第213話 追憶
「う……」
身体に何本も水の剣が突き刺さり、動きを封じられたカナン。
重要臓器をいくつも貫かれ、常人ならば致命傷である……が、しかし。
「うぐ、ぁぁぁぁっ!!!」
【超再生】と、エレボスを吸収した際に新たに獲得した能力【循環再生】。
【循環再生】は欠損部位を補い復元する【超再生】とは異なる。
その力は『取り戻す』事が真髄であるのだ。
この能力で『本体』に設定した部位からは、肉体を構成する物質はどれほど刻まれ離れようともすぐさま『本体』へと空間を越えて戻り、〝何事もなかったかのように〟元の肉体の形へ戻るのだ。
これは治癒ではない。
バラバラになったジグソーパズルが、瞬く間に元に戻る……。あるいは、肉体の時を巻き戻す……。
カナンの肉体では、そういう事が起こっていた。
しかし自我も理性も無い今はただ、目の前の敵を倒せと、封じきれない魂の奥底の声が囁きかける。
「いぎぃぃぃあぁぁ!!」
幼い子供らしい声の咆哮を放ち、カナンは身をよじり水の剣の束縛から抜け出そうと試みる。
そして……ぶちりと、カナンの上半身は下半身から千切れ落ちた。
倒れ込む断面からは臓物が零れ溢れ、地面を真っ赤に染め上げる。
が、次の瞬間。
瞬きする間にカナンの身体は五体満足の状態に回復していた。
「……」
そんなカナンに、シオノネは更に追撃をしかける。
今度は10本以上の刃で、カナンの身体を原型を留めぬほどズタズタに引き裂いた。
……それでもカナンの身体は、すぐに元通りに治癒してゆく。
痛覚もそれを苦痛だと思う感情も、僅かながらカナンの中に戻ってきている。
身体能力は、依然11歳の子供のものではあるが。
それでも、カナンはシオノネに何度も何度も引き裂かれようとも立ち向かい続ける。
頭蓋を真っ二つにされようと、内臓をえぐり出されようと、四肢を引きちぎられようとも。
その度に傷を癒し、立ち上がる。
それを正常な感性を持つ人間が見れば、『バケモノ』だと呼んでいるだろう。
だが相手のシオノネは、とうに心を喪失した存在……
ちくりと微かに心の名残りもというべき部分が痛んでも、それでも攻撃をやめることはない。
今度は完全に動きを封じるために――
断続的に無数の水の刃を――
バツンッ
バスッ
ザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザク――
真っ赤に染まった血達磨が、倒れることなくそこに立っていた。
カナンの再生速度が上がってゆく。
切られた側から即時再生し、カナンは人の形を維持したままよろよろとシオノネへとゆっくり近づいてゆく。
そして……カナンは手に持ったガラス片で、シオノネに斬りかかった。
――だが、今のカナンの膂力はまだ人間の子供の範疇。
シオノネの纏っている襤褸を僅かに切り裂くだけで、その皮膚にはかすり傷ひとつも負わせられない。
「ウウゥゥ……」
ならば――
カナンは肉体の破壊と再生を高速で繰り返しながら、拳を地面に叩きつける。
今のカナンの肉体の耐久力は、ただの少女そのもの。拳は砕け、粉々になった骨が手の甲から皮膚を貫通していた。
しかし、その膂力は、地面を揺るがし砕き、シオノネの重心を崩すほどの怪力となっていた。
そう、カナンは自力で力を取り戻しつつあった。
エレボスというはるか高位の存在を取り込んだことで、フルムの夢幻を打ち破れるようになっていたのだ。
あと1時間もすれば、カナンは完全復活を遂げるであろう。
だが、それを待っていてくれるほど状況は甘くはない。
「わ、た……私、は……」
記憶は微かながら戻りつつある。それに呼応して力も取り戻している。
だがカナンの記憶は、凄惨な過去と苦痛を伴うもの。
ぽろぽろと霞がかった瞳から雫が零れ落ちる。
カナンの体は、無意識に涙を流していた。
「――」
