第205話 カリナ・デイ・ウォーカー
おのれポケモン……楽しすぎるせいで執筆時間をよくも……
『お前が! やったんだろ!!』
『っ……うぅっ……』
純白の髪の少女が、召し使いの下級吸血鬼に殴られていた。あり得ない濡れ衣を着せられて、見せしめのように傷つけられていた。
『ああはならないようにね? ジョニー』
『はい、おかあさま』
その様子を、幼き高貴な少年は実母の腕の中から眺めていた。
ジョニー・ナイト・ウォーカーには歳の離れた姉がいた。
ジョニーが姉と初めて会ったのは彼が4歳の頃、姉は13歳だったと記憶している。
それまでは、姉がいる事さえ知らなかったのである。
初めて姉を見たのは、ジョニーへの『教育』の為であった。
彼女の名は『カリナ・デイ・ウォーカー』
真祖の血族の中から稀に産まれる特別な吸血鬼である。
闇と光の力を併せ持ち、陽光の下で制約無しで活動できる体質。
『デイウォーカー』の者はその名もデイウォーカーと名乗るしきたりがある。
そして、吸血鬼の王となる使命があるとされるのだ。
本来ならばカリナは天才児ジョニーよりも丁重に扱われ、将来の王として英才教育を受ける筈だった。
しかし、彼女は物心ついた時から白い牢の中に閉じ込められて育った。
外には出せない理由があったのだ。
なぜなら、カリナには魔力が無かったからである。
上位魔人たる吸血鬼にとって、魔力の許多は種族として大前提。
魔力が無い吸血鬼など、存在してはならないのだ。
しかもカリナは『女』だ。
男尊女卑の吸血鬼社会において、女という性別を持つ者は生まれながらにして夢見る事を許されない。
本来ならばカリナは、物心つく前に失敗作として殺処分されるはずだった。
しかし、魔力無しで女とはいえ『デイウォーカー』を処分してしまうのはナイトウォーカー家の沽券に関わる。
故に、存在しないものとして死ぬまで牢に閉じ込めておく事にしたのだ。
『ジョニーは、あんなゴミのようになってはいけませんからね』
『はい、おかあさま……』
当時のジョニーにはまだ善悪などわからない。
『……』
けれど、自らの血に濡れながらも瞳に気高き光を宿す白髪の少女に、一目惚れにも似たとても強い興味と憧れを抱いたのであった。
その日の明け方、吸血鬼たちが寝静まる頃。
勉強を終えたジョニーは、日除けのコートを纏い一人でこっそりあの牢へとやってきた。
『……どうして、来たの?』
『気になったの。僕にはわからないことをおねえちゃんはしってそうだから』
ジョニーは知りたかった。
自分の中に沸き上がった感情の正体を。
『……そう。私とこうして話してるってバレたら怒られちゃうよ?』
『だいじょうぶだよ、ぜったいバレないもん』
『そっか。……ね。ピアノ、聴いてくれる?』
カリナの部屋にはベッドと椅子と、小さなピアノがひとつ置いてあった。
両親のせめてもの慈悲……ではなく、多少の娯楽になり得るものを置けば大人しくしてくれるから、という理由からである。
『ピアノ?』
『そ、ずっと一人で練習してたの。いつか誰かに聴いてもらいたくってね。弾いても、いいかな?』
『うん。いいよ、きかせて』
鉄格子の向こう側で、白く儚く美しき少女が小骨のように細い白指でピアノの鍵盤を踊らせる。
穏やかで心地よく、それでいてどこか哀しい旋律が響き渡る。
格子窓から射し込む朝日に照らされ、牢を舞う埃がまるで夜明けの星々のように煌めいていた。
『どう、だったかな?』
演奏を終え、カリナはジョニーの感想を心待ちにうずうずしていた。
ジョニーは無表情のまま少し黙りこくると
『……もっとききたい』
と答えた。
真顔のままだが、本心だった。
『ふふ、ありがとう。こんなに嬉しいのは産まれて初めてかも』
『うまれてはじめて?』
『うん。ずっとずっと、ここにいるからね。私にこうやって構ってくれるのは君が初めてよ、ジョニー』
ジョニーは驚いた。なぜ、初めて会ったはずの姉が自分の名前を知っているのか。
そもそも、物心つく前から閉じ込められろくな教育もされていないのになぜこうも聡明で流暢に話せるのか。
疑問に思い、それとなく聞いてみた。
『私がどうして外の事をしってるかって?
