34話「逃げる権利」
「…フン、まあ良い。今なら、誰も貴様を責める者はおらぬ。負け犬らしく、堂々と逃走するがいい」
ソレは『毒森から、逃げても良い』という、甘い誘惑。
「たしかに、逃げたい。逃げて、ダンボールの家でゴロゴロしたいかも」
「フン。くだらぬ願望だな」
「でッ! でもッ」
華白は声を裏返し、カケルの寝顔を目頭を熱くさせながら見つめた。
「わたしが逃げちゃったら、カケルが一人になるかも」
「……だろうな」
「この人はッ! わたしの全て…だから、置いていくワケにはいかない。わたしは彼の『夢』のために、この森に来た…から」
「随分、気色の悪い『夢』だな」
不安に震える華白の瞳。氷柱のように冷ややかな雷昂の瞳。二つの視線がバチバチとぶつかり合う。雷昂は「フン」と鼻で笑い、呆れたように肩をすくめた。
「『愛する男』の為に、絶望の道を歩く……か。馬の骨らしい三流の筋書きだな」
「ええ、愛する人?! 」
雷昂は『華白の動機』を馬鹿にしたのだが……
愛する男……というワードに、華白は別の意味でパニックになった。
「わ!わわわ、わたしは、カケルの幼なじみで! べ、べつに彼女じゃ! 」
顔を赤らめ、俯きながらモジモジと身をよじらせる華白。
「……分かり易い女だ。まるで煩悩製造機だな」
「ヘンテコな機械、勝手に作らないでほしいかも」
呆れ気味の雷昂。慌てふためく華白。
下らない会話お陰で、二人の間の空気が温かくなってゆく。そして……
「それがしは、一旦ここから離脱する」
雷昂はゆっくりと立ち上がり、華白とカケルに背中を向けた。
「2~3時間もすれば、小憎は立てるようになるだろう」
「ど、どこにいくの? もしかして一服してくるとか? 幼女のくせに生意気かも」
「それがしが、喫煙するような外見にみえるか? 」
「『結界鳥居』の状態を確認してくるだけだ。馬の骨、キサマも暇なら、その辺を散歩してても構わんぞ」
「ううん、わたしはここにいる。カケルのそばで見張っとくかも」
「心配性なヤツめ。フン、好きにするがいい」
ぶっきらぼうに言い捨て、雷昂は引き戸を開けると寝室から出て行った。
………
寝室の中は静寂に包まれ、華白とカケル以外は誰もいない。
スヤスヤと寝息を立てるカケル。華白は、疲れきった幼馴染の寝顔を母親のような表情で見守った。
「とりあえず、よかった~カケルが、息してて」
(でもぉ、ほんのちょっとだけ……瞼が重い、かも)
「?! ヤバッ。盛大に『寝落ち』しそうだった」
自分の頬をパチンと叩いて、忍び寄る睡魔を追い払おうと試みる。
「寝てるヒマなんか、ない。監視役は……わたし、しか、いない」
雷昂の説明どおり、この神社は安全かもしれない。だが、華白からしてみれば未知の領域そのもの、どこかに危険が隠れている可能性も0じゃなかった。
「眠ってるヒマなんてない。徹夜でボディーガードしなくちゃ」
しかれども、睡魔に抗えば抗うほど、瞼が重くなる。
「わたしが、カケルを守らない、と……」
虚ろな声で決意を呟きながらパタンと背中から倒れてしまい、華白の意識はそのまま暗闇の淵へと落ちていった。




