異世界へ招かれし者達
異世界があるのかは分からないけれど、今この国では異世界を舞台にしたアニメや漫画が人気を博している。
口幅ったい者は、それらを見て楽しむ僕達を見て、「現実逃避」や「落伍者の願望」などと嘲笑している。
それを否定するつもりはない。
けれど、その中に現実で何かを成し遂げ、満足している人はどの程度いるのだろうか。ほとんどの人は、「現実なんてこんなものだ」と諦め、自分より下の者を見て安堵しているだけなのではないだろうか。
あるいは、悟ったつもりになって自分の限界を決めつけ、自分の可能性を信じることができず、憧れた自分を諦めたことを正当化しているだけではないのだろうか。
だから僕は――。
『異世界で新しい人生を始めてみませんか?』
ある日突然パソコンに届いたその一通のメールに、とても心を惹かれてしまった。
『拝啓。結城叶多様。この度あなたには、異世界に移住権が与えられました。もし異世界での暮らしを望まれるのでしたら、このメールが届いてから一週間以内に、参加する旨をお伝えください。
尚、一度異世界に行かれると、二度とこちらの世界へ戻ってくることはできません。ご了承の上、後悔のない判断をしていただきたく存じます。敬具』
※※※
「えっと……」
それから一ヶ月後、メールを受け取った少年――「結城叶多」は、返信メールに記載されていた場所を訪れていた。
そこは、とある地方の山奥に佇むロッジのような建物。
参加を表明した後に送られてきたメールに添付されていた地図に従い、「私有地」と書かれた山道を進んだ先に辿り着いたのが、このロッジ。
一軒家ほどの大きさで、家族四人程度ならば暮らすことができるであろうその建物を前にしたカナタは、メールへと再び視線を落とす。
「目的地についたら、案内人がいるから、このメールを見せる……か。あの人、だよね?」
メールに指示されていたことを確認したカナタは、ロッジの前にまるで置物のように佇んでいるメイド服に身を包んだ女性を見る。
(メイド? でもなんで仮面?)
顔の半分を隠す仮面をつけたクラシックスタイルのメイドに違和感を覚えながらも、カナタは己を奮い立たせて歩み寄っていく。
「あの……」
「なんでしょう?」
「これを」
メールに書かれていた通り、メールを見せると仮面をつけたメイドは、薄く紅を引いた唇を微笑の形に変え、恭しく一礼する。
「ようこそいらっしゃいました。中でお待ちください」
扉を開き、中へ進むように促すメイドの言葉に、カナタは半ば無意識に会釈を返してロッジの中へと足を踏み入れる。
「こちらへどうぞ」
そんなカナタを出迎えたのは、先程のメイドとは違う仮面をつけたメイドの女性。
髪色と髪形も違っているメイドの女性が手で示した先には、大きなリビングが広がっており、すでにそこには参加者らしき人物の姿がいくつかあった。
同年代らしい少年、妙齢の女性、顔立ちの整った男性、スマホばかり見ているギャル風の少女、黒髪の美少女、柔和な顔立ちをした少女。
その姿を見たカナタは、記憶に焼き付くほど見ている内容を思い返しながらも、あえてスマホのメールへと視線を落とす。
(メールには、今回の移住に選ばれたのは男女合わせて二十四人って書いてある。ここにいる人達は、みんな僕と同じ異世界に行く人達なんだ……)
事前に送られてきたメールには、この集合場所と集合時間、持ち物は種類の制限なしで各自自分で持てる分だけ来ること、そして参加人数二十四人ということだけが記されている。
今日、この場に来ているということは、カナタ同様異世界へと移住をする選択をした男女二十四人のメンバーなのだろう。
(あんな可愛い子も異世界に行くんだ)
そこにいる同年代か、もう少し上の少女、女性達の姿に、カナタは思わず息を呑んで頬を染める。
「異世界への移住」――そんな文言が掲げられていれば、普通の人間ならば警戒するだろう。
無論、カナタもその文面が秘める怪しさや危険の可能性について気づかなかったわけではない。
だが、それでもここにいるのは、その言葉が持つ魔性の響きに惹かれたからだった。
とはいえ、不安や懸念は拭えない。
だが、ここに集まった他の人達を見れば、異世界での新生活への様々な妄想が脳裏に浮かんでは消えていく。
(――え、怖っ! その道の人?)