ふふふ、なんだかね……不思議かもしれないけれど、目を閉じて外を見たい~って念じるとね、ちょっとだけお外を視られるのよ。それで図書室を視に行ったり会議室に混ざってみたりして、字も読めるようになったの』
『それってもしかして、能力じゃないかな?』
『あびりてぃ?』
世界の理に干渉し、物理法則などを無視した事象を起こす力。
幼いジョニーはまだ持っていない、憧れの力だ。
カリナは知らぬ間にその力を手に入れていたのである。
『――へぇ、私って実は凄いのね』
『僕、おとうさまにかけあってお姉ちゃんをお外に出せないかきいてみるよ』
『あーっ! それはだめ!! マジでやめて!!!』
必死にジョニーを止めるカリナ。
ただでさえ疎まれている自分がそんな盗み見なんてしているとバレたら、本格的に処刑されかねない。
全力でジョニーに言い聞かせると、カリナはため息をついた。
そしてそれにつられるように、ジョニーはあくびをする。
『ん……ふわぁ』
『眠そうね。そろそろ帰った方がいいよ?』
『んー……もう、すこし……』
『だーめ、お部屋に帰りなさい。小さい子はいっぱい寝なくちゃダメよ?』
『……わかった』
あまりの眠気に渋々折れたジョニーは、物音を立てないよう誰にも気づかれぬよう忍び足で自室へと戻ってゆくのであった。
『ふふ、もうすぐ5歳になるのね』
ジョニーにとってカリナは存在を知ったこと自体初めてだが、カリナにとっては昔から一方的に知っている関係である。
その能力【千里眼】で、ジョニーが産まれて育ってゆく過程を遠くからずっと見守っていたのだ。
カリナにとってそれは、初めて『愛』を自覚した出来事なのであった。
だからこそ、自分のことなんか忘れてほしい。
吸血鬼らしく、唯我独尊を貫いて幸せになってほしい。
自分という存在が呪いにならないように。
愛しい弟の足枷になんて、なりたくなかった。
しかしジョニーは、それから数日おきにやって来るようになった。
カリナの弾くピアノを聴きたいと、お姉ちゃんに会いたいと、何度止めてもやって来るのだ。
やがてカリナは諦めて、ジョニーにある頼みをするようになった。
『ピアノを弾く代わりに、本を持ってきてくれる?』
と。
文字を読めるカリナは、己の手で本を読むのが夢だった。
自分の指でページをめくり、自分のペースでじっくりと文章を堪能する。
これほど幸福なことがあるだろうか。
ジョニーは喜んでカリナにさまざまな本を貸した。
歴史書、魔法学書、純文学小説、ありとあらゆる書物をカリナに貸して、代わりにピアノを弾いてもらう。
数日おきにカリナに会い、楽しく談笑する。
そんな日常の中で、幼きジョニーの中に未知の感情が沸き上がる。
〝いつか僕が〝降誕の魔王〟になったなら、お姉ちゃんが太陽の下を歩けるように僕がこの国を変えてみせる。
お姉ちゃんを自由にしてみせる〟
それが『夢』と呼ばれるものだと知ったのは、暫く後の事であった。
カリナと交流し始めてから、1年ほど経ったある日のこと。
いつも通り明け方にカリナが幽閉されている牢へと向かう途中。
ジョニーは後方から誰かがやって来る事に気づき、身を隠した。
こっそり自室を抜け出している事がバレたら怒られるだけでは済まないからだ。
物陰に隠れ、ジョニーは誰かが去るのを待つ。
(カリナお姉ちゃん……!?)
産まれてから1度も牢を出た事のないはずのカリナが、屋敷の廊下を横切っていた。
それだけではない。カリナの側にはもう一人いた。
(フルムさん……?)