身体をいくら刻んでも死なないのであれば。
シオノネは、カナンを殺す事から動きを止める事にシフトチェンジした。
周囲への被害を抑えるべく、この場所では大規模な攻撃はできないようにシオノネはプログラムされている。
「がっ……!?」
カナンの頭頂部に水の剣が突き刺さり、脳漿と血が溢れ飛び散った。
そして剣は、頭蓋の中で脳をぐちゃぐちゃに掻き回した。
その上でダメ押しと、刃はさらにカナンの体内奥深くへとズブズブ進んでゆく。脳幹から脊椎へと、カナンの身体を背骨に沿って串刺しにした。
いくら再生に秀でているとはいえ、異物で遮断されてしまえばその部分は治癒できない。
肉体を制御する脳と脊髄を切り離してしまえば、問題ない。
シオノネの判断は正解であった。
カナンの身体はビクビクと痙攣するものの、自立した動きは見せなくなった。
その体内では傷ついた箇所を治癒しようと目まぐるしく細胞が働いているが、シオノネが作り出した水の刀身に邪魔されそれは叶わない。
このままカナンの生命力が尽きるまで削りきれば、シオノネの勝利であろう。
だが、しかし。
「……!」
カナンの姿が、こつぜんと消えた。
突き刺さっていた水の剣や衣服はそこに残ったまま、その肉体だけが消えたのだ。
そして一瞬だけ隙を見せたシオノネの背後より、後頭部に強い衝撃が走り吹っ飛ばされた。
シオノネの背後に立っていたのは、無傷のカナンであった。
水の剣に貫かれ動けなくなったカナンは、循環再生の〝本体〟を地面に染み付いていた『1滴の血』に変更した。
そしてその血の元へ、肉体の大半が再生という形で移動したのだ。
擬似的な瞬間移動である。
「私の、名前は……」
カナンの記憶も半分ほどが戻りつつある。
咄嗟に循環再生の本体を変更したのも、類まれなる戦闘センスを取り戻しつつあったからだ。
そしてカナンは、『感情』の一部を思い出していた。
その感情の名は――。
「うぐっ……あた、まが……」
突然の激しい頭痛に、カナンは耐えきれず膝をついてしまう。
フルムに脳内にかけられた術式を肉体が無理やり消し去ろうと働きかけ、強い負荷がかかっているのだ。
「そう、だった……シオちゃん……」
そしてカナンは、自分が戦っている相手の名前を思い出した。
カナンの蹴りで吹き飛ばされたシオノネは、水の剣を構えて何事もなく戻ってくる。
「……できれば、戦いたくはないわね」
それでも、やらなくてはいけない。
カナンは自分の記憶がまだまだ取り戻しきれていないことを自覚している。
その上で、確信めいたものがある。
(――名前も顔もなんにも思い出せないけれど……私には、大好きな、愛している人がいたのね……)
愛する人がどこにいるのか。それもまだ思い出せない。
フルムはおーちゃんに関する感情と記憶を最優先かつ最も厳重に封印していたのだから。
カナンがおーちゃんを取り戻すのは、1番最後になるだろう。
「……」
シオノネは死体のように濁った瞳でカナンを観察する。
殺せず、動きを止めることも困難。
そんな相手に対して、何をするのが最良かを演算しているのだ。
その時だった。
「うっ……」
胸の奥に感じた、何か欠けていたものが戻ってくるような感覚。
ジョニーがフルムからカナンの魔石を奪ったのと同時だった。
「ふふ……うふふ……あはははっ! そういうことだったのね……!」
突然、笑い出すカナン。
しかしその目尻では滴が膨らみ、やがて零れ落ちる。
まだ『おーちゃん』の名前は思い出せない。おーちゃん自身もまだ休眠状態だ。
故に影魔を召喚することは不可能。
だが、しかし。
カナンは悟ったのだ。
己の内にいたのは、『おーちゃん』だけではなかった事に。
『彼女』の名前を、たった今思い出した。
そしてそれは、新たに獲得した能力の名でもある。
「ずっと……ずっと、側にいたのね――
――力を貸して、【魔剣召喚】」