第219話 救済の災厄
血塗られた世界が開ける。
ジョニーちゃんの心象が解除されたようだ。
私の目の前には汁を滴らせグズグズになった肉の塊が落ちていた。
所々から灰色の毛がはみ出ており、醜悪な臭いも放っている。
それがかつて人の形をしていたということは、実際にこいつを挽肉に変えた私や、その光景を見ていたジョニーちゃんくらいにしか分からないだろう。
まだぴくぴくと痙攣しているから、肉体は辛うじて生きているらしい。
けれどほどなく完全に絶命して、塵と化すだろう。
それが吸血鬼の死らしい。
「カナンちゃん……なんやな?」
『ええ。8割くらいは私ね。2割はオレだ』
この黒死姫の姿はそこまで長くはもたない。
悪いけど問答している暇はないから、ちゃっちゃと残りの目的を済ませるとしましょう。
『何も聞かずにイルマちゃんたちを連れてついてきて』
それだけ言い残して、私は地面を絶対切断で削り取って地下を目指す。
探知能力で目標の場所はわかっている。
ムカデやフルムとの戦いに巻き込まないよう、こっそり遠隔で結界を張ったりして守っていた。
そしてフルムが死んだことで、『彼女』にかかっていたと見られる何らかの影響が消えた事も感じている。
『カナちゃん……わたし――』
「大丈夫よコルちゃん。話せば必ずわかってくれるはずよ」
コルちゃんが心配そうにしているけれど、大丈夫だと私たちは確信している。
――だってメルトさんよ?
コルちゃんが剣の姿となっていても、赤ちゃんの頃から育ててきた娘を突き放すようなことはしない。断言できる。
それでも、不安なのは仕方がない。
そうそうしているうちに、メルトさんのいる階層まで到達した。
『ここって……』
……なるほどね。
研究施設で私みたいに実験台にされてるのかと思いきや、そこは広い広い鍛冶場だった。
金属を解かす炉やら金床やら私には見当もつかない道具がたくさん。
そりゃそっか。
メルトさんは嘗て勇者の剣を造り出したほどの大職人。
鍛冶場の中心に立ち尽くすメルトさんを見るに、フルムのヤツの洗脳能力で刀剣を造らせていたみたい。
「メルトさん~? わかるー?」
「う、あ……カナン、ちゃん……?」
気がついたみたい。怪我もないし、洗脳も解けたみたいで元気そうだ。
「その姿は一体……いや、あとで聞くことにするよ」
助かるわね。
この黒死姫になった経緯ついて説明している時間はあまりない。
「単刀直入に聞くけど、ここで何をさせられてたの?」
「……魔剣の製造だよ。記憶にある限りじゃ、アダマンタイトとオリハルコンを材料とした剣を3本造ったね」
「それは今どこかしら?」
「さあね。ここにないということは、おおかたどこか遠くに転移で運ばれたんじゃあないかね?」
なるほど、メルトさんに魔剣を造らせたかったと。メルトさんの作る剣はどれもトンデモ性能。勇者の剣なんてそれだけで戦略兵器になりえる存在だったらしいし。
それが少なくとも3本、デミウルゴス教の手に渡っている。
少し面倒なことになったわね。
まあ今はそれよりも……
『お母さん……』
「コルー? コルーの声がする……?」
『ここです! 剣になっちゃったんですわたし!!』
私の持つ魔剣……もといコルちゃんをまじまじと見つめ、メルトさんはずいぶんと驚きの様子で私とコルちゃんを交互に見やる。
「何がどうなってるんだい……?」
「説明すると長くなるわ。私たちにはまだやるべき事があるから、またあとでじっくりお話するわ」
そろそろジョニーちゃんやイルマちゃんがここに着く頃ね。
メルトさんはみんなに任せて、後は私にしかできないことをやらなくちゃね。
そうして私は、空間転移である場所へと向かったのであった。
*
その現場は難航していた。
というのも、トゥーラムル王国のはずれにある街が、突然謎の霧の結界に閉ざされてしまったというのだ。
霧の結界は外部からの侵入および内部からの脱出を拒むものであり、なおかつ内部で『眠る』という行動をとると魔霊に肉体を奪われてしまう効果が付与されていたのだ。
これにより、生還者は僅か千人足らず。今も結界の中では数万もの遺体が放置されていることになる。
この結界を解除すべく、指折りの魔術師が王国内から集められた。
当初の見立てでは遅くとも一月ほどはかかるとされていた。
しかし、1週間経ってもなお結界解除の取っ掛かりすら見つけられていない。解析が全く進んでいないのだ。
結界の縁、外界との彼岸。
そこさえ見つけられれば、少しずつながら解析が可能となる。だが発見は難航を極めていた。
「ふむ、縁が外側に無い可能性が高いな」
