2 懺悔
ほんとうに……美しい人。
私は思わず呟いていました。
目の前にいる少年は、表情を浮かべることなく無表情にこちらを見ていました。
大きい瞳は少し愁いを帯びた薄い空色。
薄い唇ははっとするほど鮮やかに血の色を透かしていました。
月の色をした髪はさらさらと頬をすべり、ほっそりとした首の白さが眩しくも艶めくしく目に写ります。
表情など浮かべなくとも、俯いて咲く儚い花のような美しい顔がこちらを向くだけで、私の心は高鳴りました。
そう、この美しい生き物が、私に新しくできた兄です。
一目見た瞬間に気に入った、私より小さな美しい兄。
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血のつながりどころか、同じ生き物かどうかすら疑いたくなるほどに整った肉の皮をもつ彼を、私は異常ともいえるような親愛の情をもって、やさしく接しました。
幼い子供よりも、物を知らず。
かと思えば大人でさえ知らない素晴らしい知識を頭の中に抱え込んだ兄は、人らしい感情がとても希薄なようでした。
ですが、貴族に仕える侍女のごとく、労を惜しまず世話をやき、親愛のこもった目で見つめ、彼の周りをぬるま湯で満たし、世俗の擦れた空気を近づけないように尽力しました。私は必要以上の献身をもって、小さなお兄様に接していました。
そして、肉親というには離れた場所に立って、仰ぎ見るようにして大切にしていたのです。
彼は美しい。そして、彼は賢い。砂埃にまみれて生きてきた私や、多くの町に住む人達とは明らかに違うものを彼は持っていたのです。日に焼けていない肌も、柔らかい手足の皮膚も、筋肉の薄い華奢な体躯も、御伽の国の住人のように見せていました。
私にとっては、兄が病弱なことも、小さい部屋で鬱屈して過ごすその精神でさえ、特別に価値をもつように見えていました。何をやってもため息が出るほど美しい兄の、吐き出す言葉、葛藤でさえ、特別尊いもののように見えていたのです。
生真面目で卑屈で孤独で努力家で愛情に飢えていた、私よりも小さな体の兄のことが、私は本当に大好きでした。
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あの時のことは、まだ細微に思い出せます。
いつも通りの穏やかな午後。兄はベッドの上で本を読み、私は傍らで縫物をしていました。
その時、窓辺に小鳥が羽根を休めにやってきたのです。
鳥の鳴き声に気づいて、驚いた私の挙動で小鳥はすぐに飛び去って行きました。
それを、兄と一緒に笑って。
そして……
「僕と、結婚してほしい」
兄は読みかけの本に視線をおいたまま、私の手をとって、ぽつりとそう言葉をこぼしました。
その時の衝撃を私はなんと言っていいのか、今でも適切な言葉を選ぶことができません。
今、兄は私と兄妹以上の間柄になることを望んでいる。
私という、ただの町娘と結婚したいなんて、そんな、どこにでもあるような人生を選ぶなんて馬鹿げている、ありえない。私は一瞬そんなことを考えて腹立たしささえ感じたのです。将来現れるお姫様がお兄様の結婚相手に決まってる。そう思って言葉を口に出そうとして、私は言葉に詰まりました。
私はなんて傲慢なことを考えているのか。
そのとき、私は自分の醜い思考を恥じ、献身的な妹として適切な言葉をかけようと言葉を探しました。
そして言葉を探しながら、私は自分がどんな目で、彼を見ていたのかを自覚しました。
もっとはっきりいいましょう。
私は彼に安っぽい夢を押し付けて楽しんでいたことを自覚したのです。
彼の美しさと、それを取り巻く環境を一つの物語の主人公を追いかけるようにして見つめていたのです。時に私は観客になり、時に私は彼を支える献身的な妹役になりきって彼の物語の一部であろうとしました。
いつか、兄にはお姫様が現れて、幸せに愛を育んでいく。
あるいは、賢さゆえに王宮に仕官する未来があってもよいかもしれません。
今はかけらも見当たらない未来の幸せのために、辛酸を舐める兄に侍ることこそが、私にとって大切なことでした。
兄は、ただの街娘と恋に落ちて、さびれた街の片隅の、つぶれかけた店を建て直すことに一生をささげるような人間ではないはずです。
私は兄を、本当に大切に思ってきました。そこに一つも嘘はありません。
しかし、大切に思う気持ちの間に、私は自分の妄想とささやかな虚言を交えながら、兄の悲しみや孤独に寄り添うことを、私自身の娯楽に換えて楽しんでさえいました。
兄と本心から向き合う気持ちは、私には欠片もなかったのです。
私は、そのおぞましさに一気に目が覚め、そしてやってしまったことの罪深さに恐れをなして……
逃げ出したのです。
それが、私の、罪の全てです。