一緒に異世界へ行くであろう人達を見て、わずかに浮かれたカナタは、壁にもたれかかるようにしている長身で強面の男性を見て、顔を強張らせる。
無造作に着られた服とシルバーのアクセサリーが威圧感をもたらし、誰も近寄らせんばかりに輝く鋭利な双眸は、相対しているだけで委縮してしまいそうに感じられるその男性は、否応なく目を引く存在感を有していた。
「あの人も異世界に行くのか……」
その男と目が合ってしまったカナタは、慌てて視線を逸らすと怯えた声で誰にも聞こえないように小さく呟く。
カナタの表情にはすでに、愛らしい顔立ちの少女と一緒に異世界へ行ける浮かれた気持ちは消え、一時忘れていた不安が強く色を帯びて滲み出していた。
(でも、なんでこんなに人を連れていくんだろう? 詐欺とかにしては変過ぎるし……)
提案に乗った身で思うのも変かもしれないが、異世界への移住などという現実味のない話を持ち出されても、普通の人間は信じないだろう。
その上であえて異世界への移住などという提案をしてきた不気味さはもちろんのこと、二十四人もの人間を一度に異世界に招く理由も不明で不可解だ。
(同郷の人が多い方が安心できるから……だと、いいんだけど)
自分でも希望的観測に基づく楽観的過ぎる意見を述べていることが分かっているカナタは、不安を払拭するように首を軽く横に振ると、邪魔にならない部屋の隅へと移動する。
「やめてください!」
「!?」
自分から声をかけることもできず、かといって誰かに声をかけられるでもなく、全員が揃うのを待っていたカナタは、不意に響いた鋭い女性の声に顔を上げる。
見ると、先に来ていた二十代前半から半ばと思われる女性に、軽薄な笑みを浮かべた色黒の男が言い寄っていた。
「いいじゃねぇか。同じ異世界行き同士仲良くしようぜ? 何しろ、あっちじゃ俺達は余所者なんだ。何かと協力しなきゃいけないことがあるだろうし、仲良くしておいて損はないだろ? 子孫を残すためにもよ」
「結構です!」
明らかに最後の部分が目的であることが明らかな色黒の男は、女性が拒絶の意思を示しているにも関わらずに引く様子はない。
(ど、どうしよう? メイドの人達は止めないの……?)
それを見たカナタ達が慌てて周囲を見回すと、黒髪のポニーテールを靡かせた女性が色黒の男に向けて声を発する。
「やめなさい。嫌がっているじゃない」
「なんだ? お前も中々いい女じゃないか? どうだ、俺と――っ」
その声に振り返り、凛々しい顔立ちをした女性の姿を見て取った色黒の男が鼻の下と同時に手を伸ばした瞬間、ニヤけていた表情が冷たく強張る。
なぜならば、男が手を伸ばすよりも早く、女性が振り抜いた日本刀の鋭利な刃がその首筋に宛がわれていたからだ、
「て、テメェ……!」
「異世界に行くのよ? 身を守る武器を持っていくのは常識でしょう? まさか銃刀法違反なんて言わないわよね」
光を受け、冷たい光を放つ刀身に冷汗を流す色黒の男が声を引き攣らせるのを見て、黒髪の女性は切れ長の目に嘲笑を浮かべて言う。
「そのくらいでやめておけよ。みっともないぜ」
色黒の男がその言葉に歯噛みしたところで、遅れて強面の男が二人を制止する。
すでに騒ぎになっていたこともあり、その場にいた全員からの視線を集めていたことに気づいた色黒の男は、小さく舌打ちをして離れていく。
「ありがとう」
「気にしないでください」
色黒の男に絡まれていた女性から感謝の言葉を送られた黒髪の女性は、抜き放っていた太刀を鞘に納めて素っ気ない態度でその場を離れていく。
(かっこいい……けど、普通日本刀なんて持ってくる!?)
