第52話 奴隷少女の〝影〟は宿主の心の傷を知る
――記録。
星暦1984年.大海の月 48日。
トゥーラムル王国.ウスアムにて。
現地貴族『ガイズ』の助力の元、聖騎士ラクリスが〝勇者の魔石〟を持つ魔人と、一年半脱走中だった〝実験体 17番〟を発見・捕獲。その後転移魔法にてガイズと共に帰還。
当初〝勇者の魔石〟の器は我々に対し反抗的だったものの、薬剤投与により鎮静化。現在は『神殿』の地下にて拘束中である。
一方〝実験体 17番〟は捕獲後、当研究施設の解剖室にて拘束中。当初は昏睡状態に陥っており、覚醒には4日を要した。また、その間食事や排泄行動が無かったにも関わらず、健康状態は安定している。
―――
ぼんやりとしていた意識と視界が、次第にハッキリとしてくる。
ここは……何だ? 白くて小綺麗な……まるで手術室のような……。
明哲者いわく、オレの体が絶命しカナンの中に送還されてからおよそ4日が経ったらしい。ずいぶんと長い間眠っていた気がするけど、カナンの体の調子は悪くない。
ただ、手術台のようなものの上に両手足を拘束されて寝かせられ、体には白い粗末な布しか着ていない。
『なんなんだここは……?』
カナンの心臓が張り裂けそうなくらいばくばく働いて、ガタガタ震える全身には冷や汗が絶えず溢れていた。
『やだやだ……私どうすればいいのおーちゃん!? たすけて……』
『主様、ひとまず落ち着いてくれ。それから良ければでいいから、ここが何なのかをオレに教えてくれないか?』
『おーちゃん……あのね、ここは……実験施設……なの……うぅ……』
実験……なるほど、ここは生物実験を行う部屋か?
未だかつて無いくらい、カナンが怯えてる。今、これ以上聞くのは少し酷だな。詳しくは後にしよう。
ただ、カナンは以前ここにいたのだろう。ここで何か痛い思いをして、それが記憶に焼き付いているのだ。
『大丈夫、オレがついてる』
『うぅ、おーちゃんありがとぉ、だいすき……』
『あぁ、オレも大好きだ。だからいざとなったらオレを呼べよ? 絶対に守ってやるからな。だからさ、さっさとこんな拘束引きちぎっちまおうぜ』
カナンは小さく頷いて、手足に力を込める。
ギリギリと拘束している紐のようなものを引きちぎろうとするが――
『とれない……』
『マジか』
カナンの力は、それだけでAランクの魔物を圧倒する事ができる。
にも関わらず、この細い紐みたいなものがなぜかちぎれない。これはそれほどまでに強力なのか?
――否。カナンの力が出ないのだ。
「やっとお目覚めかい、眠り姫ちゃん。手間をかけさせやがって」
白い髪をした、カナンと同じくらいの年の少年……あ! オレを殺したアイツじゃねーか!!
部屋を隔てるガラスの向こうからニヤニヤしながら話しかけてきた。
「う……ラクちゃん……あ! コルちゃんはどこよっ!? ひどい目に遭わせてたら、許さないんだから!!」
「はぁ……あのさ、昔から思ってたけど、君……実験動物風情が俺に質問してもいいと思ってんの? 俺はこの国の研究の集大成だ。だがお前はどうだ? 魔力の無いただの失敗作で実験奴隷。ハナから立場が違うんだよ」
研究……? 実験動物……?
