第208話 彼方より
現世は偽りに過ぎない。
ありとあらゆるどの世界も、哀れな囚われ人で溢れていた。
人は偽りに生まれ、虚飾を追い求め、虚誕を口にし、譎詐に生きて死んでゆく。
どうしてどの世界の人間も、愛という不確かなモノに群がり奪い合って生きるのか?
神もそうだ。神と呼ばれる者たちも例外ではない。
全ての世界は虚な嘘でできている。
森羅万象は所詮、目覚めと共に霧散する悪夢でしかない。
夢幻に囚われし囚人どもよ。
今一度私が全てを解き放ってあげる。
私も、私も、何もかもみんなみーんな自由にしてあげるの!
あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっ!!
かがみよかがみ
あなたは私
私はだあれ?
*
実験体17番の調整は順調だった。
既にフルムによる支配は完了していたが、その上に更に精神支配系の術式を脳に刻み込むのだ。
術式は脳という繊細な器官に刻むため、少しずつ複数の段階に分けて行われる予定だ。
完全に術式がカナンの脳に定着させるまで、およそ一週間。
「……っ」
拘束具に縛られたカナンの身体が、口から泡を噴いてガタガタと激しく痙攣する。
脳に直接焼き付けられているのだ。その苦痛は尋常ではなく、常人ならばそくざに発狂してもおかしくはない。
しかし、カナンの苦痛への耐性は尋常ならざるものであり、その上に思考と感情を封じられている。
「貴女を傀儡とした暁には、まずはどう扱ってやりましょうかなぁ?」
肉人形と化したカナンを見つめ、フルムはかつての姪の事を思い出していた。
カリナ・デイ・ウォーカー。
搾取するモノすら持ち合わせない、真の持たざる者。
唯一あったのは、その女の肉体。
力を持たぬ女は、男を悦ばせる抱き人形としての価値しかない。
だからフルムは、カリナを有効に『使ってやった』のだ。少々幼いがカリナは王族とあって、顔だけは上玉であった。
だがカリナは、使ってやっているにも関わらずフルムに抗い続けた。
決してフルムを受け入れようとはせず、力の差も理解しているはずなのに抵抗をやめなかったのだ。
だから殺した。
最期まで結局フルムはカリナを支配することはできなかった。
何も持たざる者一人すら支配できなかった事。フルムにとってそれは、耐え難い屈辱であった。
――カナンはカリナの遺伝子をベースに造られた魔人だ。
その顔つきはカリナそっくりであり、差異は髪と目の色くらい。
だから、カナンを見ていると嫌でもカリナの事を思い出す。
――今度こそ完璧に、完膚なきまで支配してやろう。
物言わぬカナンを見て、フルムは改めてそう決意したのであった。
*
一週間。
カナンの傀儡化は順調に思えた。
術式の定着も8割が完了し、バイタルも安定している。
このまま上手くいけば、明日にはカナンを完全に支配できる。
そのために、フルムはありとあらゆるリスクを排除せんと手を打っていた。
「フルム様、調査の報告です」
「ご苦労。で、どうでしたかな? 〝大海〟どもの様子は」
「はい。特にこれといって目立った動きは見せていないようです。他国と同様、今回の一件について声明を発表したようですが、当たり障りのない内容でした」
「ふむ……」
顎に手を当て、フルムは思慮に耽る。
なにもしていない、というのはあり得ない。
だが、国を動かすつもりは無いようだ。
向こうには〝調停者〟の一柱がいる。
だが調停者は、直接的な世界の危機でなければその真の力を振るう事は制約上できない。
だが間接的には何かしら手を打っているだろう。イルマセクが何もしないはずはない。少数精鋭で奪還を狙ってくる辺りが妥当か。
だが、ならばこちらはそれに対してカナンをけしかけるまで。
カナンを救おうとしてきた者どもをカナン自身が蹂躙する。これほどの喜劇があるだろうか。
更にはこちらには〝大怪蟲〟の本体もある。
