生存への兆し
「クソが! 何が何だか分からねぇが、テメェらなんかに食われてたまるかッ!」
ほんのわずかな間に凄惨な被害をもたらした獣に舌打ちをした柳は、自身を奮い立たせるように拳を握る。
その視線が射抜くのは、悲鳴を上げる優愛と、それを今にも仕留めんとする獣だった。
「離れろ、バケモン!」
声を張り上げた柳は、優愛を狙うに向かって地を蹴る。
「え、速っ!?」
衝撃で地面が弾けるほどの脚力によって生み出された速力は、まるで放たれた矢を彷彿とさせるものだった。
だが、およそ人間のそれとは思えない速度を以てしても、優愛に迫る獣が命を喰らうまでに間に合わないことを柳本人は感覚的に理解する。
(クソ、間に合わねぇ)
全力で駆けながらも、その距離に柳の脳裏に諦めがよぎった瞬間、その隣を風のように駆け抜ける影があった。
「!」
「オオオオオッ!」
目を見開いた柳の視線の先では、あっという間に柳を追い抜いた人物――橘隼人が獣に腕を食われた優愛の元へと飛びつき、間一髪でその身を庇う。
「っ!」
ハヤトのすぐ横で獣の牙が噛み合って火花を散らし、硬質な音を響かせる。
その音と空気の衝撃は、当たっていれば人間の身体など軽々と食いちぎられていたであろうことを想像するのは容易いものだった。
そして、そんな間一髪の救出劇も、現状においてはわずかに死を遅らせた程度のものでしかない。
獲物を喰うのに失敗した獣は、再び牙を剥いて隼人と優愛に襲い掛からんとする。
「よくやった! オラァ!」
しかし、隼人が作った一瞬の間によって獣の間近に辿りついていた柳は、手に握りしめていた石を投げつける。
さすがに人間よりも大きな獣を撃退するに足るかは分からないが、動物を追い払う要領で柳が投げた石は、その意に反して大気を貫く。
「!?」
自身が投げた石がさながら弾丸のように飛ぶのを見て驚愕に目を見開く柳の眼前で、それが命中した獣が苦悶の声を上げてよろめく。
だが、弾丸並みの速度で投げつけられた石が直撃したというのに、獣は大した痛痒を覚えていない様子で即座に立ち上がり、柳を睨みつける。
「この程度じゃ効かねぇか」
純粋な殺意だけで構成された野生の視線で射抜かれた柳は、これまでの人生で味わったことのない背筋の冷たさを感じながらも、戦意を損なうことなく拳を握りしめる。
「お前らさっさと逃げろ!」
「でも……」
獣に向き合ったまま声を上げた柳の言葉に、カナタは言葉を詰まらせる。
傷ついた優愛を抱えて離脱するハヤトを庇うように獣に立ちはだかった柳が戦おうとしていることは明白だ。
だが、誰の目にもその力の差は明らかであるようにしか思えなかった。
「加勢します」
そんな中、黒髪の少女――「氷崎綾乃」が手にしていた日本刀を抜き去ると、その刀が黒い刀身を持つ剣へと変化する。
「――!?」
「刀が、変化した?」
それを見たカナタが驚愕の声を零すと、黒剣を手にした綾乃は一瞬その刀身へ視線を落としてから、獣へ向かって駆け出す。
「あれは……まさか……」
黒剣を携え、獣と戦う柳に合流せんと駆けだした綾乃の後ろ姿を見つめていたオタク風の青年は、思わず息を呑む。
その視線の先では、今まさに自身の太刀を黒い剣へと変化させた綾乃が、獣と相対する柳に合流していた。
「手伝います」
「お前……」
凛とした声と共に隣に立った綾乃へ視線を向けた柳は、その手に携えられた黒い剣を見て目を瞠る。
柳は綾乃を戦わせるつもりはなかった。
見たこともない巨大で強大な獣。鎖でつながれてもいない怪物が、自分達を喰らわんと牙を剥いているのだ。
間違いなく命をかけた戦いになる。自分が殺される可能性も高いはずだ。そんな危険な戦いに女を巻き込むわけにはいかないと考えてのことだ。
だが、その視界に映った黒い剣を見ると同時、そんな考えは一瞬にしてかき消えていた。
綾乃が持つ黒い剣には、一目で分かるほどに危険な――あるいは、この場で生き延びるために無視できない強力な力が宿っていることが見て取れた。
「助けてやれねぇかもしれねぇぞ」
「構いません」
瞬時に決断を下した柳の言葉に、綾乃もまた静かな声で応じる。
今日まで現代日本で暮らし、戦闘など経験したことのない二人にとって、眼前の獣との戦いは死を覚悟せざるを得ない未知の、初めてのもの。
恐怖がないはずなどない。
だが、二人はその恐怖を感じていながらも、無意識に口端を吊り上げて不敵な笑みを浮かべていた。
