第203話 忘れ去られし小さな花よ
胸糞注意
思えば、おーちゃんには私のいろんな初めてをあげていた。
初めてのデートも、口づけも、心と身体を重ね合わせる行為も。
私はありとあらゆる初めてをおーちゃんに捧げてきた。
けどね、ひとつだけ……ひとつだけ、おーちゃんに捧げられなかったものがあるの。
それはね――
――初恋。
ありがとう。
私を守ってくれて。
私に生きる希望をくれて。
何にもなかった私に夢をくれて。
私に『カナン』って名前をくれて。
感謝してもしきれないほどに、シオちゃんには大きな恩がある。
今思い返せば、私の初恋はシオちゃんだったのだと思う。
ごめんね、おーちゃんにさえ私の初恋はあげられない。
過去の私の恋心まではおーちゃんのものにはできない。
もちろん今はおーちゃん一筋だし、これから死ぬまで……あるいは生まれ変わってもおーちゃんを愛する事に変わりはない。
けど、初恋だけは、それだけは、シオちゃんにあげちゃったの。
今でもシオちゃんの事を思い出すと胸がちくりと痛む。
あの日『新しい両親が見つかって』いなくなっちゃってから、もう2度と会えないと思ってた。
生きていないと思ってた。
なのに――
「な、んで……シ、オちゃん……?」
――シオノネ。
それがこの子の名前。
私が〝孤児院〟で過ごしていた時、守ってくれた、私を救ってくれた、尊敬していたお姉ちゃん……。
死んだと思ってた。
他の人造複合魔人の例に漏れず、焼け死んでしまったのだと。
あの日私が連れていかれた研究所の一室に、シオちゃんの身体がバラバラで保管されているのも見た。
生きていないと、ずっとそう思ってた。
「ほん、とに……シオちゃんなの?」
かつては海のように蒼く澄んでいた瞳は泥水のように濁り、無機質に私を見つめていた。そこには昔のような優しさも感情も何も感じられない。
何もなかった。
光り、心も、意思さえも。
それはまるで、シオちゃんの姿をした肉の人形のように思えた。
心臓を抉られ、四肢にも水の剣が突き刺さる。
【超再生】の発動が阻害され、全く動けない。
死にはしない、けれど、このままじゃ……
「主、様……」
ほとんど動けないおーちゃんが、私を助けようとシオちゃんの足にしがみついていた。
……どうして。
私は……
おーちゃんも、シオちゃんも、大切な人にもう誰にも傷ついてほしくない。
「シオちゃん……私よ、〝カナン〟よ……
シオちゃんが、付けてくれた……なまえ」
「……」
シオちゃんは応えない。何の反応もない。
まるでシオちゃんじゃないみたいに。
けれど、その顔は、身体は、間違いなくシオちゃんそのもの。
目の下のほくろだってあの頃と同じ場所にあるもん。
「クックック……くははははっ!!
愉快愉快、いやぁ実にいい顔ですなぁ。あの子にそっくりだ。
9番……いえ、あえてこう呼びましょう。シオノネ、よくやりました」
「シオちゃん……」
騎士に頭を撫でられても、シオちゃんは何の反応も見せない。
そこに心や魂はまるで存在しないかのように。
「カナン、貴女は強い。〝降誕の魔王〟たる私でさえ、平時に真正面から挑んでも貴女には勝てないでしょう。
貴女が強くなる前に、もっと早くに手を打つべきでした」
「だ、ったら……」
「ですから削った。貴女が十分に戦えないように、その精神を」
騎士は私の額に触れて、まるで慈悲深げに微笑みながら話を続ける。
「何度でも言います。貴女は強い。敵にはどこまでも無慈悲で、他人の命を平気で弄ぶ冷酷さを持っています。
しかし、一方で貴女は〝仲間〟や〝友達〟を大切にする優しさも兼ね備えている。
クックック……
――それが貴女の弱点! 数ヵ月に及ぶ学園での観察は無駄ではなかった!!
身内が傷つけられ、あまつさえ大事な大事なお友達と殺し合ってしまう!!!
貴女の精神を極限まで弱らせるこの策は成功ですなぁ!」
何よ……ぜんぶこいつの手のひらの上だったって言うの?
思えば、騎士が学園で起こった事件は全部目的があやふやなものばかりだった。
まさか……私を探るためにやってたって言うの?
「お前……主様によくも……」
地に伏せたおーちゃんが騎士を憤怒の眼差しで睨み上げる。
けれど騎士は鼻で嘲笑った。そして今度はおーちゃんに視線を向けた。
「しかし本来心を持たぬはずの影魔が人化し、その上自我があるかのように振る舞うとは。この私でさえ最初は驚きました」
「何よ……ま、るでおーちゃん、に……」
まるでおーちゃんに――
「えぇ、彼女に心などありません。自我も持ってはいません。あり得ません。本人もそう思い込んでいるようですが、すべてはただの錯覚。
影魔は持ち主の強いトラウマや願望が反映された姿を取る。
この影魔の姿と振る舞いは単に貴女が幼い子供の姿であれと強く望んだに過ぎないのですよ?」
「う、そよ……」
「嘘じゃありませんよ? 貴女は影魔を今まで散々願望のはけ口にしてきたじゃないですか? 貴女の願望に添うような行動と言動はしても、それ以降の事はしない。それが何よりの証拠ですなぁ」
「そんなの違う、オレは……」
そうよ、信じる訳ないじゃないそんなの……!
確かにおーちゃんは私と魂を共有してるし、その姿には私の願望が反映されてる。
けれど心は持ってる! 意思だってある! 私が私のことを卑下した時だって、叱ってくれた。
おーちゃんの心がただの幻な訳ない!!!