何一つ、オレにはコイツの言ってる意味がわからない。だが、コイツがオレの主様を馬鹿にしてるって事だけはよくわかった。
「そろそろ、お馴染みのマッドサイエンティストどもが来る。せいぜい頑張るこった! はははははは!!!」
「うぅっ……! こんなものっ! こんなものぉっ!!」
ギシギシと手足を縛るそれらを引きちぎろうとするカナンの肉体。しかし、擦れて痛くなるだけでちっとも千切れる気配は無かった。
「無駄無駄。それには【脱力】の効力があるからね。キミの自慢のパワーも無力だねぇ」
「くそぅ……うぅ……」
ちょっとだけ強気になったものの、すぐまた怯えモードに入ってしまった。
「邪魔だよラクリス君。君には君の仕事があるだろう?」
「おっと、こりゃあ失礼しました先生方。俺はここで見守ってますからどうぞお気になさらず~」
ラクリス――やらいう白髪の少年と入れ換わるように、白衣を着た人間が何人もこの部屋へ入ってきた。
手袋にマスクにその格好は、まるで手術をする外科医のようで――
「ふん、1年半ぶりに実験の続きができる」
「二度と脱走できないよう手足を取ってしまおうか?」
「いやそれはダメだ。許可されていない」
「それよりだ、今回は精神の成長による17番の体質の変化についてを――」
白衣の連中は台の上に乗せられたカナンを取り囲み、上から見下ろしながらぶつぶつ話している。
凄まじい悪寒がする。
連中の1人が、カナンの体にチューブ状の器具やらを巻き付けた。その先にはよくわからない、画面のついた機械と繋がっている。
それから、カナンの服をめくり、黄色い液体の入った注射をお腹に近づけてきて――
「たすけて……おーちゃん……」
――その時の事だった。
カナンの脳内に、まるで映画館のスクリーンが投射されるように、それが映し出されたのは。
カナンが自ら、意識を共有するオレに辛い記憶を見せてきた。
ここ……この手術室でカナンは――
麻酔も無しに、カナンの体にメスが入る。
『いくらか実験した結果、強い痛みや怒り、それと恐怖があった方が良いデータが録れるようだ』
と、記憶の中の研究員は言う。
何度も何度も、何度も何度も。
どれほどバラバラに切り刻まれようとも、高性能の回復薬を傷口に投与されれば元通りに治癒してしまうのである。
終わりは見えなかった。連中はカナンの体を使って様々な人体実験を行った。
体を刻んで千切って切り離して、毒や薬を投与したりして、ひたすらに苦しめた。
それでも当時のカナンには、今のような怪力は無かった。故に、大人の男数人に対して抵抗する事など、不可能に等しい。
誰も、カナンをカナンとは呼ばない。
〝17番〟と呼ぶだけだった。
殺風景な『飼育室』の小さなベッドの上で、小さなカナンは毎日毎日、深い絶望の底に沈んでいた。
ある時、1人の見慣れない女性研究員がカナンの元にやって来た。
彼女はここでは珍しく優しさを持って接しており、小さな黒い竜のぬいぐるみをカナンにくれたのだった。
ここへやって来てから初めて触れた人の優しさ。
カナンはそのぬいぐるみに『オーエン』という名前をつけ、溺愛した。
ほどなく『おーちゃん』と呼ぶようになり、たった1人の架空の親友になる。
『おーちゃん』がいれば、苦しい実験にも少しだけ耐えられるような気がしていた。いつか外に出られたら、一緒に世界を旅してみたいと、一層強く夢を抱いた。
だが。
連中にとっては多分、実験結果が芳しくなくなってきたのであろう。
ある日、苦しみに耐え部屋に戻されると、『オーエン』の姿が見当たらない。
どこを探しても、どこにもいない。
すると、ある研究員がオーエンを持って現れた。
そして、カナンの目の前でチョキチョキとハサミで切り刻んでしまったのだ。
更に研究員は笑いながら言う。
「キミにこのゴミを与えた女は、先ほど処分したよ」
カナンは再び深い深い絶望と憎悪の底に沈んでしまう。
何度も叫ぶ助けを求める声。
何度何度も声をあげても、全ては闇の中に吸い込まれていってしまった。
それでも尚、ありもしない希望にカナンは縋るしかなかった。
お伽噺にしか聞いた事のない異教の神にすら、カナンは助けを求めた――
「〝オウカ〟」
今は違う。
オレが2度とそんな思いをさせやしない。
バシュッ!
「ぐあぁっ!!?」
カナンに注射を打とうとする連中をオレは召喚された瞬間、腕を薙ぎ払って壁に叩きつけてやった。死んでようがいまいが、どうでもいい。ガラスが砕け散り、様々な機械が散乱する。
だが、あのラクリスって奴だけは涼しげな顔をしている。全く、底が知れないな。多分、ケテルベアーより強そうな雰囲気がある。
『大丈夫か主様? すぐその拘束具を取ってやるからな』
「ん……ありがと」
手術台にカナンを固定するものを闇魔法で消し去る。
これで何とかカナンの怪力も戻っただろうか。
『動けるか?』
「もちろん」
その光景を、ガラスの向こう側で不敵に笑う白髪の少年が見つめていた。
「クックック……いいね、久々に楽しめそうだ。さあ、かかって来いよ17番!」
そうしてオレとカナンは、久しぶりの強敵と相対したのである。
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