頭数を揃えたとて、圧倒的な〝個〟の前には無力。
フルムの優位は変わらず。
いっそのこと、大海の魔王もろともあの忌々しい国を滅ぼしてしまおうか。
その後は当然フルムが支配者として君臨するのだ。
だがしかし
「フルム様! カナンの脈拍が……心停止! 呼吸停止しています!」
「何ですと!? あと少しだというのに……ええい、死なせてはなりませんよ!!」
カナンに術式をかけてきていた術師たちは、フルムの命令を守ろうと必死でカナンに心肺蘇生の措置を行った。
しかしその労力虚しく、カナンが生き返ることはなかった。
「この……どこまで役立たずなんですか、カリナ……。もういいでしょう、死んでしまったものは仕方ありません」
「フルム様、どちらへ?」
「魔石の所へです。その死体の処理は任せます」
結局、カナンも完全に支配できることは叶わなかった。
フルムは怒りを堪え、転移陣でその場を去っていった。
カナンの魔石を管理している施設は、こことは別の場所なのである。
魔石は魔人の力の源。故にカナンに近づけたら、何が起こるか不明瞭だったのだ。
「しかし、何がまずかったんですかね」
「さあなぁ。さすがに負荷がキツすぎたんじゃねえかな?」
カナンの亡骸の拘束を遠隔で解除し、回収に回ろうとする術師と研究員たち。
拘束具から外れて力なく倒れこむカナン。
特級の魔物でさえカナンに確実に勝てる確証はない。
癇癪で国をひとつ滅ぼしうる。
真正面から挑めばフルムでさえ敗北していた可能性がある。
首を切り落とそうと、心臓を潰されようと、死ぬことはない。
それほどまでに強力だと聞いていたカナンが、こうもあっさりと死ぬものなのか。
不自然だと誰もが思ったが、誰もそれを口にはしなかった。
『あはっ』
誰かが笑った。
続けてカナンの死体が動いた。
脈も呼吸も脳波も止まったまま。
なのに、不自然に痙攣しながら立ち上がった。
突然の事態に、研究員も術師たちも誰もが魔法銃をカナンに向ける。
万が一の不測の事態にはカナンを射殺しても構わない。
するとカナンの死体の口から、赤黒い液状の物が床に吐き出された。
びしゃびしゃひとしきり吐き出すと、カナンの身体は崩れるように倒れ再び元の死体のように動かなくなった。
一体何だったのか。
あの液体は一体――
更に不思議な事が起こった。
赤黒いあの液体が、まるで粘性生物のように形を得ようと蠢きだしたのだ。
それはやがて人の形を取り始め……
カナンにそっくりなシルエットとなっていた。
それはまるで、カナンの影かのように。
『あははっ』
まるで竜巻のようだった。
一瞬で全てが消し飛んだ。
カナンを封じていた強化魔法ガラスと結界が、内側から一瞬で爆発するように崩壊したのだ。
その衝撃で付近にいた数名は即死。
そして――
『ら~る~ら~り~ら~……』
「ひいっ!? 来るな来るな来るなぁっ!!!」
生き残った者に〝影〟はゆっくり歩み寄る。
銃を連射するも、〝影〟はまるで意にも介さない。
ある程度近づいた所で、影の頭のシルエットの形が崩れる。
そして大きく大きくとても大きく肥大化し、口部に当たる部位が裂けるように広がり――
「し、死にたくな――」
一口で、研究員を喰らった。
――それは飢えていた。
――腹が減って仕方がなかった。
けれどそれ以上に慈悲深く、それでいて合理的な悪意の結晶のようであった。
『あはっ! あははっ! あはははははははははははははははは!!!!!!』
カナンの中に封じられし者。
悪意の結晶、名も無き神の破片、彼方より齎されし者。
破滅の意志が、この世界を解き放とうと慈悲深く降臨してしまったのである。
息抜きに新作投稿しました。
影魔ちゃんとの繋がりがかなりある予定です。
『NPCなんかじゃない!(略)』
https://ncode.syosetu.com/n7948id/1/




