第61話 最悪のひととき
最高の思い出って何でしょう。最高の友達ってなんでしょう?
カナちゃんとおーちゃんと会う前は、こういう類いの言葉は胡散臭いと思っていました。
二人と出会ったのは今から半月前。
けれどもこの半月は、わたしの今までの人生とは比べ物にならない重みがあるのです。
この深く重く価値ある時が、「最高の思い出」なんですね。
この時間がずっとずっと続けばいいのに。二人とずっとずっと一緒にいたいと、願わずにはいられません。
*
最悪のひとときが訪れようとしている。
ドラヴァンとの戦闘に勝利したかと思ったら、服も肌も髪も全身真っ白な少年、ラクリスが現れた。
小柄な見た目をしていながら、今まで出会ってきたどんな敵よりも強い。
そんなヤツに、実質殺す宣言をされてしまったのだ。こうなった以上、隙を見て逃げるしかないだろう。
「――とはいえ、俺もそこまで鬼じゃない。だからさ、取り引きをしようじゃないか」
「取り引き?」
「そ。コルダータちゃんを差し出せば、君の命だけは助けてあげるよ。ティマイオス様への信仰を誓うなら俺の部下にしてやってもいい。俺って色々融通が効くからさー」
論外だ。
コルダータちゃんを差し出す? あり得ない。なによりそれは一番言ってはいけない言葉だ。
「その口、2度と開けないようにしてやるわ!!!」
「ははっ、やってみなよ! できるもんならさ!!」
無数の浮遊する剣を従えるラクリスに、カナンはたった一本の剣を構えて対する。
『……いいか主様? 前回同様、アイツとまともに戦ってはダメだ。怒ってるのはわかるが、今は抑えるんだ』
「……大丈夫おーちゃん。私はいたって冷静よ」
冷静であるというのは嘘ではない。ただ、やはりコルダータちゃんを取り引きの材料に使われた事に強い怒りを感じているらしい。
「カナちゃん……おーちゃん……」
不安げなコルダータちゃんに、オレとカナンは大丈夫だと言う。
「ごちゃごちゃ言ってないでさぁ! さっさと始めるよ!!!」
「おーちゃん!」
『了解だ。上位氷結魔弾っ!!』
ラクリスが召喚した無数の金色の剣が、まるで統率をとっているかのごとくこちらへ降り注ぐ。その様子はさながら魚の大群のようだ。
それに対抗すべく、オレは影の中から体を全て現し翼から魔弾をガドリングのように乱射した。
剣と氷の弾幕合戦。氷結魔弾は、それぞれひとつひとつが炸裂した際広範囲に氷の枝を展開していく。
だが、剣の群れはそれらを物ともせずに突き破る。
「どうしたのかなー、全然防げていないみたいだけどー?」
『クソ、こうなれば……』
追跡してくる以上、回避も相殺も困難。ならば結界で防ぐしかない。
〝凍闇壁〟!
バギャッ! パキン! ゴギャッ!
「ふうん。まあまあやるじゃん」
ドーム状の紺色の結界がオレたちを包む。外部では無数の剣の群れが結界に激しく衝突し、亀裂を入れる。
それをオレは魔力を注ぎ込んで修復し、強引に防ぎきっていた。
だが、このままではいずれ結界を維持する魔力が尽きてしまう。
「ほらほらいつまで持つかな!?」
クソ、僅か数秒防御に集中しただけで既に魔力を1割も持っていかれた。
まずいな、このままじゃ1分も持たないぞ。
こうなりゃ多少危険だが、反撃するしかない!
「おっ?」
『凍闇徹甲弾!!!』
まるで鎧のような甲殻に包まれたオレの指先から、高密度の黒い氷の弾丸がラクリスへ放たれる。結界を内側から透過し、ラクリスを捉えた。
ボシュウゥゥン!!!
漆黒の大爆発。それは周囲の建造物もろとも消し飛ばし、同時にラクリスによる剣の群れの動きも止まった。
さすがに倒せたとは思えないが、僅かながら隙を作る事に成功したようだ。
「けむっ。いやあ驚いた。今のは面白い弾だねぇ、でも俺には基本効かないよ」
「それならっ! これでも食らいなさい!!」
結界を解除すると、カナンは土煙の中に浮かび上がったラクリスに接近し、追撃を仕掛ける。
ガキンと金属同士がぶつかり合い、弾かれたのはカナンの方だった。
「接近戦なら優位に立てると思った? カナン程度じゃ勝負にもならないよ。この間は手加減してやってたのさ!」
「チッ!」
舌打ちと共に、カナンがこちらへ後退し戻ってくる。
結局ラクリスに傷ひとつ負わせる事すらできなかったようだが、剣の大群による攻撃を止めさせられたのでよしとしよう。
「ふっふっふ、〝圧倒的な力〟ってのを見せてやるよ」
「ちーと……?」
なんだこの違和感は?
