-overture-<永久封鎖>
序章はもう、切る部分がなく、少々ながくなっておりますが、だれずに見ていただければ、幸いです。
空は、目に痛いほどの蒼穹だった。
“アクゼリュウス平原”
かつては、そう呼ばれた場所だった。
“神國シヴァ”の首都“イス”のすぐ側に在るこの平原は、色取り取りの花が咲き、昆虫や、鳥、動物たちが多く住まう、それは美しい平原であった。
しかし、今はもう見る影もなく、草花が生い茂り、生命の息吹を感じさせていた大地はすでに跡形もなく、焼きただれ、茶焦げた地表がむき出しになっていた。
鳥たちのさえずる声は、とうの昔に消え失せ、今は代わりに、生々しい破壊音と、悲鳴が平原に満ちている。
そこら中に不規則にある不自然なクレーター。
息絶えた、動物たち、そして、人…。
無残に倒された木々の切れ端が、パチパチと空気をはぜる音を立てながら燃えている。
あからさますぎる戦闘の爪痕。
ここは、戦場だった。
「……もう、投降しろ。貴様らに逃げ場など有りはしない」
所々破れ、土埃や血で汚れてはいるが、明らかに軍服とわかる黒色の服を着込んでおり、その徽章は金色の翼と剣がモチーフにされた“帝国ステリア”のそれだった。
男というにはまだ若すぎる。
青年・・・もしくは少年と呼ぶような年齢かもしれない。
白い肌には細かな傷や、煤の後が所々つき、金色の髪は土埃で汚れてくすんでいたが、磨き上げれば目映い、輝く月のような色になるのが想像できた。
エヴァーグリーンの眼には強い意志を宿し、しっかりと前を見据えている。
凜とした声で彼は言葉を投げかけた。
「投降しろ」と、
この、アクゼリュウス平原の目と鼻の先に、神國シヴァの神域イスは、在った。
イスは、イリュリア湖という、大きな湖に囲まれた、小さな島のような場所が、丸々一つ、イスであり、イスを囲む湖には、数多の幻獣たちが住まい、湖を泳いで水路で行こうとも、湖の上を飛び、空路でいこうとも、その湖が、否、湖に住まう数多の幻獣たちが、その行く手を徹底的に阻む。
唯一、イスに入る方法は、このアクゼリュウス平原を越えた場所にある、レウケという橋を渡ることのみ。
青年は、まさにそのレウケの前にいた。
「道を空けろ、シヴァはもう、終わりだ」
その視線の先には一つの人影がぽつんとあっただけだった。
否、人型と言うには語弊があるかもしれない。
背丈は青年と同じか、低いくらいで、確かにそのフォルムは人の形をしていたが、人間だと言うには、歪だった。
その背には歪な翼が生えている。
白く濁った半透明のその翼は、その先と根本は蒼い。
表現するならば、人が天使と呼ぶそれそのものだが、しかし、青年たちにとって、其れは天使とは真逆の存在だった。
“其れ”は、なにも言わず、ただただ青年と、否、青年とその後ろに控える数百の兵たちと静かに対峙していた。
青年や、その後ろの兵たちと違う、しかし一目で軍服とわかる其れをまとっている。
色は白。
にもかかわらず、青年や後ろの兵たちと違い、どこにも破れも、ほつれも、血痕も、それどころか土埃すらなく、たった今、着てきたばかりのように、純白のままだった。
その肌も、透き通るように白く、傷一つとしてみあたらない。
“其れ”からは、全く争いの痕など見あたりはしなかった。
