20話「硫酸の血」
「どうしよう…… 『走って』逃げる? でも、コボルトの足はジェット機よりも速いし」
足りない知恵を回転させ、足元にあるアサルトライフルを横目でチラ見する。
(て、鉄砲で戦う? ダメだ~。鉄砲の使い方なんか、チンプンカンプンかも)
対するコボルトはカミソリのような爪を煌めかせ、華白の首を睨んでから…
「ギィ、ガ!」
ジェット機を凌駕するスピードで獲物(華白)へ急接近した。
「来たァ?!」
瞬間、華白の視界がスローモーション映像のように刻まれてゆく。
「あ、あれぇ? 丸見え、かも…」
何故だか、音速で動き回るコボルトの一挙一動を認識できたのである。
「し、視界がゆっくり動いて、る? 」
突然進化した己の視力に驚嘆しながら、目を閉じて両腕で顔を庇う…今はコレだけで精一杯だった。
(コボルト相手に、こんな事しても! 両手が一刀両断されちゃうよ)
「ギィエッ」
コボルトは前のめり姿勢のまま疾駆。華白の眼前へ躍り出て、鋭い爪を急加速し。上から下へ、容赦のない一斬りを放った。30tもの衝撃力が華白の両手に伝わり、彼女の姿勢が斜め横にふらつく。
「いッ! たぁ~」
華白の両腕に、灼熱の痛みが染みわたる。
(お腹を貫かれて、腕を切り落とされて、最低最悪の日だあ~)
今日は厄日だ! と嘆き、恐る恐る目を開いて『おそらく、切り落とされた両手』を見てみる。しかしながら、華白は手の有様を見て声を裏返してしまった。
「うそォ! 手が、つながって……る? 」
それどころか、両腕とも「かすり傷」程度のダメージしか負っていなかった。
「確かにバッサリ成敗されたはず。なのに、かすり傷で済むなんて」
体の異変に戦慄し、朧気に『異変の症状』を理解してしまう。
(コボルトのはチタン合金の鉄砲だってグシャグシャにしちゃう。そんな奴のインチキ攻撃を凌ぎ切った。と、言うことは、多分……)
「わたしィの体、頑丈になって、る……」
推測してみた結果、華白の体が『チタン合金以上の強度を備えている』…という、常軌を逸した事実を立証していた。
「でも、わたしィの体、おかしくなったの? 」
どういう理由で、体が突然変異しまったのか?
その理由を探る前に、華白はもう一つの『異変』に気づいてしまう。それは、コボルトの斬撃によって刻まれた両腕の傷痕にあった。
ポタ、ポタポタ、ポタ……
傷跡から滴り落ちる『己の血液』を見て、華白はゾッと凍えついてしまう。
「み、緑色の……血ィ」
両手の傷口から『緑色の血』が、流れ落ちていたのである。
「ひッ、ひィ。わたしのッ! 血の色が、変わって?! 」
合わせて、相手側の様子が一変してしまう。
「ギィッ! アアアアアアアアアアアアアアアアア! 」
「ええ! こ、コボルトの様子が…」
絶叫し苦しむコボルトの様子を注視してみると、『緑色の血』がコボルトの爪にベットリと付着していることが分かった。
「わ、わたしの腕を攻撃したとき……緑の血が爪についたんだ」
なお且つ、「ジュ―」と……物が溶ける音が連なる。コボルトの鋭い爪がドロドロに溶け、原型を失った爪先から煙が立ち昇る。地獄のような惨劇を前に、華白はガスマスクの中で口をアングリと開けてしまった。
「わたしィの血がぁ、アイツの爪をドロドロに『溶かして』る……」
認めたくないし、信じたくないが…華白は、自身の血液が「別のなにか」に変異した……と理解してしまった。
「み、緑色の血。なんでも溶かしちゃう……り、硫酸の血」
「ギィ! ギィ! ゲェッ! 」
華白の血に爪を溶かされ、コボルトはあまりの苦痛に地面をのたうち回った。絶叫するコボルトを見下ろし、華白は自分自身に戦慄してしまった。
「頑丈な体……硫酸の血……これじゃ、クソ映画のヴィランかも」
(イヤだ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! )
「はッ、ハァハ、あッ……」
頭がズキズキと痛み、嗚咽が喉奥から込み上げてくる。
「あッ、うッ! きもちわるい。は、はきそう……かも」
もはや逃げる余裕などない。吐き気を抑えて、肩を震えさせるだけで精一杯だった。




