列席者が喜んでいる姿を見たあと、梓のお腹にそっと手を添えた。
「梓、これからは二人で、この子を守っていこうな」
「うん。ねぇ純平くんは男の子と女の子、どっちがいい?」
「俺は・・・とにかく、無事に元気に産まれてきてくれたらそれでいいよ。男でも女でも、梓との子には変わりないし、どっちも愛する自信があるから」
「じゃあ、産まれてくるまでのお楽しみにしておこっか」
「梓がそうしたいなら、そうしようか」
そう言って二人で見つめ合うと、そのまま引き寄せられるように二人の唇が重なった。
純平と梓が奏で続けるバイオリンの音色を聴きながら、二人の愛の結晶は、数か月後に対面の日を迎えることになるだろう。
そうしてこれからも、純平と梓は共に支え合い生きていく。
二人の愛の話はまだ始まったばかりだ――――――
~完~
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございます。
純平と梓のお話はとりあえず最後となります。
実は本編完結後、私がどうしてもやり残したことがあったため、新作を執筆しながらひっそりとこのお話のプロットを練っておりました。
私が心残りだったこと。それは・・・
まず、純平の電話番号を変更していなかったこと。これは、本編のどこかで入れたかったんですが、その話をするとどうしても横澤泉水が出てくるので、非常に話が長くなるため、泣く泣く削ったのです。
それと同時に横澤泉水とも決着をつけないといけなかったので、このような形になりました。
あと、バイオリンの話なのに、バイオリンを演奏してないじゃん! と思い、結局、かなりボリュームたっぷりのスピンオフとなってしまいました。
それでも、最後まで書ききれたのは、応援してくださる皆様のおかげです。
本当にありがとうございました。
新作の方もがんばりますので、引き続きお付き合い下さると幸いです。
それでは、また!
AYANO




