残酷な世界
権藤大河――色黒の肌をした男が目の前で死んだ。
その残酷な事実に、あるものは言葉を失って立ち尽くし、ある者は悲鳴を上げる。
そんな中、意を決して歩き出した春奈は、権藤の死体から生えているものを観察して、怪訝な表情を浮かべる。
「これは……胞子? カビや菌類の一部かもしれない」
「か、カビ?」
「……まさか」
権藤の身体から生えているそれらは、菌類が作る胞子を彷彿とさせるものだった。
多くの者が混乱し、正常な思考を失っている中、あるものに目を止めた春奈は思案を巡らせて一つの仮説を導き出す。
「ここが異世界なら、地球にはいなかった菌類なんかが空気中に漂っているんじゃない? 彼がそれに感染したとしたら――」
「じゃ、じゃあ私達もこんなふうになるの!?」
「いいえ。見て」
それを聞いて言葉を詰まらせた女性陣に、春奈は権藤の手から転がり落ちた赤い液体の入ったアンプルを見せつける。
「それは……」
「ええ。私達が飲んだ薬よ」
権藤の手から零れ落ちたのは、カナタ達が飲んだ赤い液体の入ったアンプルだった。
「飲まなかったのか」
「飲んだフリしてたのね」
「彼言っていたわよね。〝飲むか飲まないかは私達の自由〟って。生きていくために必要って言われていたし、私達はみんな流れで飲んだけれど、彼は裏をかいて薬を飲まない方が利益があるとでも考えたのでしょう」
「――それで、その結果がこれという訳ですか?」
権藤がノワールから渡されたアンプルを飲んでいなかったことが判明したところで、冷静さを取り戻して来た塚原が、眼鏡越しに春奈に尋ねる。
「ええ。あの薬は、私達にこの世界で生きていくための免疫や耐性を与える機能があったのかもしれない。
彼も言っていたでしょう? この薬は『私達の身体を異世界の環境に適応させるためのもの』だって」
「つまり、私達は少なくとも彼のような死に方をすることはないということですね」
春奈の説明に理解の色を示した塚原は、菌の温床となって死んでいる権藤の姿から視線を逸らして言う。
「断定はできないけれど、この中でこうなったのが彼だけである以上、その推測は的外れという訳ではないと思うわ」
「……確かに」
春奈の言葉に塚原が思案気に呟くと、その様子を見ていた女性――「生駒優愛」が、引き攣った表情で声を張り上げる。
「いや、嫌よ! こんなの聞いてない! こんなふうに死ぬなんて聞いてない! 私帰る!」
「私も!」
「お、俺も」
優愛の言葉に影響されて何人もの人間が同調していくが、その様子を冷ややかに見ていた塚原が突き放すような声で言う。
「どうやって?」
「どうやってって……」
その言葉に優愛がロッジへと視線を向けるが、塚原はその意見を一笑に伏す。
「どうやったら、この場所から元の世界へ戻れるのですか?」
「それは……」
冷静な塚原の言葉に、誰もが冷や水を浴びせられたように現実を直視させられる。
広い森の中に、ロッジだけが明らかな人工物として異様な存在感で佇んでいる。
まるで、ロッジごとこの場にワープしてきたような光景はあまりにも異常で異質だった。
どうやってここへ来たのかもわからない。当然どうやって帰るのかも分かるはずはない。
「最初から書いてあったはずですよ。異世界に来たら、二度と戻れないって」
「――っ」
眼鏡を軽く持ち上げながら塚原が言うと、優愛は言葉を失って立ち尽くす。
「……くそっ」
そのやり取りを見ていた柳は、拳を握りしめて吐き捨てるように言う。
「私達は、確かに異世界に来た。でも、まさかこんな状況になるなんて思ってもみなかった」
柳の声を聞きながら、春奈はその顔に憂いの陰を落として、目を伏せる。
その言葉と表情は、まるで全てを諦めたような――後悔とも絶望とも取れるものだった。
確かに、ノワールは嘘偽りなく、全員を異世界へと連れてきた。だが、それが生死をかけたものになるとは誰一人想像していなかっただろう。
異世界での夢のような生活を思い描いていたところに突きつけられた残酷な現実に限界を迎えた優愛が恐慌して金切り声を上げる。
「いや……いやよ。誰か! 誰か助けて!」
それを合図にするかのように、優愛同様に限界を迎えていた者達が混乱する。
「落ち着け! むやみに動き回るんじゃねぇ!」
「うるせぇ! こんなところに一秒もいられるか! どこかに人が住んでるはずだ!」
まるで逃げるようにロッジから離れていく者達に柳が声をかけるが、自己紹介の際に「斎藤朝陽」と呼ばれていた青年が切羽詰まった様子で声を上げる。
「待って! 彼の言う通りよ。今はまとまって行動した方がいい」
「冗談じゃない! こんなところで死んでたまるか!」
朝陽のようにロッジから離れていこうとする者は多くない。ほとんどの者は恐怖で硬直して動けないか、どうすればいいのか分からずに様子を窺っている者が大半だ。
そんな中、朝陽が見せた行動力は、この場において望ましいものではないと、柳をはじめとした冷静さを残した者には理解できていた。
「……なに? 何か、ピリピリする」
そんな中、引き止めようとする春奈に怒声を飛ばしながら歩いていく朝日の姿をを冷ややかに見ていた少女――「永瀬日葵」は、違和感を感じて眉を顰める。
イヤホンを首にかけ、どこか冷めた目で周囲を見ていた少女は、自身が覚えた違和感に周囲に視線を巡らせる。
(こっち……?)