今代の魔王。
いずれジョニーが越えるべき男。
かつての人魔大戦を知る偉大なる魔王。
月光のような銀の長髪を靡かせ、その容姿はあらゆる女性を魅了するとさえ云われている。
そんな男がカリナの腰に手を回し、自身に強引に引き寄せた状態で連れていた。
カリナ本人は俯き暗い表情を浮かべている。
一体何があったのか。
この国の頂点たる魔王に牢の外へ出してもらえたなら、それほど嬉しい事はないはず。
しかし、そこに明るい雰囲気は一切無い。
しばらくしてフルムがいなくなったのを確認すると、ジョニーはすかさずカリナの牢へと急いだ。
『あぁ、ジョニー……今日も来たのね』
牢の中には、いつも通りカリナが入っていた。
けれども、なんだか少し疲れたような顔をしており、磁器のように白い頬には叩かれたかのような赤い痣ができていた。
『お姉ちゃん……何かあったの?』
『それは……大丈夫よ、お姉ちゃんは元気だから』
『でもその痣……』
『心配しないでっ! ほら、何ともないから!』
『で、でも……』
『ホントに大丈夫だから!!!!!』
今までで聞いたこと無いほどに大きく声をはりあげて、必死に何かを誤魔化そうとするカリナ。
『ごめん……ごめんね、せっかく来てくれたのに……今日はもう、帰ってくれる?』
『お姉ちゃん……』
それ以上、かけるべき言葉は見当たらなかった。
『今日の本、ここに置いておくね……?』
ジョニーは持ってきた本を檻の中に入れると、重い足取りで引き返した。
『ひとつだけ、振り向かないで聞いてくれる?』
『なあにお姉ちゃん?』
『あのね……ジョニーは強いから、幸せになれるから、だからどうか私の事を忘れないでくれる?』
それが、ジョニーが聞いたカリナの最期の言葉であった。
『忘れるわけないじゃん! 僕がいつかお姉ちゃんのことを自由にするんだから!!』
ジョニーの夢は、大切な人が笑って幸せにられる居場所をつくること。
世界征服だとか、魔人だけの世界をつくるだとか、そんなものと比べたらはるかにちっぽけな願望。
しかし、それらに負けないくらいに強い願いでもあったのだ。
――僕がいつか必ず……
――
数日後、再び牢を訪れたジョニーは不可思議なものを見た。
『おねえ、ちゃん……?』
ピアノの上に、カリナが着ていたワンピースがもたれかかっていた。
ワンピースは灰色の塵にまみれており、足元には塵の山ができていた。
カリナの姿はない。
どこにもいない。
もう会えない。
吸血鬼の死体は残らない。
全ての吸血鬼は塵となり風に散る運命なのだ。
幼いジョニーも、吸血鬼の死について知らないはずはなかった。
『お姉ちゃん、どこ……?』
部屋に隠れられる場所なんてない。それでも視線を泳がせて、最愛の姉の姿を探し回る。そして、鉄格子の間に小さな紙が挟まっているのを見つけた。
『これって……』
拾い上げたしわくちゃのそれは、1枚の楽譜だった。
いつもジョニーに聴かせていた、カリナが弾いていた名も無きあの曲のものだった。
――それから何年かしてから、ジョニーは知った。
あの日からカリナには、一切の食事が与えられていなかった事を。
数時間おきに召し使いに痛め付けられていた事を。
それら全てをフルムが命じていた事を。
フルムが、カリナを間接的に殺したのだと。
*
「ぜぇ……ぜぇ……」
ジョニーの捨て身の一撃【光隼】は、憎きフルムもろとも軌道上の全てを破壊し尽くした。
四肢はとうに千切れ失せ、全身に普人ならばとうに絶命するほどの甚大なダメージが蓄積していた。
だが、勝ったのだ。憎き〝降誕の魔王〟フルムナイトウォーカーを、このジョニーナイトウォーカーが降したのだ。
「カナンちゃんを……助けるのは、イルマさんらに……任せるで……」
全てを仲間に託し、ジョニーは眠りにつこうとする。
きっと後は何とかなるだろうと、自分にできることは全て果たしたと。
しかし
「無茶苦茶やりますなぁ、ジョニー?」
「なっ!?」
瓦礫の中から、半裸のフルムが立ち上がった。
その肉体には傷ひとつついていない。
何故生きているのか?
あの一撃からどうやって逃れたのか。
「何でっ……生きてるんや」
「いや? こう見えて死にましたよ? ざっと40回ほどですかなぁ?」
「どういう、事や……」
パパンと軽く埃を払い、フルムは軽薄に答える。
「私が降誕の女神様から授かりし〝加護〟【再誕】は、1日に100回ぶんまで死を無かった事にする力なのですよ」
「な、んやと……?!」
「いやあ、今の技をあと2回も食らっていれば流石に死んでました、なぁっ!!!」
その瞬間、ジョニーの身体は強く吹き飛ばされた。
フルムに蹴り飛ばされたのだ。
「全く、カリナの事など忘れこの私のように搾取する側に立てば、そこまで苦しむ事もなかったというのに」
地面に叩きつけられ、半死半生のジョニーに近づき話を続けるフルム。
「お姉ちゃんの、事を……忘れ、られる、はずが……」
「そこまであの出来損ないなお姉ちゃんが大好きですか、そうですか。それでしたら、とっても愉快な話をして差し上げましょう」
そしてフルムは、まるでサプライズをする子供のように嬉しそうにその〝真実〟を語った。
「カリナちゃんとカナンちゃん。
彼女ら2人はですね――
生物学上、同一人物なのですよ?」