しかし、確かに彼らと、“其れ”は、戦闘していたのだ。
それこそ、この美しく、生命にあふれた大地を、ただの焼け野原にするほどに。
細かな砂や、火薬のにおいを孕んだ熱風が、青年のくすんだ金髪をかき乱す。
毛先が眼にかかりそうになり、閉じそうになる眼をなんとか眼を細めるだけにこらえる。
一瞬たりとも目の前の“其れ”から目を離すわけにはいかなかった。
目の前に対峙しているのが、たった一人であっても、一瞬でも“其れ”から目を離せば、その一瞬の間に、青年の後ろに控える兵の命のいくつかが失われる。
今、青年の前にいるのは、そういうことが出来る生き物なのだから。
熱風は、平等に其れの長く白い髪をも巻き上げていた。
さらさらと、長い髪が風になびいている。
その唇に薄く笑みを浮かべたまま、やはりただ、青年のエヴァーグリーンを見据えるだけだった。
「もう一度言う。投降しろ!貴様に逃げ場は…」
「逃げる?最初からそんなつもりは全くないよ!」
もう一度、青年が言葉を発したところで、その言葉を半ばで遮るように、“其れ”が言った。
鈴を鳴らすような、涼やかな声だった。
たった一人に対峙するあまたの兵たち。
圧倒的に不利な状況でも、その声には、絶望もおびえも、なにも感じられない。
薔薇色の唇が三日月を描き、その微笑が深まる。
白い軍服、白い肌、白い髪…
白で染め上げられるような其れのなかで、瞳のあおだけが、鮮やかに煌めいていた。
天井に広がる蒼穹の蒼よりも、母なる海の青よりも、あおく、美しい、完全なるあおが。
柔らかく振り上げられた、しなやかな腕がゆっくりおろされる。
途端。
争いの熱量を孕んだ熱風が、凍える温度に変質し、地表に霜が降り始めた。
理解できたのは、そこまでだった。
次に気づいたときには、大地から鋭く、巨大な氷柱がいくつも突き出し、無数の兵士たちの肉体を刺し貫いていた。
上がる悲鳴と、死にきれず、うめく声。
氷柱を伝うおびただしい血が、地面を赤く染め上げる。
「けっこう減ったかな?でも、やっぱり君には、当たらないか」
一瞬で無数の命を奪った其れは、無邪気な口調で言う。
言葉の通り、其れがさす、“君”・・・青年には、氷柱は届いていなかった。
それどころか青年の周囲だけが、霜で覆われ、白くなっていたはずの茶焦げた大地が顔を出し、氷柱もまた、青年の周囲に近づいた瞬間、溶かされてしまったかのように、歪な形でその残骸を残していた。
「相性が悪いね、僕らは」
無残に溶かされた氷の残骸をみて、肩をすくめ、急激に冷やされた空気のせいで、白くなった息を吐き出して、其れは言った。
「貴ッ様ぁああああっ!」
兵たちの悲鳴を背後から聞きながら、青年は慟哭し、それに向かって地面を蹴り跳躍した。
一瞬、目映い光が青年の体を包み、次の瞬間、青年の背に、翼が生えた。
そのまま重力に逆らい、青年の体が空に浮かぶ。
翼は、其れと同じく白く濁った半透明だったが、その輪郭はキラキラと黄金の光をまとっていた。
「アポロス!!」
それに向かって、急落下しながら、青年が叫ぶ。
その叫びに呼応するように、青年の右手に急激に光が集まる。
それは、なにもかもを燃やし尽くすような紅蓮の炎の固まりだった。
「君の炎は、好きなんだけれどね」