それは恐怖の針が降り切れてしまったが故なのか、あるいは二人の精神の奥に潜んでいた根源的な戦闘本能によるものなのか、それは本人達にも分からない――そんな顔を浮かべていることすら気づいていないことだ。
「いくぜ!」
(ぼ、僕も、なにかしないと……でも、何をすれば……)
柳と綾乃が獣に相対しているのを見て、カナタはそう考えるが、自分に何ができるのか、何をすればいいのかが分からず、ただ茫然と立ちつくしていることしかできない。
カナタだけではなく、この場にいるほとんどの者は、何をするべきか分からずに立ち尽くしているか、恐怖のあまり散り散りに逃げるしかなかった。
「彼女をお願いします」
そんな中、傷を負った優愛を抱えた隼人が、先程元看護師だと名乗った高杉詩帆の元へと駆けつける。
「……っ、あなた達、手伝って! 彼女を助けないと」
その傷を見て顔をしかめた詩帆が声を発すると、カナタはわずかな逡巡の後に駆け寄る。
「っ」
(腕が……)
腕を肘の下から失った優愛は大量に出血しており、激痛と相まって青白顔をしている。
医療に携わる者でなくとも、優愛が生命の危機にあることは容易に察しがついた。
「とりあえず止血を!」
優愛を横たえて治療を始めるが、いかに元看護師とはいえ設備もないところで腕を欠損した人物の治療などできるはずもない。
だがそんなことなどおくびにも出さずに優愛を治療する詩帆の姿からは、一度は医療に携わる道を選んだ者として、目の前の命を救おうとする強い意志が感じられた。
「俺もあちらに加勢する」
しかし、この場で詩帆の力になれる者などいない。その様子を見ていた迷彩服を着た男――「黒島颯」は、意を決してそう言うと、自身の荷物から鈍い光を放つものを取り出す。
「銃!?」
「モデルガンだ。改造して殺傷力を上げているがな――これでも、あれに通じるかは分からないが、気を逸らすことくらいはできるはずだ」
颯が取り出した者を見て引き攣った声が上がるが、本人はそれを即座に否定し、柳と綾乃が相対している巨大な獣を自嘲交じりに一瞥して駆け出す。
「――……」
(だめ、このままじゃ、この人が死んでしまう)
優愛の顔から生気が抜けていくのを呆然と立ち尽くしながら見つめる少女――式原美守の脳裏に、かつての記憶が甦ってくる。
幼い頃、家族の旅行の最中に交通事故に巻き込まれ、大怪我を負った両親が助けを待つまでの間に冷たくなっていくのを見ていることしかできなかった絶望。
かろうじて助かった美守は親族に引き取られた。虐待などをされたわけではなかったものの、関係はうまくいかなかった。
異世界への誘いに乗ったのも、その現実から逃げ出すためだった。だが――
(お願い、死なないで)
目の前にある死という現実から逃げることはできない。逃げてはいけないと決意したその瞬間、美守の腕から光の帯が伸び、優愛へと吸い込まれていく。
「これは……!?」
「傷が癒えて……しかも、欠損した腕が再生していく」
光の帯が絡みついた優愛の身体についた傷が癒え、失われた腕すらも再生していく様を目の当たりにして、カナタ達は思わず息を呑む。
「死なせない」
現代医学でもできない奇跡としか言いようのない御業を披露する美守は、祈るような表情で優愛の命を繋ぎ止めようとしていた。
「すごい」
懸命に命に向き合う美守の横顔と、その手によってもたらされている奇跡にカナタは息を呑んで、見守るしかなかった。
※
「オラァアッ!」
気合いの言葉と共に、柳は自身に向かってきた獣に向けて拳を振り抜く。
空気を薙ぎ払うような轟音はその拳が規格外の破壊力を有していることを感じさせるが、獣は体を捩ってその拳を軽々といなす。
「ぐ……ッ」
弾かれた拳から伝わってくる衝撃に顔をしかめた柳は、足を踏ん張って崩れそうになる体勢を保つ。
「なんて馬鹿力だ……!」
「そんな怪物と真正面から殴り合わないでください!」
そんな柳に鋭い声を発した綾乃は、手にした剣を振り抜く。
しかしその斬閃も獣には届かず、軽やかな動きで回避されてしまう。
「こんな動きも疾ぇ上に強ぇ奴と戦り合うんだ。こっちも死ぬ気でいかなきゃ返り討ちだろ!」
「あなた、現代人ですか?」
「うるせぇ」
柳の言葉に呆れたように言った綾乃は、剣を構えて獣に意識を集中する。
実際、柳の言うことは正しい。
この獣を相手に臆すれば、瞬く間に殺されてしまうことになる。