騒動を収めた黒髪の少女の凛々しさに心の中で感嘆しながらも、カナタは同時に愕然としていた。
そんな小さな騒動はあったものの、それ以降は特に何もなく、静かに時間が流れていく。
その間に異世界へと移住する者達達が次々と集まり、室内に人が増えていった。
いわゆるオタクというイメージが具現化したような出で立ちをした青年、ふくよかな体型をした男、迷彩服を着た男、妖艶な色香を纏う女性、人を拒むようにイヤホンを着けた少女――
それぞれが互いを意識しながらも、一定の距離を保ちながら集合時間が訪れるのを待っていた。
(そろそろ十二時……メールが指定した集合時間だ)
スマホに表示される時間を見ていたカナタが心の中で呟くと、他の参加者達も同じことを思っているのか、少しだけ落ち着かない様子で周囲に視線を配り始める。
時間が来たら何が起きるのか――言い知れぬ不安と、期待や様々な想いを抱きながら、時間は刻一刻と過ぎていき、そして十二時を迎える。
その瞬間、ロッジの玄関が開く音共に、一つの気配が近づいてくる。
「お待たせいたしました」
抑制の利いた言葉と共に現れたのは、黒いスーツに身を包んだ男だった。
整った顔立ちにアルカイックスマイルを浮かべたその男は、室内にいる全員を見渡すと大仰な――どこか演技めいたわざとらしい所作で胸に手を当てて深く頭を下げる。
「わたくしはこの異世界移住プロジェクトの案内人を務める者です。『ノワール』とでもお呼びください」
(胡散臭い)
人当たりの良さを感じるが、張り付けた様な笑みを浮かべたノワールの姿に、カナタは――否、この場にいる全員が同じ感想を抱いていた。
「おや? お一人いらっしゃらないようですね」
しかし、おもむろに足を止めたノワールが周囲に視線を巡らせる。
今回の参加者は全部で二十四人。しかし、今この場には二十三人しかいなかった。
「ノワール様、今ご到着なされたようです」
「お通ししてください」
「はい」
その時、背後から一歩進み出た仮面をつけたメイドの囁きに、視線を向けることなくノワールが答える。
「すみませ~ん!」
ノワールの言葉通り、扉が開く音と共に、息を切らせながら、冴えない顔立ちをした男が駆け込んでくる。
「遅くなりました。『冴山悠』です!」
(なんか顔色が悪いような……遅刻して焦ってたからかな)
冴山悠と名乗った男の表情を見たカナタは、心の中でその身を案じる。
「……全員揃われたようですね。では、確認のために点呼を取らせていただきます」
しかし、悠に一瞥を向けたノワールは、そんなことを気にした様子もなく、不敵な笑みを浮かべたまま、淡々と業務を進めていく。
「浅野由紀子様」
ノワールに名前を呼ばれ、女子高生か女子大生らしき女性が返事をする。
「生駒優愛様」
次いで名前を呼ばれたのは、大人びた印象を持つキャリアウーマン風の女性。
「石田優菜様」
さらに顔立ちが整っているが、あまり華のない地味な女性が返事を返す。
「江口美月様」
胸元の大きく開いた服を着た妖艶な色香を感じさせる女性が、「はぁい」と蠱惑的に応じる。
「小田拓也様」
そして、ここまで女性ばかり名前を呼ばれていたが、ようやくオタクのような容姿の青年の名前がノワールに読み上げられる。
「黒島颯様」
迷彩服を着た男は、自分の名を呼ばれると無言のまま手を挙げて答える。
「権藤大河様」
その次に呼ばれたのは、先程女性に絡んでいた色黒の男。
「斎藤朝陽様」
ここにきて、カナタも五十音順に名前が呼ばれていることに気づいたところで、少し派手な――飾らない言い方をすれば、チャラい印象の男性が応じる。
「冴山悠様」
そして、次に呼ばれたのはわずかに遅刻してきた冴えない印象の男性。
「桜庭竜馬様」
顔立ちの整った美男子と評するにふさわしい大学生くらいの青年が応じる。
「式原美守様」
軽くウェーブをした髪を持つ柔和な印象の少女が緊張した面持ちで声を発する。
「鈴木日緒様」
ギャルのような女性が、どこか気だるげに声を発する。
「高杉詩帆様」
明るく人当たりのよさそうな女性が溌剌とした声を上げる。
「橘隼人様」
カナタと同年代と思しき顔立ちの整った朗らかな印象の少年が毅然とした態度で応じる。
「田村健吾様」
次に、ふくよかな体型の男性。
「塚原敬様」
知的な印象の男性が、眼鏡を軽く押し上げながら応じる。
「永瀬日葵様」
それに「ん」と、淡泊な声で応じたのは、イヤホンを着けた少女だった。
「七海薫様」
続いて名前を呼ばれた女性が返事をする。
「野々村陽介様」
髪を染めた軽薄な雰囲気の男性が人当たりのよさそうな声で応じる。
「氷崎綾乃様」
その名前に、日本刀を携えた黒髪の美少女が涼やかな声で答える。
「美作春奈様」
そして次に呼ばれたのは先程色黒の男――「権藤大河」に絡まれていた清楚な印象の女性だった。
「宮原誠義様」
その声に中年と思われる男が端的に応じる。
「柳克人様」
次に答えたのは、強面の男性。
「結城叶多様」
そして最後にカナタが呼ばれる。
「――以上ですね。では、異世界への移住を始めましょう」