松・壱:苦難=転移
カア、カア。
烏の鳴き声が木霊する。
俺、村樫 永は起き上がった。
「ここは……どこだ?」
間抜けに欠伸をする永は、辺りを見回す。
ビル――なんてものはまず見当たらなかった。あちこちにあるのは煉瓦や木造、そして少しコンクリの家である。
「あれ? 夢か??」
目を擦りながら、永は言った。
確かに永の寝ていたところも、辺りもそれを夢だと思わせるものしかなかった。
だが、これは現実である。
頬を抓る。
痛い。
……。
永はこの時、察したのである。
「ハッハ」
まさかな、もう事実っぽいが。
「異世界転移、か……」
なんて、訳があるかーー!!
永は自分で自分を突っ込む。
異世界なんてものは無く、そもそもここが異世界な訳がない。
そう思ったからである。
だが、しかし。
――スライム。
一瞬視界に、有り得ないものが目に入る。
スライムやゴブリン、小さなドラゴンまで連れている少年がいたのだ。
「――!?」
そろそろ。本当にそろそろこの仮説が疑えなくなっていた。
そうか、本当に……。
「異世界転移、だと……!?」
驚きのあまり声が出ない。
永はすぐに近くの店に入る。
――服屋。
――宝石屋。
――本屋!
やっと見つけたその店から地図を探そうとする。
だが、それは見つからなかった。
なぜなら。
文字が読めない。
「あのーー。店員さん?」
仕方ないので、永は会計席らしき場所にいる男に訊こうとする。
店員は咳払いをした後、こう答えた。
「アンタ、どこのヒトだ? そんな絶滅しそうな言語を喋って」
……え?
今なんて??
「大体どうやって憶えたんだ!? そんな古語。うちにそれに関する古本はないぞ~~?」
古語……? 日本語が、古語??
永は言葉が出なかった。
なら、ここは大分未来の世界なのだろうか。
日本語が絶滅しかけているのであるから。
その時永は、書店で探していたものを見つけた。
――地図。
そう、地図である。
海が描かれている地図だ。
世界地図だ。
そして、気付いた。
ここは少なくとも、自分の知っている地球ではないと。
なら、確実である。
異世界転移。
そうでなくても、相当な未来へ来ている。
この状態のままで。
ならどうする? この異世界、日本語が古語認定されている世界だ。
この書店のおっちゃんなら言語は通じるが、そもそも何で日本語しか喋られないかの説明は不可能であろう。
なら……。
「まさか、異能力持ちか?」
書店のおっちゃんが言う。
え? あ、そうか。
この世界に異能力はあるか!
そう思い、すぐに答える。
「ああ、そうだ」
「確かに聞いたことがある。様々な言語を使用出来る異能力を持つヒトがいるってな」
「俺はそれだ。そして今、なぜかどう喋ってもこの言語になってしまって、困っているんだ。お願いだ、俺の言うことを聞いてくれ」
よし、永は少し良い言い訳が出来て喜んだ。
彼が軽くガッツポーズをした、その瞬間――。
「ふざけんじゃねえ!」
書店のおっちゃんの一喝。
永は思わず怯んでしまう。
「ヒト如きが人間様に頼み事してんじゃねえよ!! よくもまあそう堂々と話せるよなぁ? ヒトの分際で」
永は自分が何を言われているか分からない。
「まさか人間様と同じ学校やら何やらが使えて、調子に乗ってんのかぁ? おい、お前らは身の程を知った方が良いんだよ! ヒトの分際で思い上がるな!!」
永は後ろ足を踏む。
何だろう、この申し訳のなさ。
そして彼は、走って書店を抜け出していた。
何なんだ!? 今のことは。
永はまだ状況が察せられない。
人間様にヒト、永にはこの違いが分からないのである。
路地裏に来て永は座って一息をつき、空を見上げた。
――どこに来ても同じなあの水色の空。
少し、心が落ち着く。だが、それでも分からなかった。
なぜ、自分が怒られたかを。
完全に良い抜け道だと思ったのに、何で怒られたのであろう。
人種差別? それにしては「ヒト」って呼び方は少し違うような……。
「あの、えっと。大丈夫ですか??」
その声に気付いた永は、声の主を見上げた。
心配そうにこちらを見ている彼女は、貧相な服を着て茶髪の、自分と同じ十五歳くらいの美少女であった。
永はポカーンと口を開けて、彼女を見る。
「えっと、いきなり御免なさい。何で貴方がその言語を知っているか、そして公共の場であんなことを言ったのか、気になって付いてきちゃいました」
「え、あ、う……」
彼女のいきなりの声かけに永は戸惑う。先程のように、失言をしてはいけないと思ったからだ。
何と言えば良いのだろう。普通に異世界転移したなんて言って良いのだろうか。
そう考えながら、一つ永はこう言った。
「名前は?」
「教えません」
即答だった。
「教えたら、貴方は私を苛めます」
なぜか彼女は怯えながら答える。
そんな彼女に永は、何も言えない。
「えっと、要約して訊きます。貴方は何者ですか?」
すっと、風が流れる。
茶髪彼女はただ永を見て、答えを待った。