紹介
それからあっという間に1週間が過ぎ、大学オケのメンバーでの飲み会当日。
大学オケといっても、来るのは全員バイオリンを中心とした弦楽器のメンバーで、管楽器・打楽器のメンバーはいない。
純平は五十嵐に電話番号を変更したことを伝えるため連絡した際、それとなく横澤のことを聞いてみた。
『ああ! あれな。ピアノ科も誘おうかって話だけで、まだ誘っていなかったから、その話はなくなったよ。大丈夫、心配すんなって』
「そうですか。すいません、無理言って」
『はははっ! 気にすんな。それに関しては逆に俺らが謝らないといけなかったんだからさ。悪かったな。それじゃあ土曜日、待ってるな』
「はい、失礼します」
泉水が来ないことを確認した純平は、ひとまず安心する。
梓が不安になったり、不快になるようなことはどんなに些細なことでも避けておきたかったからだ。ましてや、泉水については全く些細でもなんでもないので、来ないという情報は純平にとって朗報だった。
「夏見先生、遠山先生、さようならー」
「さようなら。気をつけて帰ってね」
「はーい!」
この日最後の生徒を見送ると、純平と梓は急いで締めの作業に取り掛かる。
「そういえば先生方、今日何か予定があるって言ってましたよね」
「そうなんですよ町田さん。だから、ちょっと急いでて・・・」
「そんなことなら、私にお任せください!」
町田はそう言うと、くノ一の如く素早い動きで鮮やかに締めの作業を終わらせる。長年勤める町田の働きぶりには、純平も梓も助けられっぱなしだ。
「す、すごいです、町田さん」
「でしょう? さあさあ、お二人とも。早くコートを羽織って出掛けてくださいね。それではお先に失礼します!」
そう言い残すと、町田はこちらの返事も聞かずに帰ってしまった。
「ははっ、町田さんらしいや」
「私、圧倒されちゃった・・・」
「でも、そのおかげで予定よりも早く着けそうだし、俺たちも出ようか」
町田の活躍のおかげで、予定よりも30分早く指定された店に着いた純平と梓は、店のスタッフに予約名を伝えると、すぐに個室へと案内された。
「お疲れさまです」
まず先に純平が中にいる人たちに声を掛けるため顔を出す。
「おおっ、夏見!」
「きゃあ! 夏見くん!」
「王子様がきた!」
などと、顔を見せるなり大歓声で出迎えられる。ちなみに五十嵐曰く、梓のことはサプライズにするため、五十嵐以外のメンバーは今日ここに梓が来ることを知らない。
「夏見くぅん、ここ、ここに座って」
「ちょっと! なに独り占めしようとしてるのよっ」
「いいじゃないっ、久しぶりに王子に会えたんだからぁ」
「夏見くんはみんなのものって決めたでしょっ」
五十嵐と同い年の女性先輩二人が、純平の座る場所で揉めだしたため、五十嵐がすかさずそれを宥める。
純平はいつそんなの決まったんだ? と、ただただ苦笑いを浮かべていた。
「おら、そんなみっともない姿見せて・・・夏見が引いてるだろ。それと夏見、俺たちに報告があるんだろ?」
「あ・・・はい。梓」
純平はみんなから見えない位置に立っていた梓を呼び寄せる。そして、恐縮しながら姿を見せた梓の腰に手を回し、その場にいる全員に見せつけるように並び立った。
「あの・・・俺の婚約者の、遠山梓さんです」
「初めまして、遠山と言います。純平くんとは高校の同級生で、バイオリン二重奏のパートナーをしていました」
「結婚式とか、具体的なことはこれからなんですが、皆さんにはご報告しておこうと思いまして・・・」
ちょっと照れながら純平が話していると、先ほどまで騒いでた女性先輩たちはショックで言葉にならないのか、口を開けたまま呆然とする。
それに構わず五十嵐は純平と梓を自分の横に座らせ、女性先輩たちが純平のためにと空けていた席はすぐに詰められてしまった。
純平と梓が加わったことによって、飲み会のメンバーは十人になった。二人を除くと、バイオリンは女性三人、男性二人、チェロが男女一人ずつ、そしてヴィオラの五十嵐というメンバーだった。
他にもいるが、今回都合がついたのがこの面子のようだ。
純平の取り合いをしていた女性先輩は二人ともバイオリンで、もう一人のバイオリンの女性は純平の一つ下の後輩だった。バイオリンの男性は二人とも純平の同級生だ。
「遠山さんは夏見の二重奏のパートナーって言ってたけど、もしかして、その時から付き合ってるの?」
梓に質問してきたのは、同じバイオリンの男だった。
「はい・・・高校3年生の時に・・・」
「あれ? でも夏見、大学入った時は彼女はいないって言ってたよな?」
「あー・・・、梓は、高校卒業後にドイツに渡ったんだ。そのあと10年連絡を取ってなくて・・・でも、去年のクリスマス直前に再会して、それでまた付き合うことになって、その直後にプロポーズしたんだよ」
「もしかして、ずっと忘れられない子がいるって言ってたのって、遠山さんのこと?」
「・・・・・・うん。お互い嫌いで別れたわけじゃなかったし、実際俺は梓のことがどうしても忘れられなかった。10年ぶりに再会した時は、身体が震えて涙が止まらなかった。それくらい好きなんだ」
そう言い切ると、テーブルの下で純平は梓の手をギュッと握った。
「なんだよ、見せつけるなよ夏見」
「そうだ! そうだ! こっちは別れたばっかだというのに・・・」
純平の同級生はそう言うと、羨ましそうに二人を見て茶化してきた。
