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はじめての街

「それじゃあ出発しようか」


 旅に必要そうな最低限の物を皮袋につめ、僕は言った。


「はい。マルス様」


 エリーザも旅を楽しみにしているようで、先程から準備はまだかと急かされ続けていた。


 まず目指すは、最も近い都市、フェリル。そこで本格的に旅の準備をし、いよいよ世界旅行へ行く算段だ。玄関を抜けると僕は振り返り、家を見る。眠っていた期間は別にしても、この家には数十年の思い出が詰まっている。


 エリーザも僕と同じ気持ちの様で、ほぼ同時に振り返っていた。彼女の記憶はこの家から始まっているのだから、ほとんど生まれ育った家と言ってもいい程だろう。


 旅立ちへの期待。生家への惜別の思い。楽しかった思い出。辛かった出来事。今、彼女はどんなことを考えているのだろうか。出来れば前向きな気持ちであってほしいと願うばかりだ。


 僕らは何も言わず再び振り返り、家を後にした。


                  *


 森は眠りにつく以前より、格段に鬱蒼(うっそう)としていた。


 以前は僕が、定期的に街へ買い出しに行く都合で、森の外へ続く道を切り開いていたのだが、ここ数十年往来が無くなったことが災いし、完全に人間を寄せ付けぬという気概さえ感じさせる程、立派な密林へと変貌(へんぼう)を遂げていた。


 面倒なので、魔法で吹っ飛ばしてしまおうかとも思ったが、そんなことをして街で噂になっては本末転倒だ。進行を妨害する(つた)や枝は、仕方がないので持参した小さなナイフで都度切り落として歩く。


 エリーザが「私がやります」と何度も打診してくれたが、僕も小さくなった体に早く慣れたいという理由で断っていた。


 しかし、その度に彼女が「……お姉さんなのに」とぼやくので仕方なく、前後を交代しながら進むこととなった。


 それは出発してから二時間程度が経過した頃。


「視線を感じます。恐らく魔獣の群れかと思われます」エリーザは小声でそう言った。


 視線には気が付いていたが、僕が考えていたのは別の事だ。


(例の病気が発動しないといいが……)


 僕の願いは一瞬の後に打ち砕かれた。


 すぐ横に立っていたはずのエリーザはまるで、放たれた矢の如く、素早い速度で視界から消えた。茂みの奥からはガサガサバキッという荒々しい音と、時折「キャンッ」という動物の鳴き声らしきものが聞こえてくる。


 彼女はそれから五分と経たない内に戻ってきた。手にはいくつもの狼のような魔獣の死骸が鷲掴みにされており、当然彼女の手も血にまみれ赤黒く染まっていた。


 その顔はとても戦闘の後とは思えないほど清々しい笑顔で、「一匹残らず駆除しました」と報告してくれた。


 先程の並外れた動きを見れば一目瞭然(いちもくりょうぜん)だが、エリーザは普通の人間に比べ遥かに身体能力が高い。それはもちろん体内を巡る魔力のおかげで、常時、身体強化の魔法が付与されているようなものだ。


 以前僕の弟子の一人が、「身体強化して殴るのが最強っすよ」と言っていた気がする。もしかしたらエリーザと彼女は気が合うかもしれない。今度合わせてみることにしよう。


 そんなことを考えながら、僕は彼女の顔にはねた血を袖で拭ってあげた。


 急に触れてしまったからか、エリーザは顔を赤らめて、恥ずかしそうにする。過去そうであったように、年寄りが孫娘にするかの如く自然に行ってしまったが、今の僕は一応男児だ。気軽に女性に触れては失礼かもしれない。今後は気を付けよう。