日葵がその違和感を強く感じる方へ視線を向けたその瞬間、集団から離れていた朝陽の姿が一瞬で消失する。
「!?」
「上だ!」
今までそこにいたはずの人物がいなくなったことにカナタ達が目を丸くしていると、柳が声を張り上げて全員の意識を上へと向けさせる。
そしてそこには、柳が指摘した通りに朝陽がいた。――その身の丈にも匹敵する巨大な蜘蛛に抱えられ、牙を突き立てられた姿で。
「うわああああっ!?」
「きゃああああっ!」
「――っ!」
それを見た瞬間、その場にいた者達は叫ぶ者、余りの出来事に言葉を失う者とに分かれる。
「なんだ、あれ!?」
「ば、化け物!?」
樹上に巣を張り、そこからバンジージャンプのように急降下して獲物を捕らえ、上へと戻った巨大蜘蛛――少なくとも、蜘蛛と称するのが適切に思われる生物――には、毒があったのか、その腕に抱えられた朝陽は、血の気が失せた顔で痙攣している。
何もできず、呆然と佇むしかない人間達など一顧だにせず、獲物を捕らえた巨大蜘蛛は、その口で朝陽の身体を貪りはじめ、千切れた筋繊維が血と共に降り注ぐ。
「クソが……っ」
「きゃああああっ!」
それを見た柳が舌打ちと共に己を奮い立たせた瞬間、別の方向から女性の悲鳴が聞こえてくる。
弾かれたように視線を向けたカナタは、この場から逃げようとしていた優愛の眼前に、人間よりも大きな獣が姿を現しているのを見止める。
全身を覆う体毛を持つその姿は、虎のようでもあり、獅子のようでもあり、「獣」と評するのが最も適当であろうが、明らかに地球上には存在していない姿をしていた。
その獣は、口腔に生えた鋭利な輝きを持つ牙を覗かせ、鼓膜を直に叩くような衝撃を感じさせる咆哮を上げる。
そしてその口からは、頭部を噛みちぎられた女性の身体が転がり落ちる。――それは、「浅野由紀子」と呼ばれていた女子大生らしき女性の身体。
頭部を獣の口の形に食いちぎられたその無残な姿を見れば、その命がすでに失われていることなど考えるまでもなかった。
「きゃあああっ」
「うわぁああっ!」
獣に食い殺される――その事実を理解した瞬間、誰からともなく悲鳴が上がり、場を混乱が支配する。
そんな声にも微動だにしない獣は、その身体が想定以上に脆かったからなのか、うっかり口端から零れてしまったその身体を泰然とした様子で咥え上げ、一口で口腔内に収めて咀嚼する。
血で濡れた口元をざらついた舌で舐めとった獣は、まるでこの場から立ち去ろうとしているかのように、ゆっくりと背を向けるように動く。
(――ッ!)