それから純平は、梓と一緒にバイオリン教室の講師をしていることや、すでに同居していることなどを報告する。
幸せそうな顔をして報告している二人を見ていると、最初こそショックを受けていた女性の先輩たちも、この二人に割り込む隙などないとあっさり負けを認め、それ以降はおとなしくなっていた。
「そういえば亜衣子先輩、飯倉真純の日本凱旋コンサートのチェリストの最終オーディションまで残ったんですよね。飯倉真純本人に会えたんですか?」
純平の同級生が、チェロの亜衣子に飯倉真純の話題を振ったことで、純平と梓にはこれまでとは違った緊張感が走る。
「うん、飯倉真純本人が来て、一緒に演奏したよ。やっぱり彼女のバイオリンは凄いよね。繊細なのに大胆で、それでいて正確で。当たり前だけど、世界で活躍する人の音って、やっぱり違うんだなって思った。オーディションは残念ながら落ちちゃったけど、最終まで残って彼女と演奏できたのは、一生の思い出よ」
「へぇ・・・、私も会ってみたーい。でもさ、実際会うどころかコンサートのチケットも入手できないでしょ」
「そうだよねぇ・・・。みんなどうやってゲットしてるんだろ」
この時純平も梓も、この話題には一言も触れまいと口を閉ざしていた。
しかし、こういう時に限って、頭の回る人がいるのも事実だ。
「そういえば夏見。お前のバイオリン教室、確か飯倉真純の妹さんがオーナーだったよな? そもそもどうやって知り合ったんだ?」
五十嵐に聞かれた純平は、ここは素直に話すことにした。
隠そうとすると余計なことまで言いかねないので、事実は事実として話すほうがマシだと判断したからだ。
「えっ・・・と、飯倉真純の妹の飯倉花純先生は、俺がずっと師事していた先生なんです」
「えぇ!?」
「そうだったんだー」
「えっ、じゃあ夏見の先生ってことは、遠山さんもその先生に師事していたってこと?」
「・・・はい」
純平も梓も嘘は言っていない。花純に師事していたことは紛れもない事実だった。
そして、その話が意外な方へ展開された。
「あ・・・そういえば、ちょっと待って。確か夏見くんって、高校3年生の時のコンクールで二重奏で1位を獲ったんだったよね?」
「あ・・・はい、そうです。よく覚えてますね」
「もしかして、彼女がその時のパートナー?」
「?? そうですよ。俺は、梓以外と二重奏はしていませんから」
笑顔でそう話す純平に、主にバイオリン科のメンバーは、なるほどと納得するような顔をした。
「そっかー・・・もう一人の実力者は遠山さんだったか」
「え・・・? 実力者・・・?」
予想外のことを言われた梓は、キョトンとした顔をする。
「そうだよ、知らなかったの? あのコンクールの二重奏ペアが、もしかしたらうちの大学に入ってくるかもしれないって、みんな話していたんだよね。でも結局、入学してきたのは夏見くんだけだったから、みんな残念がってたんだよ」
「夏見くんに聞いても全然教えてくれないし、何か事情があるんだろうとは思っていたけど・・・ドイツに行ってたなんてね」
バイオリンの女性先輩が思い出しながら話していると、純平の同級生が何かを思い出した様子で、ひと際大きな声で話し始めた。
「そうそう! 先輩の話で思い出した。確か、その年のソロで同率2位の二人が二重奏で1位を獲ったから、当時は結構話題になっていたよな」
「しかも、前年の成績を大きく上回っていたから、余計に注目されてたし・・・あの時の夏見のパートナーが遠山さんだったんだ。っていうことは、遠山さんもスゴイじゃん」
「そうだよ! 当時の俺の先生もしきりに言ってたし。あの二人はスゴイって・・・」
「まさか夏見の忘れられない子が、あの時の二重奏のパートナーだったとは・・・」
そこまで話して、全員の目が純平と梓に向けられる。
純平は大学入学以降、こういう話を何度かされていたので慣れていたが、高校卒業後ドイツに渡った梓は、まさかあのコンクールでそんなに注目されていたとは思わず、戸惑いを隠しきれずにいた。
ほぼ同世代のバイオリン科のメンバーとしては、他にもいろいろ聞きたいようだが、梓とは今日が初対面であるためそこまで深く聞くことは出来ず、そのままこの話は終わった。
梓としても、あまり触れて欲しくないことが多く、話が流れたことに安堵する。
「しっかし、夏見が結婚かぁ・・・。これを聞いてどれだけの女が泣くことか・・・」
「ホントだよな。横澤なんて特に・・・」
「しっ!」
純平の同級生が口を滑らせると、それをもう一人が窘める。
泉水の純平に対する未練は、周知の事実となっていた。
「す、すまん・・・夏見」
「いや、別に。もう終わったことだし」
「そ・・・そっか」
「確かに彼女には申し訳ないと思っている。梓を忘れるために付き合ったようなものだから・・・。でも、それも全部正直に話した上で別れたし、今は梓と結婚の約束もした。だから、彼女にも前を向いて行って欲しいと思っているよ」
その言葉はまぎれもなく純平の本心だ。
短い期間とはいえ、付き合っていた子に幸せになって貰いたいと思うのは、自然なことだった。
しかし、諦められないからといって、何度も連絡をしてくるのは違う。
そんなことをすればするほど、純平は遠のいていくのに泉水はまだそれに気づいていなかった。
そして、それを周囲の人間が教えても、泉水は理解しようとしなかった。




