ご
「いやです。孤児院に帰りたい。」
臆することなく言う幼女に腹立ったから持っていた扇で頬を打った。
夫の因子を持っているから引き取ってやろうと思ったのに。
生意気にも再度言い返してきた。
挑むような金色の瞳さえ、あの人と一緒なんて腹立たしい。
私は、幼女に隷属の首輪を着けた。こうなることを見込んでライカに頼んで闇ルートから手に入れた禁制の魔道具。
この幼女に使い魔がまだ居ないことが事を容易くさせた。
煩い声も聴きたくないから使用人に押さえつけさせて、舌を切ってやったわ。夥しい血で汚れた床の掃除も自らさせてやった。
隷属の首輪を付けられたせいで上手く魔力を練れなくて止血が出来ない幼女を足蹴にする。
なんて気持ちが晴れるのかしら。バジリスクすら喰らう鳥魔族の因子が沸き立つ。
「お母様、これは何?」
震える瞳で声を掛けてきた我が子達。
「新しく来た下女よ。そうね、あなた達の玩具かしら。あなた達のお父様が帰ってこないのはこの子のせいなの。だから、殴っても蹴ってもいいのよ。」
幼女の実母は性に奔放な踊り子だったけど、罰が当たって死んだらしい。
「でも、お父様には、内緒なの。掃除が終わったら、そうね、裏の小屋にでも与えておきなさい。お前達も旦那様には内緒にするように。由緒正しい伯爵家の当主が他所に子を作っていたなんて外聞が悪いから黙っておくように。」
青冷めている使用人の中に旦那様付きの者はいない。
いっそのこと、旦那様を恨んだあの幼女が旦那様を害してくれないかしら。私への愛を再確認してくれる筈だもの。
たまに屋敷に戻ってくれる旦那様に子供達は甘えているわ。
どうしてか複雑そうな顔をしているけれど、邪険にはしない。やっぱり私への愛なのね。使い魔もいない、変成期も終えていない、魔力を封じられたあの子の存在には気付いてないみたいなのも良いことだわ。
数年後に訪れる長男の成人が来ても旦那様は私を家族を見捨てない。
あの幼女を屋敷の端に住まわせてから二年が経った日に感じた魔力の放出。
小屋に向かうと来年から王立学園の寄宿舎に入る長男と長女がいた。
「何事です!」
「母上、小屋が破れません。あいつが、結界を張ってるんです。」
まさか、そんなこと、旦那様?いいえ、質が違う……。アレの魔力は封じられているし、さっきほどの魔力は感じない。
あの子が結界を張ってる?
一瞬感じた魔力はゾッとするように恐ろしいものだった。
あんな力があの子にあるわけがない。
まずい。
そう感じた。途轍もない魔力だった。それこそ、王族に連なるほどの…………。
カチャリ、ギィィィ。
扉の開く音に皆の視線が注がれた。小屋を取り巻いていた結界は無くなったようだった。
「おや、皆さん、お揃いで。」
屋敷に来た時以来聞くことのなかった幼女の声は少女の声となっていた。
「お、お前、声!」
長男が驚くのも仕方ないことだ。
「治しました。そこのあなたに切られた舌を。今思っても酷いことしますね、あなたは。」
再生したと言うの!そんなバカな!
少女が此方に脱げ捨てたのはかつて私が命じて着けさせた隷属の首輪。
「長年の虐待による魔法攻撃をソレも受けていたので、ここ最近になってヒビが入っていたんです。特にそこのご長男の電撃魔法は首輪には負担でした。ありがとうございます。」
少女の肩に乗っている黒蛇に気付く。
「この子はロロ。私の使い魔。首輪が外れたので来てくれたんだ。」
使い魔の姿を見てホッとした自分がいた。この少女は蛇の因子だ。ドラゴンでもなければ龍の因子なんか持っていない。使い魔を見て悟った。旦那様の因子など受け継がれてないと!
「喜んでおられるところ申し訳ないが、私は、ヒューイ・アーノルドと踊り子マグノリアの間に生まれた子供だよ、」
何故、その女の名前を出すの!
「二人の間に愛情はなかったけど、私は、大いなる愛と加護の下、育ったよ。蛇皮のお陰で首輪を装着してても本当の肌に傷は着きにくかった。」
「か、加護ですって、何を言っているの、頭がおかしいのではなくて!」
誰からも愛されることのなかった子に加護などあるわけがないじゃない!
「私の名は、スコタディノーチェ。常闇の女神の加護と愛を受けし子供だよ。」
子供には名などなかった筈だ。
スコタディノーチェですって!不敬にも程がある。
教会の聖書にも載っている常闇の女神の娘の名前を知らない者は居ない。
「な、なんて罰当たりなの!」
足元から沸き上がってくるのは恐怖?何?
「そう思うなら思っているといい。私は、もう出ていく。ここに興味はない。けれど、このスコタディノーチェを虐げた罪は消えないから覚悟しておくといい。」
数日前にザンバラに切ってやった黒髪が艶めき美しく風に揺れている。痛め付けていた肌も先日押し付けた焼鏝の火傷の痕もない白い肌。
「う、嘘でしょう?」
震えているのは何故かしら。こんな子供の戯れ言に惑わされないわ、私は、誇り高き伯爵家の……。
『ノーチェ、行こうよ。』
肩に乗る蛇に視線をやる少女。何の話をしているの?
「そうだね、じゃあね、バイバイ。」
少女が消えた。
身震いしたのは、アレに怯えたからじゃない。白い吐息が証明している。途端に周囲の気温が下がり始めたからだ。
吐く息に呆然とした。
今はそんな季節だったかしら?
「奥様!これは、厄災の前触れでは?」
スタンピードと呼ばれる厄災が起こる前触れとして、英雄王ハインリヒの賢妃マグリットにより算出された確率法に記された、気温の急激な低下、チリチリとした肌感覚、地響き。
この三つが揃うと一キロ圏内に大小こそ分からないが厄災が起こる。それも高確率で。そんな、厄災が起こると言うの?
間近で厄災に会ったことのない私の周囲に鳴り響くサイレン。
厄災を関知した政府の専門部門が人々の避難を知らせるために鳴らすサイレンだ。
神の天罰とも呼ばれることもある厄災が起こると言うの?
アレの言葉が脳裏を過る。
青い騎士服を着て魔獣に跨がった騎士が天から駆け付けた。
厄災に対して動く専門部隊だ。
「シェルターへ避難を!」
慌てて皆がシェルターに走り出す。動けない私をライカが抱えるように抱いて走り出した。
「メラニン!気を確かに!」
ライカ、私が愛しているのは、ヒューイなの、でも、こんな私をあなたは私を助けてくれるの?
シェルターの扉を閉めると地響きが頭上を通って行った。ギリギリだったと思う。
使用人達の悲鳴が上がる。
暖かいライカに包まれて私は、意識を失った。