「なにも全部殺す必要はなかったんじゃない?」僕は空気を変えるため質問した。


「いいえ、マルス様。魔獣は全て駆除です。慈悲はございません」

 彼女はきっぱりとそう答えた。


 過去の記憶が無いとはいえ、もしかしたら深層心理では、魔獣に対する恐怖や憎しみのようなものがこびり付いているのかもしれない。


 以前もたまに森に入っては狩りと称して、魔獣を狩っていた事を今、思い出した。


「私たちが眠っている間に、誰がこの森の(ぬし)かを忘れてしまったようですね」


 どうやら彼女はこの森の主だったらしいという事実を、数十年の時を経て知ることになるとは思ってもいなかった。


(ぬし)やってたんだ。すごいね」


 僕は若干引き気味に、とりあえず褒める事にした。


 彼女は「ええ。少々……」と意外な特技を披露しました。とでも言いたげな顔をした。


 そこからも、度々魔獣には遭遇したが、例の如く、エリーザが全て、洩れなく、粉砕してのけた。


 そして三日目のちょうど昼を過ぎた頃。


「ようやく街道に出たよ。前はここまで掛からなかった気がするけど、やっぱり道が無いのがきつかったよね」


 目の前から密林が消え、踏み(なら)された道が横たわっている。


「お疲れさまでした。ここからは道なりですので、迷うこともありません。それにしても、ここ数日で子供らしい言葉遣いが上達されましたね」


 そう。家を出てからというもの、子供らしい振る舞いを徹底して叩き込んでいるのだが、どうやらその甲斐はあったようだ。


「でしょ! 僕もそう思っていたんだ」

「はい。これなら一般家庭出身の子供といっても、疑う者はいないでしょう」


 そういいながらエリーザは僕の頭を撫でる。どうやら頭を撫でる事が、彼女のお気に召したようで、道中も事あるごとに撫でられたものだ。いい加減反発するのにも疲れたので、今はもう好きなだけ撫でさせることにしている。


                  *


 街に着いたのは、それから更に二日後だった。


「旅の者か? 何か手形(てがた)を持っていたら提示してくれ」


 僕は以前、手形のために冒険者登録をしていたが、それを使ったら自分がミハイル・マルキスだと喧伝するようなものだ。


 エリーザに目配せする。彼女は意図を汲み取ったのか、対応してくれた。


「すみません。この街には初めて訪れたので、持ち合わせておりません」

「そうか。なら一人銀貨一枚だ」


 門衛(もんえい)に言われるがまま、袋から銀貨を二枚差し出した。


「結構。手形を用意するので、しばらく待っていてくれ」


 僕はもう一人の門衛に質問する。


「お兄さん。他の手形? があると何か良いことがあるの?」


 冒険者や商人の手形があれば街に入る際の税が安くなることは知っている。知りたいのは、現在の貨幣価値だ。


「ああ。冒険者組合や商人組合の発行した手形があれば、街に入る時に渡すお金が減るんだよ。今は銀貨を一枚渡したね? もし坊やが冒険者なら銅貨五枚で入れるんだ。すごいだろ」


 強面(こわもて)の門衛は、印象に反し、僕に目線を合わせるようにかがみ、優しく教えてくれた。


 銅貨五枚という事は銀貨の半値という事になる。冒険者組合や商人組合は国を跨いだ組織だ。きっとその手形は他の街でも有効だろう。依頼をこなす必要が出てくるが、登録しておいて損という事は無いはずだ。買い出しが終わったら、組合に顔を出すことにしよう。


「待たせたな。これが手形だ。街にいる間は常に持ち歩くように。もし持っていなかったら最悪、捕まることもあるから注意しろ。紛失の際は衛兵(えいへい)駐屯所(ちゅうとんじょ)に行くんだ。金はかかるが、再発行できる。何か質問はあるか?」


