第26話 今はまだ
乾いた空気が凪いでいる。
テニスコート程度の広さのここは、ぐるりと円型に金網に囲まれていて、その向こうには多数の野次馬が観客席に座ってこちらを見ている。
「どこかで見覚えあると思ったら、てめえ森で会ったFランクのクソガキじゃねーか!」
「今はDランクよ」
「雑魚って事に変わりはねぇ!! 終わったらコルダータと一緒に夜の慰みになってもらうぜ!」
大男が巨大な戦鎚を振りかざし、正面から飛びかかってくる。そしてカナンはそれを余裕そうにひらりと躱す。
すると、戦鎚の当たった床がせりあがり形を変え、四方に棘のごとく広がった。
戦鎚の遅さを誤魔化すような範囲攻撃だな。当然、カナンに当たる事はなかった。
――ここはギルドに併設された闘技場だ。主に冒険者の鍛練や強さを測る所だという。
しかし今日は、ギルマスの権限で完全に貸し切られている。
理由は簡単。
決闘だ。
数刻前――執務室に飛び込んできたこのアガスという男は、自らが迷宮探索から除外された事に憤慨していた。
「ざけんなっ! なんで俺様が迷宮を……!!」
「あのね、他の冒険者達と連携が取れない上に、むしろ他人を危険に晒す人はたとえAランクでも迷宮探索にはいらないの」
「んな事知るか! 一番強い俺様がいなきゃ今回何もできねぇ田舎の雑魚ギルドのくせに、調子乗んじゃねえ!!」
何だこいつ? 自分がこの街で一番強いとか言ってる。笑えるな、ルミレインと一回ガチで殴りあってほしい所だ。
「ふはは、だから〝勝負〟しようと言ってるの。このカナンちゃんと試合をして、キミが勝てば迷宮探索を許可してもいい」
「あぁ?! ……馬鹿か? こんなガキにAランクの俺様を止められるとでも思ってんのか?」
「はぁーあ。カナンちゃん、あいつ高ランクと貴族のコネを傘に着て他の冒険者に強姦未遂とか暴行とかしてるクズだから。高ランク至上のプライドを粉々にしてちょうだい」
――という、エルムのやり取りを思い出す。
かくして、カナンはアガスを軽く揉んでやる事になったのだ。
ちなみにオレは、ここに来る最中カナンの中に飛び込んだ。なおさらアガスに勝ち目は無い。
「Aランク冒険者とあんな小さな女の子を戦わせるなんて……どうかしてるぞ!」
金網と目に見えない透明な結界の向こう側で野次馬がそんな事を言っている。見た目で侮ってもらっちゃ困る。
「どうしたどうしたァ!? 逃げ回ってばかりじゃ勝てねぇぞぉ?! 降参するなら今のうちだぜ?」
アガスが戦鎚を叩きつける度に、地面が棘や壁など様々な形に隆起してカナンに襲いかかる。コルダータちゃんの魔法に似ているけれど、これはその下位互換だな。
「……あなたの攻撃を全部見切った上で倒してあげるわ」
「あぁ? いいぜ、その挑発乗ってやる。避けるしか能が無ぇメスガキが!!」
〝プライドを粉々に〟
カナンは徹底的にやるつもりらしい。ドS魂に火がついたようだ。
ドォン!!
また、戦鎚が床に打ち付けられる。
すると、隆起した土が触手のように何本も伸び、カナンの足へ纏わりついてきた。
「へえ、意外と器用ね」
「オラ死ねぇ!!」
その隙をすかさずアガスは攻撃してくる。
だが、それでも、カナンには当たらなかった。
土の触手は足に纏わりついたものの、縛られる前に蹴り飛ばしたのだ。アガスからすれば、また振りだしである
「ほらほら、私を倒して迷宮行くんでしょう? やってみなさいよ」
「な、ナメるなよクソガキがぁっ!!!」
ほう? 戦鎚を無茶苦茶に振り回して、今度は地形変形を連発してきた。一応カナンを狙っているが、本命は地形変形に引っ掛かる事を期待しているらしい。
だが。
カナンはそれらも全て、金色の尾をなびかせ的確に回避してみせた。
「殺す殺す殺す! 最大出力っ大地粉砕ッ!!!!」
戦鎚を一際大きく振りかぶり、全身全霊の魔力を込めて、カナンへ振り下ろしてきた。
ズドオオォォォン!!!
地盤を抉り返すように砕き押し潰し、そこにはクレーターが出来上がった。
衝撃はそれだけに留まらず、透明な結界にまでピシリと白い亀裂が入れた。凄まじい破壊力だ。
「や、やり過ぎだろ……あんなのミンチ所じゃ……」
土煙の中、野次馬どもがカナンを心配する声が聞こえてくる。
だが、そんなもの無用だ。
「へっ、雑魚がでしゃばるからこうな……」
「もうおしまいかしら?」
「ば、馬鹿な!?」
カナンは、真正面からアガスの一撃をそっと片手で受け止めニヤリと笑っていた。
もし今の一撃が地面に直接当たっていたら、この闘技場ごと潰れていたかもしれない。野次馬どもには感謝してほしい所だ。
「な、ありえな……ぐはっ!?」
カナンは手始めにアガスの腹に拳を叩き込む。すると、体をくの字に折りながら真っ直ぐに吹っ飛び結界に激突する。
「それで、雑魚が何って言ったのかしら?」
「が……が……」
あーあ、言わんこっちゃない。ちょっとかわいそう。
「聞こえなかったからもう一回言ってみてよ?」
バキン!
