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白装束に着替え、わたしたちは、いつもの日課である、滝修行へと向かった。滝に打たれることで、清らかな心と、精神が、その身に宿るといい伝えられているが、その効果を、いまだに実感したことがない。
わたしの煩悩は、ちょっと、滝に打たれたくらいでは、洗いながせないようだ。もう、いっそ、一度、火を焚き、清浄な炎の中で、煩悩を焼き払った方が、早いかもしれない。よほど、前世に犯した罪の量の方が多いのだろう。
わたしの悪知恵は、ここでも働く。
滝修行の場所は、うちの神社の裏山にある。そこまで、歩いて山を登らなくてはならない。だが、子供のわたしにとって、それは、かなり大変なこと。
姉様に聞こえないよう、こそりと、加護の精霊の名を口に唱える。すると、背中を押すように、風が吹き始めた。
わたしの身体は、どんどん前へと進んでいく。
わたしは、風の精をこの身に宿しいている。
風は自由の象徴とも呼ばれ、その力は、まさに自由自在。こうして、ズルをすることだって、簡単にできたのだ。
「こら! 伊吹! ズルしない!」
姉様が、わたしの背中を押さえる。眉間に皺を寄せ、有無を言わせないといった感じだった。
わたしは、すぐさま、反論する。
「だって! 姉様。鳥は、翼がはえているから空を自由に飛ぶのよ。わたしだって、この力を、自由につかいたいわ」
「また。この子は、そうやって……屁理屈を言う」
姉様は、溜め息をついた。
素朴な疑問だった。なぜ、持って生まれた力を、自由につかってはいけないのか。これでは、たんなる、宝の持ち腐れではないか。
「伊吹は、まだ、うまく力を扱えないでしょ? 危険なのよ。大きな力は、人を傷つける力にもなる。いい。お姉ちゃんが見ていないところで、あまり力を使ってはだめよ。これは、伊吹を守るためでも、あるんだから」
今だったら、その言葉の意味が、よくわかる。だが、このときのわたしは、反抗期、真っ盛りだったのだ。姉様の手を振り払った。
「そんなことないわ! ……わたしだって。うまく扱えるもん!」
わたしは、さらに、大きくイメージを膨らませた。
風が突風に変わり、身体が前へと、押し流されていく。
しまった……。
力の暴走。その言葉が、脳裏をよぎった。
無理にイメージを膨らませたことで、バランスが崩れ、力が暴発してしまったのだ。
わたしを中心に、風が吹き荒れ、渦を形づくる。それは勢いを増して、竜巻へと、その姿を変えた。
あっ、と思った時には。
わたしは、空高く打ち上げられていた。
「伊吹……っ!」
姉様の声……。
はっと、目を開ける。
景色が反転していた。いや、ちがう……。これは、落ちているのか。逆さまに見えていたのは、わたしが、頭から落下しているからだと、気づく。
地面が迫ってきていた。このままでは、地面に頭を打ちつけることになる。そうなると、まず、助からないだろう。その前に、なんとかしなくては。
頭の芯が熱く、上手くイメージがまとまらない。この状態で力を使うのは、危険であり、本来なら避けなくてはならない。大きなエネルギーは、一歩間違えれば、破壊を生み出す。想像は無限の可能性を秘めているが、それに似合う、集中力と精神力が求められてくる。修行は、そういった意味でも、大事なことだったのだ。それを何かと理由をつけて、サボろうとしていたわたしは、やはり未熟者だったと思う。
心の中で、何度も、精霊の名を唱える。
おかいし。何も起きない。こんなこと、今まで一度もなかった。
今度は、口に出して唱えた。やはり、何も起きない。
どうして。どうして。
もう涙が出そうだった。
このままでは、地面に頭を打ちつけ、死んでしまう。
そんなの嫌だ。
突如、クッションか何かに埋もれたように、落下する速度が緩やかになった。やはりそうだ。
「姉様!」
わたしは、叫んだ。
姉様が力を使ったのだ。落下速度に合わせて、下から全身を包み込むように風を起こしたのだろう。
「ふう。間一髪……」
両手を、わたしの方に向け、姉様は、安堵の溜め息をついた。
わたしの身体は、ゆっくりと地面に近づき、そのまま着地する。そのとき、腰を強く打った。姉様が何か言いたそうな顔をしていた。
また、いつもの、お得意のお説教が始まるのだろう。
「だいじょぶ……。自分で立てるから」
むっと、した顔で言った。
だが、違った。
いつもなら、ここで小一時間くらい、ガミガミと説教が始まるのだが。姉様は、目に大粒の涙を浮かべ、わたしの体を強く抱きしめた。
「もう、こんな無茶なこと、しないで……」
「ご、ごめんさない」
「わかればいいの。わかれば……」
姉様は、わたしの髪を、優しく撫でた。
二度と姉様に心配をかけない、と心に誓う。
だが、わたしの悪事が、ここで終わるはずがないことは、言うまでもない。
ここまで読んでくれたあなたに感謝します。