だが、今はそれを熟慮するほどの余裕は無かった。
「バラバラになりなっ!!」
金色の剣の大群が、更に数を増して一帯を埋め尽くす。そして、ラクリスを中心に高速で螺旋を巻きはじめた。
それは、まるで巨大な竜巻のようで――
「おーちゃん……コルちゃん……」
剣はどんどん数を増やし、天にまで届きそうなほど高くなる。そして竜巻は更に大きく太く強大になってゆく。
夜闇にあるこの白い港町が、竜巻によって削り取られみるみる内に更地になっていく。住民を避難させてるとはいえ、こいつ被害を考えていないのか?
いや、今はそんな事を考えている場合じゃない。
「逃げるわよ!!」
呆然とするオレたちを引き戻すように、カナンがハッキリと言った。
結界では防げきれないであろう手数だが、さっきのものとは違いあの竜巻そのものが追尾してくる訳ではなさそうだ。
『二人とも掴まれっ!!』
「ええ!」
「はい!」
二人を抱え、オレは翼を広げて飛翔する。竜巻から逃げる為に、この国から脱出するために。全速力で。
だが、そうは問屋が卸さなかった。
「ふふん、逃がさないよ」
「後ろよおーちゃん!」
咄嗟に動いた時には遅かった。
微かな殺気。背後から迫る〝槍〟にカナンが気づいてくれたおかげで、それの直撃だけは避けられた。
しかし、完全に避ける事は叶わず片方の翼に穴を空けられてしまった。
『しまった……!』
「きゃああっ!!」
きりもみ回転しながら墜落してゆく。
――落ちた先が砂浜だったのは僥倖だった。オレは別に硬い地面に落ちても平気だが、二人はそうもいかない。
「いたた……カナちゃん大丈夫ですか?」
「平気よ。コルちゃんこそ……平気そうね」
幸い二人とも大した怪我は無さそうだ。
だが、安心して喜んでいる場合でもない。
「言ったよね、逃がさないって」
『主様逃げっ――』
その時は、考えるよりも先に体が動いていた。
見えたのは、頭上に浮遊しながら金色の槍を構えるラクリスの姿。槍を投擲する目標は――オレの主様。
反撃だとか防御だとかそんなものは一切考えられなくて、気がついた時にはカナンの上に覆い被さっていた。
ぐしゃり
背中から腹部にかけて焼けるようで冷たい痛みが突き刺さる。
痛む箇所を見れば、オレの背中から腹部にかけてあの金色の槍が貫通して突き刺さっていた。
「お……おーちゃん……?」
『無事で、良かった……』
貫通した槍は、カナンの額に触れる寸前で止まっていた。
槍に黒い液体のようなものが滴り、ぱたぱた地に垂れては煙となって消える。
「ふふん、大した忠誠心だ。身を呈して17番を守るとは。でもね……」
『がっ!? ぐああああああ!?』
オレに刺さった槍が、内側でぐるぐる暴れだす。
魔霊に内臓があるかは知らないが、ティースプーンみたいに内部をぐちゃぐちゃに掻き回しやがる……!
「あ……おーちゃん……戻っ……」
『し、召喚を解除するなっ!! ここでオレが消えたら、逃げられなくっ……なる!!』
今、カナンの中に戻ったら再召喚にまで時間がかかるのは明白だ。ここまでのダメージ、おそらく部分召喚すらままならない。
やがて、何かが千切れる音がすると、下半身の感覚が消え失せた。
見ると、本当に下半身がちぎれ落ちて黒い塵のようになって消えていく所だった。
「もうやめておーちゃんっ!! 戻って!!」
「おーちゃん……おーちゃん……!!」
『まだだ……オレはまだ……』
激痛に、意識が呑み込まれそうだ。
ここで負けてしまったら……消えてしまう……二人を守れなくなってしまう。
「フフフ、愉快愉快。友達が傷つく度に他の二人の顔も歪む。楽しいねぇ!! どうだ魔霊ちゃん、そんな姿でまだご主人様たちを守れるかい!?」
ラクリスがカナンに槍を向けやがる。今度こそ外さないと、あるいはオレを嘲笑うように。
『やめ……ろぉっ!!』
「ははっ、まだ動けたんだ! きっしょ!!」
今出せる最後の力。
両腕をがむしゃらに動かし移動して、再び投擲された槍を震えで動けないカナンの代わりに受け止めた。
守らなければならない。カナンを、オレの主様をこの身に代えてでも。
なぜならオレは、カナンの〝影〟なのだから。
ザフッ
ここで、終わりか。
幼女フォームの肉体が絶命した時や、魔力切れとはまた違う閉塞感。カナンの肉体に戻されたのに、いつもと何かが違う。
意識が遠のいていく……。カナンの視界だけは相変わらず見えるけど、他の感覚はどこか遠い所に置いてきたみたいだ。
『――? ―――!!?』
カナンが……何か言ってる。でも、聞こえない。
まだやらなきゃいけない事が山ほどあるのに……
―――
「おーちゃん……? おーちゃん!!?」
どうしよう、おーちゃんが消えちゃった……! いくら呼び掛けても、私の頭の中には私の声しか響かない。
「さて、一番の邪魔者もいなくなった事だし、17番を殺してコルダータを連れて帰る」
「……コルちゃん! 逃げてっ!!」
「まずは17番。キミからだ」
「きゃっ!?」
速いっ……!!?