カナンは更に回し蹴りを加えた。
アガスはとっさに戦鎚の柄で防御しようとするも、焼け石に水でそのまま再び吹っ飛ばされ、反対側の結界にまた叩きつけられる。
「な、なあ……あの男って、Aランクだったよな? じゃあ、それを圧倒するあの女の子ってSランク以上なのか……?」
「し、知らねえ。だが、近隣の街から派遣された冒険者はAが最高ランクだって聞いたぞ」
――
「ほらほら頑張って! 迷宮に行きたいんでしょ?」
「ひ……」
殴る蹴る等の暴行を食らってまだ立ち上がるとは、さすがAランク冒険者なだけはある。
まあでも、まだカナンは全然本気出していないらしいけど。
「く、くるな化け物! 礫石!!」
「化け物だなんて、褒めても何も出ないわよ?」
腰の抜けたアガスは、空中に造り出した石を徒歩で近づいてくるカナンへ飛ばしてきた。
今さらこんなので怯むかっての。カナンは微笑ましそうにつぶてを弾き
「〝オウカ〟」
小さな小さな声で、オレを【部分召喚】した。
ただし、出したのは指先のほんの先っちょだけで遠目じゃ何も見えないだろう。
『【中位氷結魔弾】!』
こいつにはこれで十分だ。
進行上の石つぶてを退けながら、氷弾がアガスのすぐ横に炸裂する。
すると氷の枝がめきめきと成長し、太ももに深く突き刺さった。
「ぃぎャアアア!!!!」
アガスの大絶叫が闘技場に大きく響き渡る。
いやこれだいぶ加減していたんだけど……
「あ、あんな怪物になぜアガスとやらは喧嘩を売ったんだ……勝てる筈が無いじゃねえか……?」
「見たか今の……魔弾を無詠唱で撃ってたぞ?」
「うっそだろ、Aランクを圧倒できるパワーだけでもとんでもないのに、魔法まで……なおさらおっかねえ……」
これで、このアガスの風評は「Dランクの少女に喧嘩を売ってボコボコにされた哀れなヤツ」になっただろう。やったね。
「お、俺様は……俺様はAランクなんだぞぉぉぉ!!!!!」
石つぶてを剣で弾きながらついに目の前まで来たカナンへ、半ばやけになったアガスが思い切り戦鎚を振り下ろす。
「あなたはどんな味がするのかしら?」
――その瞬間、世界のありとあらゆるものがスローモーションとなった。
アガスの戦鎚は亀よりも遅く、カナンの剣はそれより何倍も速い。
『なあ、これって主様の仕業か?』
(あれ、おーちゃんも私の【思考加速】の影響に入るのね)
【思考加速】って確か、考える速度が100倍になるとかいう能力だっけ。
『それがこの感覚なのか』
(私も初めて使ったけど、戦い以外にも使えそうで便利ね)
そんなこんなと脳内会話を進める内に、カナンの体はアガスの脇へと回り込み、戦鎚を持つ腕を剣で切り裂いた。
「――っ、あ、うあああああ!!!!」
世界の速さが元に戻った瞬間、アガスの悲鳴と共に切断された腕から血が噴き出した。それからガシャンと戦鎚が手から落ちる。
「ぺろっ……うーん、おーちゃんの方が美味しいわね」
地に落ちたアガスの腕を拾い上げ、切断面から流れる血を一舐め。ワイバーンのよりは臭みが無くてマシかと思ったけれど、オレからすれば血生臭いだけで美味しくはない。
「よくも……お前……俺様の腕……を……」
「うるさいわ」
朦朧とするアガスの股間を、カナンは思い切り蹴りあげた。
「アッぶふっ!?」
「それ、もう一発!」
カナンはアガスの股間を蹴り上げた。
「ガふぶっ……やめで……」
「ざーこ♡ 喋んな気持ち悪い」
「すびま……許じで……」
もう一発股間を蹴りあげると、アガスは白目を剥いてドサッと崩れ落ちてしまった。
髪を掴み大きく揺さぶるも、もはや意識は無い。
「ちぇっ、もうおしまいなの? つまんないわ」
アガスへの興味が失せたカナンは、持っていた彼の腕を適当にその辺に投げ捨てたのだった。かわいそう。
――この日、『冒険者協会・トゥーラムル王国ウスアム街支部』から、Sランク以上の戦闘力を持つ冒険者が確認されたという知らせが協会本部へと送られた。
この知らせに本部の連中は歓喜した。なぜなら戦闘力の高い者は、いつ来るか分からない『大戦』で重宝されるからだ。
だが、彼らはまだ知らない。
〝彼女〟がいずれ冒険者という枠組みから外れ、文字通りの化け物に成る事を。
神をも屠る、邪悪な怪物となる事を、まだ知らない。
後々やるダーク展開への布石です。
おーちゃんはカナンちゃんの食料。