「いいえ。ご親切にありがとうございます。それでは」


 エリーザは僕の手を引きながら、門をくぐった。僕はというと、門衛に手を振る完璧な演技をしてみせた。


「とりあえず無事に入れたね。……うーん。とりあえず服かな」


 いい加減、このボロの布を何とかしなければ、宿にも泊めてもらえなさそうだ。きっと先程の門衛も僕らが税を払えるかハラハラした事だろう。


 僕らはそのままの足で、仕立て屋へ向かうことにした。


 店に入ると、人型の胸部をかたどった木型にいかにも高級そうなドレスが飾ってある。もしかしたら入る店を間違えたかもしれない。


「あら、注文かい?」


 奥から出てきた老婆は年の割に小綺麗で、流石仕立て屋というべきか、着ている服も立派なものだった。


 彼女は僕らを上から下まで、じっくりと値踏みするように見ると、「これはひどいね」と笑った。思ったよりも堅苦しい人ではなさそうだ。


「私たちに合う服を数着仕立ててほしいのですが」

 エリーザは本題を切り出す。


「もちろんさ。それが私の仕事だからね」と老婆は片目を(またた)き、ウィンクして見せた。


 右へ左へ上へ下へと言われるがまま回転し、体中いたるところのサイズを測られ、ようやく彼女は手を止めた。


「あんたらの服は特にひどいから、大急ぎで仕事してやるよ。二日後にまた来な。ああそれと、坊やにはあたしの息子のお古を一着やるから着ていきな」


 そういうと老婆は店の奥から子供用の衣服を一式持ってきた。


 彼女の親切に甘えさせてもらい、さっそく服を着替え、支払いを済ませると僕らは店を後にした。


                  *


「晩御飯にはまだ少し早いけど、エリーザは見てみたいところある?」


 彼女は少し考えたが、「街が見渡せる場所はあるでしょうか」と言った。


 それならいいところを知っている。僕は彼女の手をつかむと「おいで」と走りだす。


 街の中心にそれはあった。


 住民に時を告げる時計台。本来は立ち入ることが出来ないが、昔、酒の席で偶然出会った、時計の技師が、「酒を一杯おごってくれたらいいこと教えてやる」というので、興味本位で奢ってやった事がある。


 彼が言うには、石造りの時計台の裏には一か所だけ木の板がはめてあり、一見、修繕(しゅうぜん)か何かの後の様だが、その板は角を蹴ってやると僅かに回転し、その隙間から中へ入ることが出来るのだという。


 その先には見上げるほど高い壁に、金属の踏み台がてっぺんまで一定の間隔で打ち込まれており、技師達はそこから屋上に上り時計の調整をするのだとか。


 その時は話半分で聞き流してしまい、実際に言ったことは一度もなかった。


 僕らは早速時計台の裏側へ回り、壁を見てまわる。そこには確かに、壁を修理したようにはまっている真四角の板が存在した。


 記憶を頼りに、その角を軽く蹴とばしてみる。が、ピクリとも動かない。あの技師、もしや酒のために嘘をついたのかと思い始めた時。


「ここを蹴ればよいのでしょうか?」とエリーザが板を蹴った。


 ガコッという音と共に、板は数十度ずれた。


 僕はバツが悪い気持ちを味わいながらも、また彼女の手を引き、中に入った。


 内部は二人が入ると窮屈(きゅうくつ)な程狭く、暗かった。それでも、前には確かに手すりになりそうな金属が刺さっているのが分かる。


 僕が登り始めると、エリーザもそれに(なら)うように登り始めた。


 登り始めて五分程で目の前が、段々と明るくなってきた。


 手すりが終わり、床らしき場所によじ登ると、そこには一辺二メートル程のスペースがあった。後から登ってくる彼女に手を差し出し、引き上げる。


 エリーザが床に立つのを見届けると、僕は嘘をついていたと疑ってしまった技師に心の中で詫びた。


(次会うことがあったらまた奢るから、どうか許してくれ。もう亡くなっているとは思うけど……)


 懺悔(ざんげ)も済み、ホッと一息ついていると、エリーザが固まっていることに気が付いた。


 その視線は僕ではなく、その先を見据えていた。


「もしかして、高いところは苦手だった? だとしたらごめんね。すぐに降りたっていいんだよ」


 しかし、彼女は何も言わない。


 彼女の見ている先が気になり、僕も振り返って確認する。


 そこには、燃えるように真っ赤に染まっていく街の姿があった。


 日が沈み始め、店を畳む男や、夕飯の買い出しだろうか、野菜を抱えた女。家路につく子供。街に住む人々の営みが、一望できた。


 僕もつい言葉を忘れ、見入ってしまう。


 エリーザのためにと、始めてみた旅ではあったが、よくよく考えれば、僕だって研究にかまけ、それ以外の事に心を動かされる事などほとんど無かった。


「世界とはこんなにも美しいのですね」

「ああ。私も初めて知ったよ」


 僕らは日がすっかり落ち、夜を迎えるまでずっと、街を眺めていた。

 その手はお互いの存在を確かめるように固く握られているのだった。

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