迫り来る紅蓮を、そのあおに映しながら、ゆるりと微笑を浮かべ、其れは言い、迫り来る紅蓮に対して、左手を掲げる。
「ルシフェラ」
紡いだ言葉とともに、其れの掲げた左の掌に蒼と黒が複雑に混じり合った渦が出現する。
生み出したのは、エネルギーを圧縮した盾だ。
「プロヴィネンス!!!」
「エリュシオン」
紅蓮と蒼がぶつかり合い、激しい爆発音と、衝撃波が巻き起こる。
白く凍らされた大地が紅蓮の熱に耐えきれず、たちまち溶け、蒸発していった。
「もったいないな!君はとても良い<カイツェル>なのに!今からでも遅くない、僕と一緒に来る気はない?」
「断る!!よくもそんなことを言えるなっ!今まで貴様に、こちら側の何人を殺されたと思っている?!<ブルーアイズエヴィル>!!」
「さぁ?知らないね。ぶっ壊した数なんて、いちいち数えていないし…。だいたい戦争を、してるんだ。殺して当たり前だろう?」
エネルギーとエネルギーの、激しい鬩ぎ合いの中、<カイツェル>と呼ばれた青年に、<ブルーアイズエヴィル>と冠された其れが囁きかける。
青年は其れを一蹴すると、よりいっそう青年の放つ光が輝きを増した。
ピシ…と、ひび割れるような音がして、ブルーアイズエヴィルが生み出した蒼い渦に亀裂が入る。
それに、ブルーアイズエヴィルはわずかに眼を細めると、下ろしていた右腕も左腕に沿わせるように掲げた。
両腕を上げたブルーアイズエヴィルを認め、青年はにやりと笑うと、声を張り上げる。
「今だ!!全軍、集中放火しろ!!!!」
「チッ!」
青年の言葉とともに、生き残った兵たちが、一斉にブルーアイズエヴィルに向かい、攻撃を開始する。
其れにとって、対したエネルギーにないにせよ、それが無数になってぶつかってくれば、さすがに蒼い渦は軋んだ音を立てた。
「そういえば、いたんだっけね」
ブルーアイズエヴィルはわずかな亀裂から、蜘蛛の巣状に広がっていく盾を見ながら、忌々しそうに吐く。
「…うっとうしいな!」
吐き捨てるとともに、ブルーアイズエヴィルの輪郭を蒼い光が縁取る。
「クッ…!」
瞬間、急激に上昇したエネルギーが青年の紅蓮を一瞬押し返した。
その一瞬に、ブルーアイズエヴィルは大地を蹴り、後退する。
それとほぼ同時に盾が耐えきれずに、霧散した。
盾という守るものを消失した、ブルーアイズエヴィルにその隙を逃すものかと、一斉に攻撃が集中する。
降り注ぐ光の矢や、生き物のようにうねる流水、そして、鉛玉を、地面すれすれをその背の歪な翼で舞いながら、くるくると、踊るかのように、降り注ぐすべてをすれすれで躱していく。
「いいがげんに…。」
雨のように降り注ぐ様々なエネルギーを躱しながら、ブルーアイズエヴィルは独り言のように低く言葉を紡ぐ。
ボウと、背にある歪な翼の先が蒼い光を帯び始め、再び急速に気温が低下していく。
それをエヴァーグリーンの眼に認めて、青年は焦燥した表情を浮かべ、あらん限りの声で叫んだ。
「防護方陣をはれ!!!!!!」
「うっとうしいんだよっ!!!」
叫び声と、吐き捨てられた言葉はどちらが先だったか。
2つの声を皮切りに、一気にエネルギーが解き放たれる。
鋭利な氷柱のようなそれが、まさしくに雨のようにその一体に降り注いだ。
「チィッ!!!」