王下直属魔術師である初老の男、ゼスが白混じりの口髭をいじり白い吐息と共に呟いた。
「……外殻の無い結界など、あり得るのですか? 空間が連続する境の部分、そここそが縁のようにも思えますが……」
「違うな。あくまでその境は空間に施された術式に過ぎず、結界の縁とは別のものであろう。……結界の縁……と便宜上呼ぶが、それはあの霧の内側にあると儂は見ている」
ゼスは弟子の疑問に温かいコーヒーを啜りながら答えた。
実際、ゼスの出した仮説は正しい。
フルム・ナイト・ウォーカーは第三者に結界を解かれる事を警戒し、通常のものとは異なる形としていた。
結界には完全に閉じずに壁のように扱うものもあるが、共通しているのは術式を発動させる『向き』である。
フルムが行ったのは防御結界にも似た、外部に対して影響を及ぼすタイプのものである。
ただしこの結界はビー玉サイズと極小のものであり、カナンたちが気づかないのも無理はない。
そしてこれは、本来街全体を包み込むほどの膨大な魔力量と情報を圧縮し、術式発動の向きを外側に設定したものであった。
これほどの緻密かつ莫大な効力を持つ結界の実現には、様々な困難があった。
それを解決したのは、フルムの吸血鬼の王としての長年の経験と女神の加護。
そして何よりウスアムの街に存在する異質物による無尽蔵の魔力の供給が不可欠であった。
それにより、神の力による干渉などを除けば何人たりとも通さない迷いの霧を実現していたのである。
「――じゃあ無理じゃないですか! どうやってこの霧を突破するんですか!?」
「大海の魔王殿らが出入りしていたのを見るに、強い干渉力があれば効力を中和できるのだろう。……恐らくは女神の加護だろうがな」
……要するに、この場の人間らではどうしようもない、ということである。
ゼスは優秀な魔術師である。
だがそれは、人間の範疇の話だ。
本人もそれを自覚しており、傲らず引き際はしっかりと見定められるのも優秀たりうる理由であろう。
「この事を王へ連絡するぞ。イルマ殿の助力が必要だとな」
ゼスが魔導通信機を起動しようとした、その時だった。
「あら、ご苦労様ね」
その時、その場の誰もが見惚れていたという。
7色の宝石を切り出したかのようなステンドグラスの翼、黒曜石を思わせる美しさと禍々しさを兼ね備えた『黒』のドレス。
特S級という、大国さえ癇癪で滅ぼしかねない災いの化身――
「こっ……黒死姫かっ!」
真っ先にその正体に気づいたゼスは、戦慄しつつも即座に杖を構える。
弟子たちはゼスの言葉を理解してなお、黒死姫の圧倒的な存在の格に固まっていた。
「……そんな構えなくても、あんたたちに害を加える気はないから安心しなさい」
「……!」
ゼスは即座に黒死姫が理性的であり、話が通じるということを見抜いた。
もちろん機嫌を損ねなければの話だが。
「質問をしてもよいか?」
「いいわよ。あんまり時間が無いから手短にね」
「……この霧の結界のことについて、そして貴女の目的について話してほしい」
もちろん黒死姫が何者なのかという疑問もあるが、それよりもここに黒死姫が現れたという理由の方が大事である。
彼女が敵なのか、味方なのか。せめてそれだけはハッキリさせておきたい。
「まずこの霧だけど、〝降誕の魔王〟が私を捕獲するために使った術式らしいわ。
次に目的。この結界を解除って言えば分かるでしょ?」
それは、〝目的は一致している〟という事である。
「……目的は同じか。ならば我々も――」
「――必要ないわ」
協力をしよう、と言うより先にゼスの提言は却下されてしまった。
そしてゼスは察したのだ。
〝この怪物の前に、我々は足手まといにしかならない〟のだと。
「……わかった。結界から離れるよう、他の地点の仲間にも連絡しよう」
「ゼスさん!? なんでこんなやつの――」
弟子たちはゼスの言葉に納得いかない様子だ。
しかしゼスは、弟子たちを無言で睨み付け黙らせると、黒死姫から距離をとった。
「助かるわ。見ず知らずとはいえ罪なき人を巻き込んじゃ悪いからね」
そしてそれから少しして、結界から調査隊および魔導士たちが離れた事が広域探知で確認できた。
黒死姫がやろうとしている事。
それは、結界を丸ごと中和することであった。
〝神の加護ほどの力がなければ中和は不可能〟
ゼスの考察は正しかった。
それが意味することは、つまり――
「うふふっ……。心象顕現――
――〝晨星落落〟」
ウスアムの街を包む巨大な霧もろとも呑み込む、極大の心象がこの地に顕現する。
〝神〟にさえ届きうる、生と死の交差する異界が解き放たれたのであった。
お待たせしました。
今月もう1話出せたらいいなと思ってます。