「シオノネ。それも軽く刺しなさい」
シオちゃん……?
シオちゃんが、小さな水の剣をもう1本作って――
――おーちゃんの脇腹を突き刺した。
「っ……ま、ます、ますた……」
「おーちゃん……!」
「コレに心があるならば、自我があると言うならば。
可哀想だとは思いませんか? 毎日貴女の欲求に付き合わせられ、心も体もなにもかも貴女に縛られている。哀れと言わずして何と言いましょうか?」
「違う、ぜぇ……オレは……ます、たが……すきだ、から……ぜぇっ……」
「好き、ですか? それはカナンが他者に自身を好かれたいという願望からきているものかもしれませんよ?」
「うぅ……」
もうやめてよ。おーちゃんのことをこれ以上苦しませないでよ……
私はどうなってもいいから、おーちゃんだけは……
「クックック……。それにしてもこの血の匂い……稀血ですか。
あぁ、教えてあげましょう。稀血とは吸血鬼にとってたいへん美味な血を持つ者の事ですよ。
貴女はコレに三大欲求の内の二つも望んでいたのですなぁ。
しかし少し勿体無い。この私が少々味見して――」
騎士がおーちゃんの首筋に手を伸ばしたのが見えて、私は肉体の損傷と痛みをを厭わず叫びだした。
「触るなぁぁぁァァァァッッ!!! おーちゃんはっ!! わだじの……ごほっ、げふっ……」
おーちゃんは、おーちゃんの血を吸っていいのは私だけよ!!
おーちゃんは私のもの……。
あんたなんかにおーちゃんを渡すもんか……!!
「おお、なんと恐ろしい。コレにこれほどまでの執着を持つとは、よほど強い願望を持っていたのですなぁ?」
弄ぶかのように、おーちゃんにベタベタと……。
体が動けてさえいれば……あのとき油断しなければ。
「さて、楽しいお喋りはこれくらいにしましょうか。
目的のためにまずは、しっかり止めを刺してあげなければね」
騎士はそう言うと、私の顔を掴み持ち上げる。
全身に刺さるシオちゃんの水の剣のせいか、抵抗しようにも全く力が入らない。
「さあ。……そこから引きずり出してやるぞ
――ソフィアよ」
私の顔を掴む騎士の手に、力が込められる。
そして私は――
今までの人生で最も耐え難い苦痛を受ける事となった。
*
〝騎士〟のやつがおもむろに主様の顔を掴み、持ち上げた。
何かする気だ。何とかしなくちゃ……くそう、くそう。魔法も能力ろくに使えない。
主様を助けなきゃ……くそう、どうにかしなくちゃ……。
しかし騎士はオレの事など眼中にも無い様子だった。
「ぎ、ああぁぁぁ!!! ぎいぃぃぃぃぃ!!」
主様……!
すごく苦しそうに悲鳴をあげた。
ジタバタと手足をもがくが、力が入らないのか騎士の手を振り払えずにいる。
やめろ、やめろ……主様を離せっ!
「お……ちゃ――」
びくんっ、と主様の身体が跳ねた。
一瞬だけ目が合って、弱々しくオレに手を伸ばして――
「主様……」
オレも、力を振り絞り手を伸ばす。
しかし――
「――」
伸ばされた主様のその手は、やがてぱたりと力なく倒れた。
そして、それから動かなくなってしまった。
騎士の指の合間から見える瞳からも、光が抜け落ちてしまっていた。
「主様っ……主様っ!!」
呼び掛けても反応が無い。
それどころか――
「うっ……な、にこれ?」
オレの体が……なにこれ、氷の結晶みたいに固まって……
痛みはない。
けど、結晶になった部分から、オレという存在が消えてしまっているかのような――
そしてそれは、指先から全身へどんどん広がってゆく。
――もし、魂を共有するカナンが死んだら、オレも運命を共にする事となる。
まさか……
いやだ。まだ一緒にやりたい事もいっぱいあるのに。まだ主様に何も返せてないのに。
オレはどうなってもいいから、主様だけは……そんな――
もはや体のほとんどが結晶と化し、視界と意識さえ消えゆく最後の瞬間。
オレは、祈った。
名前も知らない誰かに、祈っていた。
*
「クックック……アーッハッハッハッ!!!!」
笑う。高らかに。果てなく濃ゆい霧の中で。
〝騎士〟は、目的を達成した。
あの〝ソフィア〟の残存する最後の魔石を手にしたのだ。
しかしながら、彼自身が魔石を使ってどうこうするつもりはない。
盟友の為に、力を貸したに過ぎない。
もはやカナンを直接討伐するのは不可能に等しかった。
戦闘能力だけならばカナン単体ですら下位の特級モンスター並みである。まして、影魔と連携した状態では――
だから、削った。
ある種の故郷と呼べる街を破壊して精神を磨り減らさせ、影魔の魔力を制限する結界に閉じ込めて。
その上〝大怪蟲〟の幼体を数体けしかけさせ、仕上げにかつての親友の成れの果てを見せつけた。
そして、辛うじて成功した。
あとは実験体17番の残骸を回収し、帰還するだけ。
すべては騎士の計画通り。
唯一、想定外があるとすれば――
「――【影魔召喚】」
突如、騎士の右腕が千切れ飛んだ。
しかし騎士は怯む様子もなくそれを眺めると、冷静に〝邪魔者〟に意識を向ける。
「やっぱり……やっぱりアンタかっ!!
〝降誕の魔王〟……! フルム・ナイト・ウォーカーッッ!!!!!」
「おやおや。ずいぶんと遅かったですなぁ。――ジョニー?」
この章終わったら最終章まではもう胸糞展開やらないんだ……