青年もすかさず、己の力を解放し、自らの紅蓮の矢で、降り注ぐ氷柱を打ち落としていくが、すべてを打ち落とせるはずもなく、氷柱が大地を砕く音が、悲鳴が、断続して鳴り響く。
其れにより、巻き上がった土埃が青年の視界を塞いだ。
「クッ…」
「ほらほら、余所を心配している場合じゃないだろう?」
「!」
言葉とともに、青年の頭上からも幾多の氷柱が降ってくる気配に、青年はハッとする。
地面を蹴り、勢いをつけて横に飛べば、その一瞬後に、青年がいた場所に氷柱が刺さり、地面を割った。
ランダムに降り注ぐそれを、避け、時には紅蓮の矢で打ち落とす。
悲鳴も、助けをこう嘆願も、なにもかもが舞い上がる土煙の向こう側に消えていく。
あまりに無力な己に、青年は両の掌に爪が食い込むほどに、拳を握りしめながら、己に向かい落ちてくる氷柱をまた一つ、紅蓮の矢で打ち落とした。
ようやく、氷柱が大地を割る音が絶え、土埃が晴れれば、青年の視界に入ったのは、無残にも氷柱に刺し貫かれ絶命した、多くの兵士たちだった。
阿鼻叫喚。
まさにその言葉に相応しい情景だった。
「ちくしょうっ!!!」
あっさりと奪われていく同胞の命に、青年は唇を血が滲むほどにかみしめる。
あまりにも、惨たらしい仕打ちに、きつく握りしめた拳が震えるほどに、青年は怒りの感情を露わにする。
青年の憤怒に呼応するように、青年の周囲の大気がチリチリと小さな火花を上げる。
「かわいそうに、君が邪魔をするから、死に損ねたのが何人かいるじゃないか」
空から聞こえた声に、青年は空を仰ぐ。
そこには、防護方陣を張り、かろうじて生き延びたのであろう後方の兵たちを、目を細めて見下ろし、言葉を紡ぐ、ブルーアイズエヴィルがいた。
「残りをどうやって壊してやろうか?もう、串刺しは飽きただろう?なにかリクエストはある?」
その口元に微笑さえ浮かべ、青年を絶対的に見下ろしながら、歪な翼を持つものが歌うように言う。
その言葉に、所業に、青年はエヴァーグリーンの瞳に苛烈な怒りを宿し、目の前の自らの敵を見据えた。
あおい眼をした、その、“災厄”<ブルーアイズエヴィル>を。
命を奪う行為をまるで、なにかのショーを見せるように言う、ブルーアイズエヴィルに、青年は憤怒の色を滲ませ、低く唸る。
ギラギラと怒りを孕ませたエヴァーグリーンを、そのあおい眼に映し、ブルーアイズエヴィルはクスクスと、微笑を漏らす。
「貴様がぁッ…!!」
もはや、青年にはそれが、“人間”には見えなかった。
その、あおい眼を持った其れは、まさに、“災厄”にしか、見えなかった。
「フレア・ドライヴ!!!」
青年はその“災い”へと紅蓮の固まりを打ち出す。
紅蓮は、すぐさまその姿を、炎の龍と化し“災厄”へと向かっていった。
“災い”は、その火龍を、そのあおい眼にとらえながらも、しかし、薄く微笑を浮かべるだけで、甘んじてその火龍に飲み込まれる。
「やったか?!」
ごうごうと、燃え盛るそれに、青年は吐くが、しかしすぐにその表情は厳しいものへと変わった。
「……」
燃え盛る紅蓮の中で、其の影は決して苦しむそぶりを見せず、ついには、火龍が苦しみうめくような悲鳴を上げて霧散した。
火龍に飲み込まれたはずの其れは、相も変わらず微笑を浮かべたまま、僅かな焦げ後も、火傷もなく、そこに悠々と存在している。
(やはりだめか・・・!!!)
