第220話 死の定義
トゥーラムル王国の辺境に位置する、ウスアムの街。
ここでは歴史上類を見ない大事件が起こっていた。
それは降誕の魔王による、大規模なテロ行為だった。街を覆う霧の結界。この中では眠ると魔霊に魂を喰われ生きた人間を襲う怪物となってしまう。更には外部へと脱出は不可能。
これにより、死者は3万人に登るとみられていた。
これだけでも歴史に語られる事件なのだが、これで終わりではなかった。
特S級討伐指定モンスター【黒死姫】
事件発生から一週間。
彼女の介入により、この事件は更なる展開を見せる事となる。
……死者三万人という数字が、大幅に書き換えられる事となるのだから。
*
『死』の定義とは何か?
心臓の停止か?
脳波の沈黙か?
否。
心臓が停止しようと、脳波が沈黙しようとも、時に人は息を吹き返す。
死の定義とは、『蘇生が不可能の状態』である。
それ故に、時代によって死の定義は異なる。嘗ては死と見なされていた状態も、医療技術が発展した現代では助かることも多い。
死の定義はずいぶんと追いやられているのだ。
……さて。
彼女にとって……
〝黒死姫〟にとっての死とは、果たしてどのように定義付けられているのだろうか?
――心象顕現 〝晨星落落〟
白く無垢で鈴みたいに小さな花々が、見渡す限り一面に咲き誇る。そこにあるのは待雪草の花畑だけ。
他は全てが無明の闇でしかない。
『……』
黒死姫の心象に巻き込まれたのは、魔霊に肉体と魂を奪われた亡者たち。それと、未だ霧の中を彷徨っていた死人の魂とその死体。
真冬であることが幸いしたか、死体はほとんど腐敗せずに残っていた。
『……解析できました。一人残らず全員いけます』
『それは良かったわ。それじゃ始めましょ』
黒死姫が軽く指を振るう。
すると、心象内にある全ての魂が【魂食】の鎖に抽出された。
それは生ける亡者の魂も例外ではない。
『もういいわよ』
『はい!』
黒死姫の合図と共に、魔剣が心象内に漂う霧の結界を中和・そして破壊する。
フルムが作り出した霧の結界。これのおかげで、死者の魂は拡散することなく留まっていた。
抽出した魂の情報の解析。
元の肉体の特定と脳と魂の記憶を保護。
魂の破損している部分は、過去に捕食した数十万の魂から相性のよいものを擂り潰し補填。
肉体と魂を乗っ取られた生ける亡者――憑死魔に対しては、これよりも少し複雑な処置を行うことになっている。
魂にも核となる部位がある。
感情や自我といったものを司る、肉体で言う脳に近い機能を持つものが。
〝心核〟と呼ばれるそれは、意思も自我もない魔霊にとっては喉から手が出るほど欲しいものだ。
人間の心核を奪い乗っ取ることで、己の自我を獲得しようとするのである。
それ故、だ。
乗っ取られた人々の心はまだ、生きている。
黒死姫とコルダータは、魔霊の魂を切開し中に眠る心核を保護。
そして魔霊の魂の核(脳たる心核とは異なり、心臓にあたるもの)を破壊した上で中に戻した。
言うなれば魔霊の魂を逆に乗っ取らせたのだ。
三万人もの魂への処置は同時平行的に行われる。
そして次に、肉体だ。
腐敗は進んでいないとはいえ、損傷の激しいものもある。
これらはコルダータの治癒魔法と魂の情報を用いて、魔力で欠けた肉体を再現する。代謝が進めばやがては通常の物質の血肉に置換されてゆくだろう。
黒死姫は、心象内全ての犠牲者に『蘇生措置』を施していった。
†
犠牲者数およそ3万人――
当初はそう報じられていた。しかし、だ。
王宮魔導師ゼスの報告により、3万人という数字は塗り替えられる事となった。
――犠牲者数、0人
死亡したとみられていた街の住民全員が、結界が降りた後に五体満足で生還した。ちなみにこの二日後に領主の娘とメイドが行方不明となっているが、事件とは無関係と見られている。
ゼスの証言によれば、特級モンスター【黒死姫】が何らかの方法により死者蘇生を実現させたのではないかと見られている。
蘇生された者たちの健康状態は良好で、記憶の喪失や精神異常などもなく受け答えもハッキリしているという。
奇跡、いや奇蹟だ。
ただし、だ。
蘇生した者全員が、普人ではなくなった。
死亡していた者は〝妖死人〟に、魔霊に乗っ取られていた者は〝半人半魔〟という魔人へと種族が変わっていた。
妖死人とは、いわば『生きた肉体を持つ不死者』である。
生物が下手に触れれば毒となる呪力が体内を循環しており、また毒や魔力に対して高い耐性を有しているようだった。
一方の半人半魔は、エルフ等と同様に魔霊が人化したものに近しい肉体となった。
内包する魔力の量・操作・感知・燃費等が桁違いに向上することとなった。
両者共に心臓部に魔石を有するのはもちろん、魔力だけでなく呪力の操作が可能に。
そして寿命が普人だった頃よりも10倍以上に伸びてしまった。
寿命が伸びる事は必ずしも良いことだけではない。
愛する者との寿命差による別れが生じがちなものだ。
それを見越してか、黒死姫は蘇生させる際に〝血命の契約〟についてを全員に周知させていた。
カナンがフェブルスと交わした、『命の手綱を握る』禁呪である。
主従契約のようなもので、主側が生きている限り従側が歳を取らなくなったりする契約だ。
都合がいいことに、蘇生した者たちは全員呪力の扱いが簡単な種族となっている。これを行うかは当人たち次第であろう。
……余談だが、極めて長寿な種族であるリナリアとただの普人であるエリナリアも、この契約で寿命の差を無いことにしている。
全員の蘇生が無事に成功したのを見届けると、黒死姫……否、カナンとおーちゃんはそのままこっそりとその場を去るのであった。
生殺与奪を文字通りにできるようになっちゃいました。
カナンちゃんの前では自害しても無意味に……