あっという間に背後を取られ、私はラクちゃんの蹴りを顔に受け吹っ飛ばされる。
そして飛ばした先に回りこみ、金ぴかの剣を振りかざしてくる。
「っ! させないわ!」
空中跳躍で慣性を打ち消し着地して、勢いを利用したまま走りラクちゃんに斬りかかる……!
「甘いんじゃない?」
「なっ!? ぎゃっ……!?」
私のお腹に刺さる冷たい異物感。その直後、焼きつくような痛みが背中へと走る。
ラクちゃんの剣が、私のお腹に突き刺さっていた。
「17番……俺はさ、ずうっとお前の事が嫌いだったんだよ」
「げふっ……なによ……?」
「今でこそ俺に匹敵しそうな力があるけどさ、昔は魔力も何の才能も無かったのに人一倍に努力しちゃって――」
バキっ
視界に一瞬白い火花が迸った後、頬に衝撃が走る。
ラクちゃんに殴られた。孤児院で暮らしていたあの時みたいに。
「――吐き気がしてたんだよね!!
馬鹿じゃないのって、本当に下らない! 才能が無いから努力する? そんなんで才能ある奴を越えられるなら、この世に落ちこぼれなんていないよねぇっ!?」
「つっ……!」
反対側の頬にも拳が炸裂した。抵抗をしようにも、なぜだか力が入らない。刺さったこの剣のせいかもしれないわ。
「馬鹿だよ、キミは。芽が出る可能性なんて限りなく低いものに夢を見ちゃってさ。ほんと、ムカつくんだよォ!!」
なによ、勝手に手を出してきて勝手に怒り散らして。好きなものに投資するのは私の勝手じゃないの。
それとも、ラクちゃんは好きな事に夢中になることすらできないの……?
もう、言葉にする気力も失せてきた。
「ハァハァ……それじゃ、お別れだよ。大事なコルダータちゃんは、俺がしっかり捕まえておくから」
私のお腹から剣を引き抜き、振りかぶる。
それは、明らかに私の首を切り落とすためのものだった。
「カナちゃんから離れてください!!!」
突如ラクちゃんの背後の地面がせりあがり、巨大な腕のような形となってラクちゃんを掴まえた。
「これは……器の魔法かな?」
「な、なんで戻ってきたのよコルちゃん!!」
「待っててくださいカナちゃん! わたしが助けてあげますから!」
土の巨腕はぎりぎりとラクちゃんの体を締め上げる。
けど、それでもラクちゃんは平気そうな顔をしていた。
「うーん、俺を殺すにはそもそもこういうのじゃダメなんだよね」
「ダメよ……逃げてコルちゃん!!」
私がそう言った時には、既に遅かったかもしれない。
ラクちゃんは土の腕を内側から消し飛ばし、私の前に降り立った。
「とりあえず、君は後回しかな。そこで大人しく見てなよ」
「えっ――」
私の体を縛り付ける、金色の……鎖? 剣といい槍といい、ラクちゃんの能力がなんなのかさっぱりわからない。
気づいた時には、1歩も動けなくなっていた。
「〝器〟はなるべく傷つけるなって指示なんだけどさ、〝なるべく〟って事はある程度はOKって事なんだよね。後で治癒できるなら、生き死にも関係ない」
「えっ、いつの間に……!?」
高速移動? 多分違う。一瞬でコルちゃんの背後に移動したラクちゃんは、その首に腕を回し、恐らくは能力で手元に奇妙なものを出現させた。
直角に折れ曲がった、手のひらに収まるサイズの筒状の何か。金ぴかなのは言うまでもないけれど、あれは――
「これはね、〝拳銃〟っていう武器さ。使い方は簡単。弾を込めて筒の部分を殺したい奴に向け、この引き金を引くだけ。どんなに弱い奴でも一瞬で強者さ」
そう言って、ケンジュウとやらをコルちゃんのこめかみに押し当てる。
それが何を意味するのか、もはや説明されなくても解る。
「やめて……やめろ!! やめろラクリスっ!!!」
「カナちゃん。わたしのこと……忘れないでくださいね」
ふっと、全てを諦めたように笑ってコルちゃんは――
「〝精神破壊弾〟!」
パァンッッ!!!!
乾ききった破裂音が夜の浜辺に響き渡る。それは反響で何度も無機質に繰り返された。
そしてどこか遠くの方で音に驚いた野鳥の一団が一斉に飛び立ったその時、コルちゃんの体は力無く砂の上に横たえられた。