給食を残した結果、教師が泣き、親が心配し、学校が動いた
私は激怒した。必ず、かの邪智暴虐なるこのクラスの王を除かねばならないと決意した。
「全部食べるまでそのままでいなさい!」
それが我がクラス五年二組の担任教師の口癖だった。
時間は既に午後一時を回っている。生徒達の机の上には教科書とノートが広げられているが、ただ一人だけ違っていた。
「うっ、ひぐっ、ごめん……なさい」
「おい、オレが食ってやるから、よこせよ」
見かねた隣の男子が申し出た。しかし、彼の不器用な親切心は冷徹な声に切り捨てられる。
「ダメです。自分でやらなければ意味がありません。誰かに助けてもらえるなんて思わないでください」
クラスメイトの女子がぼろぼろなきながら無理やりに口に運ぶ。
教室からは心配、同情といった視線が向けられる。ただ一人、担任だけが満足そうに笑っていた。
私はようやく十になったばかりの子供である。正しさについては毎週朝に放映されるヒーローたちから学んだ。邪悪については人一倍敏感であった。
私は単純な人間であった。やつを倒さねばならぬと行動に出た。
「全部食べるまでそのままでいなさい!」
私の前には手付かずの給食が残されていた。大好物のプリンもそのままである。
わたしは腕を組み担任をにらみつける。クラスメイト達は異様な雰囲気を察してか、心配そうに私を見ていた。
「Yさん。あなたは一体何のつもりでそうしてるのですか。言いなさい」
担任教師は静かに、けれど精一杯の威厳をもって問いつめる。眉間の皺は、彫刻刀で彫ったように深かった。
「クラスを暴君の手から救うのだ」
臆病さを見せてはいけない。ただ短く自分の考えを述べた。すると、担任はいきりたったようにバンと机を叩く。
「バカなこと言ってないで早く食べなさい。給食センターのひとも困るでしょう」
「それはなんのための理由だ。自分の地位を守るためか」
「黙りなさい!」
顔を真っ赤にするとこちらをぐっとにらみつける。
私は決して命乞いなどしない。死ねる覚悟で座っているのだ。
放課後、みんなが帰る中でわたしは動かずにいた。
「なあ、そろそろ諦めろよ」
声をかけてきたのは親友であるDだった。教室で私をにらみつける担任を意識してか、その声は小さかった。
動こうとしない私を見て、ため息をつく。
カタンと時計の針が動く。時刻を確認した瞬間、私は自分の失態を知る。
「先生、私に情をかけたいなら、処刑までに三時間の猶予を与えてください。三時間のうちに私は必ずここに戻ってきます」
「とんでもないでまかせですね。あなたは嘘つきらしい」
「いいえ、必ず帰ってきます。よろしい、そんなに信じられないなら、Dを人質として残していきましょう。私が帰ってこなければ絞め殺しても構いません」
「え……?」
Dの手にプリンを乗せる。彼の大好物だ。
「頼む。三時間だけ私の身代わりになってくれないか」
「もういいですから、そのまま帰ってください」
Dは黙ったまま私と担任とのやりとりを見守ってくれていた。
彼へと謝罪はすまい。友と友の間はそれでよかったのだ。
「え……? いや、ちょっと待って」
Dを私の席に座らせると、すぐに出発した。下駄箱で履き替えると、既に外は夕陽で染まっていた。
わたしは全力で走り出した。家についたのは、午後五時。疲労困憊でよろめく私を見て、家にいた妹が驚く。
「あれ、ランドセルは?」
「学校に用事を残してきた。またすぐに学校に行かなければならない」
「えー、なんでなんで?」
うるさく質問してくる妹を無視すると、頬を膨らませた。
リビングに入るとすぐテレビのリモコンを探した。
チャンネルを変えるとアニメの主題歌が流れ出す。
間に合ったと安心する。
「勝手に変えないでよ。見てたんだから!」
抗議する妹に事情があるからと頼んだ。
「そんなの知らないよ。わたしが見終わるまで待っててよ」
「待つことは出来ぬ。どうか録画で済ませてくれたまえ」
さらに押して頼むが、妹も頑固だった。なかなか承諾してくれない。議論を続けて、妹をなだめすかして、説き伏せた。