ギリ、と、青年は奥歯をかみしめる。
今まで幾度も、目の前の“災厄”たる存在と対峙してきた。
しかし、一度たりとも、目の前の“災厄”には、その体に傷どころか、軍服に汚れさえもつけられなかったのだ。
改めて見せつけられた、圧倒的力量差に、背筋に冷たいものが走り、米神にいやな汗が伝う。
それでも、青年は反撃に備え、一分の隙もなく構えをとった。
ピンと、大気が緊張する。
クスリと、あおい眼をした“災厄”が、その微笑を深めた。
「残念。もう、フィナーレの時間だ」
形のよい唇が、弧を描き、何とも言い難いあおい色を灯した双眸が、ゆらりと揺れた。
ざわり、と、奇妙な違和感が、青年の皮膚を、撫でる。
空気が振動しているような錯覚。
-“何か”が起ころうとしている。
絶対に、良くない、否、“悪い出来事”が、起ころうとしている。
それだけは、青年にも理解できた。
青年の全神経が、本能が、警笛を鳴らして、其れを伝えている。
「いったいなにを……!!!」
本能に従い恐怖する己を、奮い立たせ、声を張り上げる。
その様に、ブルーアイズエヴィルは、一層その、微笑を深めると、氷を打ち鳴らすような、冷ややかで、透明な声で歌うように、言葉を紡いだ。
「我らは、貴様らに屈するつもりなど、毛頭ない。」
声はまさにディーヴァと呼ぶに相応しく、微笑は現実味を無くすほどに美しい。
-しかし、猛毒を孕んだ、微笑だった。
背筋がゾッとするほどに美しいその微笑に思わず青年が息をのんだのと、その地響きが起こったのは、殆ど同時だった。
「何だ?!」
突然、激しく揺れ始めた大地に、青年は思わず周囲を見渡した。
激しい振動に、大地が割れるのを、眼のあたりにし、その背に生えた翼を使い、舞い上がる。
空を飛べぬ兵士たちは、揺れる大地になすすべもなく這いつくばり、あるものは、割れた地面の奈落へと落ちていく。
悲鳴はすべて、大地が割れる音にかき消された。
突如として牙をむいた大地に、青年は訳もわからず、ただ、呆然と眼下の地面が割れいくさまを、翼を持たぬものが奈落に飲まれていくさまを、見ているしかなかった。
「 」
呆然としていた青年の意識を引き戻したのは、すべての音を飲み込む、地響きの中でさえ、涼やかに響く、歌うような、其れの声だった。
いくつかの言葉と、音を積み上げ、旋律を作り出し、呪文となる、その音に、
はっと、青年は意識を取り戻し、それに視線を向ける。
あおい眼が、ゆるりと弧を描いて、笑っていた。
バシャッア!っと、激しい水音を立てながら、ブルーアイズエヴィルの背後に水柱がいくつも上がっていく。
「なっ…」
ブルーアイズエヴィルの背後……、即ちイリュリア湖の水すべてが、幾多の水柱になり、まるで意思を持っているかのようにイスを、囲んでいく。
異様な光景に、青年は言葉を無くし、立ち尽くしていてが、しかし、ぴしゃりと、自らの頬に跳ねた水しぶきに我に返る。
目の前で起きていることは、あまりにも異様ではあったがしかし、この瞬間、ブルーアイズエヴィルは、あまりに無防備であった。
「アポロスッ・・・!!!!!」
その隙を逃すものかと、青年は叫び、己の力を限界まで引き上げ、解放する。
それに呼応するように、青年の輪郭が金色の光に縁取られ、背の翼が大きく広がり、空に複雑な文様を描く魔方陣が光で描かれた。
青年の背後で、紅蓮の炎が渦巻き、その炎の中から金色の翼を持った、獅子のような姿をした生き物が咆吼を上げた。
その生き物こそ、青年と<エンゲージ>を果たし、<フィアンセ>となった、<幻獣><アポロス>である。
生み出された紅蓮は、青年の右手に集束し、その姿がスピアに変質した。
「エルグティア」
エルグティアは、青年の<フィアンセ>である、<アポロス>の力を圧縮し、具現化させたものである。
それは、美しい装飾が施された、鋭く、触れたものすべてを焼き尽くすスピア。
「貫けぇえええええっ!!!!!」
スピアを構え、一直線に青年はブルーアイズエヴィルの心の臓をめがけ飛ぶ。
青年の背の金色の翼が、大気に炎の奇跡を描いていく。