「だめ……逃げて!」
その瞬間、再び背筋が凍るような感覚を覚えた少女――「永瀬日葵」が声を張り上げた瞬間、獣の牙は人が獣に食われる様を見て恐怖のあまり硬直していた中年の男「宮原誠義」の身体に深く牙を突き立てていた。
「え……っ!?」
一瞬自分が獣に食いつかれたことを理解できず、誠義は呆然とした表情を浮かべる。
その事実に身体の感覚と理解が遅れて追いついた誠義は恐怖と苦痛に顔を歪めるが、悲鳴すら上げることなく獣の牙と顎に身体を噛み砕かれ、胃の腑へと吸い込まれていく。
「きゃあああっ!」
「うわぁああっ!」
赤い血飛沫と共に獣の口腔内から胃の中へと吸い込まれていった誠義の凄惨な死に様に、恐怖と混乱が巻き起こる。
「いやだ、死にたくない! ――ひいっ!?」
参加者の中で最も整った顔を恐怖に歪めた「桜庭竜馬」は、次の瞬間、その身体をはるか上空へと移動させていた。
まるでロケットのようにその場から上空へと移動し、間一髪獣の牙を逃れた竜馬は、偶然伸びていた木の枝にぶつかって止まると、顔を青褪めさせ、引き攣った声を零す。
「なっ、なんで、よりによって……」
そんな竜馬の眼下では、獣から逃げる眼鏡の男――「塚原」が、足をもつれさせて転び、絶望と恐怖に歪んだ顔で自分へ襲い掛かる獣を見る。
知的な印象を感じさせた顔は涙と鼻水で汚れており見る影もなくなっており、塚原がいかに恐怖に追い込まれているのかを雄弁に物語っていた。
「く、来るな……来るなぁ!」
涎を垂らし、自分を食い殺そうとする獣の姿に、腰が抜けてしまった塚原は立ち上がることもできず、後退りながら恐怖に震える声を絞り出す。
しかし、そんな声も獣にとってはわずかな同情を引き起こすようなものではない。むしろ、恐怖に陥った塚原を格好の獲物だと考えているのか、その牙を剥いて襲い掛かる。
しかし、その牙が塚原に届くことはなかった。
恐怖に錯乱した塚原が付き出した腕から光の壁が出現し、獣の牙を阻んだのだ。
「これは……? ひぃ!?」
何が起きたのか分からず、呆然としていた塚原は、再び光の壁に牙を突き立てた獣の迫力に、声を引き攣らせる。
しかし、それでも塚原が展開した光の壁は獣の牙を完全に阻んでおり、その獰猛な攻撃が届くことはないであろう事が想像できた。
だが、同じことを感じ取ったのか、獣は塚原を狙うことを止め、その標的を別の人間へと移す。
「ひ……っ」
獲物を狩る捕食者の視線に捉えられた獲物――「生駒優愛」は、それを敏感に感じ取って恐怖に震える。
その恐怖に逃走する足をもつれさせてしまった優愛は、その場で体勢を崩し、次の瞬間、その腕を肘の下から失っていた。
「あ、ああああああっ!」
功を奏したと言っていいのか、いずれにしろ恐怖で体勢を崩したことで偶然か、奇跡か獣の牙を腕一本で回避した優愛は、腕を失った痛みと恐怖に悲鳴を上げる。
(なんだ、これ……)
異世界へ行くために参加した人たちが、目の前で次々に命を落としていく。
何が起こっているのかは分かっている。だが、分かっているのに分からない。
何をすればいいのか、どうすればいいのか、どうすれば助かるのか――何も分からず混乱するしかないカナタの前で、ただその絶望的な光景は無慈悲に事態を進行させていくだけ。
(僕達は、こんなことのために異世界に来たんじゃない。なのに、なんでこんなことに――)
自分の選択を後悔し、いつ死が自分に向かうかもわからない恐怖で歯を鳴らすカナタの口からは、無意識に震える声が零れていた。
「なんなんだよ、これは……!」
「浅野由紀子」 死亡
女子高生か女子大生らしき女性。
「生駒優愛」
大人びた印象を持つキャリアウーマン風の女性。
「石田優菜」
顔立ちは整っているが、あまり華のない地味な女性。
「江口美月」
胸元の大きく開いた妖艶な色香を感じさせる女性。
「小田拓也」
オタクのような容姿の青年。
「黒島颯」
迷彩服を着た男。
「権藤大河」 死亡
色黒の男。
「斎藤朝陽」 死亡
少し派手な印象の男性。
「冴山悠」
冴えない印象の男性。
「桜庭竜馬」
顔立ちの整った美男子。
「式原美守」
ゆるふわ系少女。
「鈴木日緒」
ギャルのような女性。
「高杉詩帆」
明るく人当たりのよさそうな女性。
「橘隼人」
好青年。
「田村健吾」
ふくよかな体型の男性。
「塚原敬」
知的な印象を持つ眼鏡の男。
「永瀬日葵」
イヤホンを着けた少女。
「七海薫」
平凡な女性。
「野々村陽介」
髪を染めた軽薄な雰囲気の男性。
「氷崎綾乃」
日本刀を携えた黒髪の美少女。
「美作春奈」
清楚な印象の女性。
「宮原誠義」 死亡
中年男。
「柳克人」
強面の男性。
「結城叶多」
平凡な少年。