「今度アイス買ってやるから」
駄菓子屋の60円のバニラアイス。それが妹の好物だった。
番組が終わるが、妹との言い合いによって満足に見ることができなかった。
「あー、なんで、また見てるの!」
「アイス、いいのか?」
妹を黙らせて、今度こそじっくりと見た。しかし、気になるところがあったのでもう一度再生する。
そうこうしているうちに母が帰宅する声が聞こえた。
リビングにいる私たちを見て、母は早く風呂にはいれとせっついた。怒らせた母は怖い。
風呂をすませて、夕食の席を家族と囲っていると電話が鳴り出す。何か不吉なものを感じた。
「ねえ、D君知らない? 帰ってきてないんだって」
母が受話器を持ちながら問いかけてきた。Dはうちにも何度か遊びに来ていて、母もよく知っている。
心配する声でDの親との会話を続けていた。その横をすり抜けて玄関に向かった。
「待ちなさい」
靴を履き扉を開けようとした私の肩を母がつかんだ。
「何をするのだ。私は学校へと戻らねばならない」
約束の時間まであと30分もないことを先ほど知った。
「忘れものだったら、明日にしなさい」
「すまないが正義のためなのだ!」
母の手を振り切り外に飛び出す。
既に外に日の光はなく。人工の光が道を照らしているだけだった。
走り出せば運動不足の母を振り切るなど容易い。
大声で叫ぶ母を置いて学校へと向かった。
いまもあの教室で孤独に耐えているDを思った。彼は無心に待っているのだろう。
ありがとう、D。よく私を信じてくれた。
遠くからピーポーとパトカーのサイレンが聞こえた。そっと頭をもたげ息をのんで耳をすませた。それは前に進むごとに大きくなっている。
学校の前で赤色燈がくるくると回っていた。
青い服の警官と校長と教頭がやりとりしている。その隣には見覚えのある女性もいた。Dの母だ。
彼らの視線がこちらに向いた。そのまっただ中を抜け、警官たちを仰天させ校内へと入った。
すれ違うときにDの母へと教えた。
「Dならば教室にいます」
「え、どうして?」
わけもわからずついてくるDの母。事態がのみこめないままの警官。そして、顔面蒼白の校長と教頭。
「私だ! Yが帰ってきた!」
大声で教室の中へと叫んだ。
時計を見ると約束の刻限にすんでのところで間に合った。私は約束を守ったのだ。
しかし、歓喜の声も、驚く暴君の顔もなかった。
「先生が悪かったです。食べなくてもいいから家に帰ってくださいよぉ……」
「でも、あいつからプリンもらったから……」
そこには半泣きの担任教師と、いたたまれないといった表情のDがいた。
「これはいったい、どういうことですか? キミがD君でいいんですよね」
「えっと、あの……」
事態を収めようと警官がDへと話しかける。
彼は自分を囲う人々を困惑の目で見回した。やがて、Dの母が静かに近づき、顔を真っ赤にしながら怒鳴る。
「こんな遅くまで何やってたの!」
「だって、Yにやれっていわれたから……」
「いや、これは正義のためであって」
その後、息を切らせた私の母もやってきた。
正座させられて叱られる我々の姿に苦笑しながら、警官達は撤収していった。
次の日、残っていたDに何があったのかと聞くと、校長や教頭も呼ばれて説得されていたらしい。
あの事件以来、給食の時間は奇妙な緊張が流れていた。人参を残したクラスメイトが担任教師の様子をちらちらと見ている。
何かいいたげな顔をするが飲み込んだようだった。
それ以降、給食を残しても居残りを強制されることはなくなった。
「おまえのせいでひどい目にあったじゃないか」
「私を殴れ。力いっぱい頬を殴れ」
「え、やだよ」
Dは気持ち悪そうに首を横に振る。
「ありがとう、友よ」
Dをひしと抱きしめると顔を真っ赤にして離れようとする。クラスメイトからははやし立てる声が聞こえた。
「おまえ女子なんだから。いい加減その変な口調とかやめろよ!」
やがてチャイムの音が鳴るころに、担任が教室に入ってくると体を離す。
Dはひどく赤面していた。