己に向かってくる、スピアの切っ先をそのあおい眼で見据え、それでも、ブルーアイズエヴィルは動かなかった。
確かに、肉を裂いた感触が、青年の掌に伝わった。
「永久封鎖」
あおい眼をした美しき“災厄”そのものが、その唇で紡いだ言葉と、その胸から血潮が上がったのは、どちらが先だったのか。
真っ白な軍服が深紅に染まり、青年は其れの中に流れていた血が、赤いことを初めて知り、ようやっと、其れが自分と同じく“人間”であることを思い出した。
ぐらりと、半ば“人間”から外れた姿をもつ、其れが重力に捕らわれ、落下していく。
じわじわと赤い染みが白い軍服に広がっていく様も、其れが落下していく様も、統べてがゆっくりと、まるでスローモーションをかけた映像を見ているように青年の目には見えた。
赤い飛沫を上げながら、其れは落下していく。
落下しながら、あおい眼が、いまや完全に水の幕にドーム状に覆われた自らの故郷であるイスを認めて、自らの血で深紅に染まった唇に微笑を乗せる。
先の地震で出来た、大地の裂け目に、吸い込まれながら、今だ美しいままのあおい眼が、青年のエヴァーグリーンを見上げていた。
「 」
あおい眼をした“人型”の其れは、深紅に濡れた唇で、紡ぐ。
音は、言葉は、未だに続く地響きですべてかき消える。
「おい!どういう意味だ!!それはっ…!!!」
紡がれた音のない言葉を、正確に読み取り、青年は声を荒げるが、やがて、あおい眼をした美しき“災い”は、大地の裂け目に飲み込まれ、奈落の闇へと落ちていく。
あおい、あおい眼が、満足そうに伏せられ、瞼の奥へと姿を隠した。
「おい!答えろ!!!ブルーアイズエヴィルっ!!!」
読み取った言葉の不可解さに、青年は落下していく、其れを掴もうと、自らも急落下し、追いかけるが、しかし、蒼き災いを飲み込んだ奈落は、大地が砕け、こすれあう音を立てながら、その口を閉ざした。
「ッ…!」
そして、ようやく大地の怒りも収まり、大気全体を、薄く覆うように舞っていた土煙が晴れ、静粛が訪れた。
地に這いつくばり、防護方陣を張っていた兵たちが、訪れた静粛にようやく顔を上げ始める。
見渡せば、地表はそこら中ひび割れ、焼け焦げた後があったが、しかし、それだけだった。
どこにも、戦闘の気配がないことに、兵士たちは首をかしげながらも、それでも、いつでも攻撃に出れるように構えをとったまま、立ち上がる。
そして、上空を見上げた一人の兵士が、ガランと、音を立てて剣を落とした。
「おいっ!なにをしている…!次、いつブルーアイズエヴィルの攻撃があるかわからないんだぞ?!」
別の兵士が声を荒げたが、しかし、剣を取り落とした兵士は剣を拾うことはせず、ただ、上空を指さした。
「いったい何だって…!」
武器を拾わぬ兵に、苛立ちながらも、指さされた方向を見上げる。
そこにあったのは、金色の翼を広げ、エルグティアを右手に提げた、青年が、緩やかに上空から下降してくる姿だった。
「…まさか…」
その姿を見て、兵士たちは次々に青年の方へと駆けだした。
ふわりと、青年は兵士たちの前に降りる。
柔らかな、エヴァーグリーンの瞳が、生き残った兵たちを見据える。
その数は、この、アクゼリュウス平原へたどり着いた時の三分の一にも満たなかった。
「…みんな、よく、本当によく、生き残ってくれた…」
震える声で、青年が吐く。
誰もが、声を出さず、ただただ青年を見ていた。
「勝ったぞ。」
やがて、静かに青年は言葉を紡いだ。
紡がれた言葉に、兵士たちが息をのむ。
「勝ったぞ…!ブルーアイズエヴィルはもう、いない…!!」
叫び、青年は右手のエルグティアを掲げた。
一瞬の沈黙の後、爆発するかのように歓声が上がった。
「倒した…!!ラザフォード様が、ブルーアイズエヴィルを…倒した…!!!!」
「帝国ステリア万歳ッ!!!!」
歓声が、蒼穹に吸い込まれていく。
星歴2003年 ミニュットの月、6日。
ついに気が遠くなるほどに長く続いていた、帝国ステリアと、神國シヴァとの戦いに、帝国ステリアの勝利で終止符を打った日であると同時に、“ハイネ=ラザフォード”が、英雄となった日であった。