それは、柳と綾乃を前にしても逃げ出さず、爛々とした眼差しで様子をうかがっていることからも明らか。
野生の獣がそうするということは、逃げる必要性を感じていないということだろう。
つまり、この獣は柳と綾乃を同時に相手取って狩れると感じているというとこだ。
それを証明するように、ゆっくりとした足運びで間合いを測っていた獣は、おもむろに大地を蹴って柳に襲い掛かる。
慣性の法則を無視したような軽やかな動きで大地を滑るように駆けた獣は、目にも止まらぬ速さで柳の喉元に牙を突き立てる。
「く……ッ」
しかし、かろうじて寸前で反応した柳は、獣の牙と首の間を腕で防御し、その牙が自分の喉笛に食らいつくのを防ぐ。
「今だ!」
そしてそれは、柳の作戦でもあった。
牙を突き立てた獣の頭部を掴んだ柳が声を発すると、その意図を瞬時に理解した綾乃は、全力で駆けよると、手にしていた黒い剣を突き立てる。
自分を囮にして牙を封じ、一瞬だけ動きを止める柳の決死の策に嵌まった獣は、横から放たれた綾乃の刺突に対処できず、その胸を貫かれて絶命する。
「……やったか?」
「はい」
顎の力が抜け、その場に落下した獣が血を流したままピクリとも動かなくなったのを見て、柳が苦痛に顔を歪めながら言うと、綾乃もその死を確認して小さく頷く。
「それにしても無茶をしましたね。一瞬遅れていれば殺されていましたよ」
成功したからよかったものの、わずかでも綾乃が遅れていれば、獣の爪牙が柳の命を奪っていただろう。
実際この勝利が薄氷を踏むようなものだったことを理解している柳は、身体の痛みと、死の寸前だった恐怖を抑えるように呼吸を整えながら口を開く。
「正直、相打ち覚悟はしてたが……運がよかったな」
「勇敢なんですね」
「バカ言え。そんなんじゃねぇよ」
綾乃の言葉に自嘲めいた声で答えた柳は、屍となった獣を睥睨して深く息を吐く。
(力が強くなっただけじゃねぇ。頑丈にもなってる。じゃなきゃ、とっくに身体をバラバラにされてた)
自身が命を落とさなかったのは、自身の身体の頑強さが異常なほど向上していたからであることを理解している柳は、奇妙な紋様が浮かんだ身体に視線を落とす。
「大丈夫?」
「気にするな」
そこへ青い顔をしながら駆け寄ってきた春奈に、柳は血が流れる傷口を抑えながら素っ気なく答える。
「……無茶しないで」
どう見ても大丈夫ではないが、春奈にはそれ以上のことを言えなかった。
「――そんなことより、他はどうなった?」
そう言って周囲を見回すが、先の獣のような存在は見当たらない。
この場にいるのは、死を間近に感じ、恐怖して青褪めた参加者達だけだった
「どうやら、乗り切ったみたいね」
「だが、何人か殺された」
「あなたが悪いわけじゃないわ」
自身の無力さを悔いるような柳に、春奈は慰めにならないと分かっていても、そう声をかけるしかなかった。
「大丈夫ですか!?」
そんな柳と春奈の元へ駆け寄ったカナタは、綾乃が持っている剣を見て呟く。
「その剣……」
「私も分からないの。刀が変化して……これは一体……?」
カナタの言葉に自身が手にした剣を見た綾乃が呟く。
先ほどまで、この剣は確かにただの日本刀だった。だが今は明らかにそれとは違う異質な剣へと変化していた。
「特殊能力ですぞ!」
「浅野由紀子」 死亡
女子高生か女子大生らしき女性。
「生駒優愛」
大人びた印象を持つキャリアウーマン風の女性。
「石田優菜」
顔立ちは整っているが、あまり華のない地味な女性。
「江口美月」
胸元の大きく開いた妖艶な色香を感じさせる女性。
「小田拓也」
オタクのような容姿の青年。
「黒島颯」
迷彩服を着た男。
「権藤大河」 死亡
色黒の男。
「斎藤朝陽」 死亡
少し派手な印象の男性。
「冴山悠」
冴えない印象の男性。
「桜庭竜馬」
顔立ちの整った美男子。
「式原美守」
ゆるふわ系少女。
「鈴木日緒」
ギャルのような女性。
「高杉詩帆」
明るく人当たりのよさそうな女性。
「橘隼人」
好青年。
「田村健吾」
ふくよかな体型の男性。
「塚原敬」
知的な印象を持つ眼鏡の男。
「永瀬日葵」
イヤホンを着けた少女。
「七海薫」
平凡な女性。
「野々村陽介」
髪を染めた軽薄な雰囲気の男性。
「氷崎綾乃」
日本刀を携えた黒髪の美少女。
「美作春奈」
清楚な印象の女性。
「宮原誠義」 死亡
中年男。
「柳克人」
強面の男性。
「結城叶多」
平凡な少年。