第200話 年頃のバケモノ
「げほっ、おえぇ……」
背中を擦り、オレは何も言わずに寄り添い続ける。
涙や鼻水をぐしゃぐしゃに垂らし、カナンは嘔吐していた。
「ど、おしてっ……私が目当てなら私だけでいいじゃないっ!! なんでみんなを巻き込むのよ!!!!」
知り合いを、友達を、目の前で無惨な殺され方をして、カナンの精神は限界を迎えつつあった。
カナンは空っぽの胃袋から黄色い液を地面に吐き続ける。
カナンの胃液が滴った石畳が、じゅうじゅう音をたてて溶けていくのが見える。
――カナンは人外だ。
やろうと思えばどんなものでも喰らって消化できるし、首を切り落とそうが心臓を潰されようと死ぬことはない。
見知らぬ他人の命なんてまったくどうでもいいし、人を殺める事に何の躊躇することもない。
そして殺した相手の魂を喰らう事が大好きだ。
誰かは言った。
カナンは、少女の皮を被ったバケモノだと。人の心を持たぬ、怪物なんだと。
しかし。
今の悲しむカナンは、年相応の少女そのものだ。
確かにカナンはバケモノと呼ばれるに相応しい精神構造をしているだろう。
だが、身内に対しては……友達や大切な人に対しては、人間と何ら変わらない情緒を持っているのだ。
歪と言われればそれまで。
だが、オレはバケモノとしてのカナンも年頃の少女としてのカナンも、ぜんぶぜんぶが大好きなのだ。
だから、主様が辛い時はオレが支えてあげなくちゃ。
「ありがと、おーちゃん……」
「よしよし主様……」
オレの胸の中に逃げ込んできた小さなカナンを、抱き締めてなでなでする。
縮こまって小さく啜り泣くカナンが、可愛らしくて。愛しくて。
主様の弱い部分に触れられるのはオレだけの特権。
けれど苦しんでいるのを見るのは辛くって。
「おーちゃんは……おーちゃんだけは、いなくならないで……」
「よしよし、オレはいなくならないよ主様……」
「ぐすんっ。ほん、とぉ? やくそく、して……」
「約束するよ。絶対に、主様の前からいなくならないって」
オレたちはぎゅっと抱き締め合う。愛を確かめるように、寒さで冷えた身も心も暖めほぐすように。
本当だったなら、暖かいベッドの上で直に体温を交換し合っていたはずなのに。
「……おーちゃん」
「なあに主様?」
「血、吸っていい……?」
霧がぼんやり白んでいる。
まもなく朝を迎えるのだろう。
そんな中でカナンは紅く潤む瞳でオレを見つめた。
「いいよ。いくらでも、満足するまで吸って……。ほら」
「ありがとうおーちゃん……。ごめんね、寒くないようにぎゅっとしながら吸ってあげるから……」
吸いやすいようにマフラーをずらす。さらけ出したオレの首に、かぷりと噛みつくカナン。
オレを包み込むようにぎゅっと全身を密着させる。少しでも寒くないように、あるいは悲しさを埋めるように。
よしよし……。
しばらくして吸血が終わった。
ぷはっとオレの首筋から離れたカナンの口から、甘くねっとりとした白い吐息が漏れる。
「ありがとう、おーちゃん……」
「はふぅ、あうぅ……」
体が火照ってる……。とても寒いはずなのに、血を吸われたらなんだかとっても暑くなってきちゃった。
力が入らなくなってる身体を主様に抱き締められて、少しだけ心が満たされるのを感じる。
主様の気持ちも、これでちょっとは良くなってるといいな。
「おーちゃん……。私、おーちゃんともっと深く繋がりたい。もういなくならないように、絶対に離れられないように……」
「今よりもっとって……」
既に主様の束縛はかなり強いのだが。
ここ数ヶ月の間、戦闘以外でカナンと2m以上離れた事がない。おトイレの時でさえすぐ近くまでついてくるくらいなのだ。
「ダメ……?」
「ダメな訳ない。オレも今以上に主様と繋がれるんなら、繋がりたいよ」
オレの本音だ。
かつてのオレなら認めようとせず、誤魔化そうとしてたかもしれない。
けど、オレは変わったんだ。
大好きな主様のためならなんだってできるし、なんだって捧げられる。
この身も、魂も、心さえも。
前世の記憶は相変わらず思い出せないけど、そこに未練を感じる事も無くなった。
今がいい。
未来がいい。
主様の隣にいられるオレがいい。
「ね、おーちゃん。もしも私が男の子だったら、おーちゃんは今みたいに私のこと好きでいてくれた?」
「そんなの当たり前だって。主様が男の子でも、オレはきっと変わらず好きになってたはずだよ。
……あ、でも夜の方は今より大変になってたかも……?」
「ふふっ、そうね。私が男の子だったら、おーちゃんは今ごろママになってたかもね?」
「そ、それって……あうぅ、その……主様とのなら、オレ……」
ヤバい、ただでさえ体が火照ってたのに更に暑くなってきた。
ほかほか湯気が出ちゃうよぉ。うぅ、こんな状況でどうして……。
あぁ、でも主様が笑ってくれてる。気持ちを前向きにしてあげられたなら、これでいいんだ。
「それに……女の子同士でも赤ちゃん作れる方法があるらしいじゃない?」
「みゃっ!?」
そ、そういえばそうだった。
コルダータちゃんの両親はどっちも女性らしいのだ。女性同士で何かすごい魔術を使って産んだとか。
つまり、オレとカナンの間でも不可能ではないって事だ。
主様との赤ちゃんだったらオレ、産んでも……。
って、何考えてるんだオレ。何でオレが産む前提なんだ。
うぅ、主様を元気づけようとしてたのにオレが興奮してどうするんだって。
「その……いつか、余裕があれば、ね……」
「もー、おーちゃんったらすっごいお顔真っ赤にしちゃって。……ほんと、可愛いんだから」
「あうぅ……」
なでなでされてなんだか恥ずかしくもある。
けど、主様がちょっとでも笑顔になってくれたなら。
「ありがとね、おーちゃん」
「ん、主様……」
完全に持ち直した訳ではないけれど。主様が辛いときの支えになると決めたから。
確かな支えになれたから。
これほど嬉しい事はそうはないだろう。
「大好きよおーちゃん」
「オレも……」
そして誰もいなくなった濃霧の街中で、オレたちは愛を確かめあう。
……さすがにこの状況でえっちな事はしてないけどな。
抱き締めあって、互いの温もりで苦しさも辛さも悲しさも上から包み込むように。
だがしかし。
悪夢はまだ終わってない。
悪意は、悪夢は、どこまでも。
霧幻の彼方から、更なる絶望へ引きずり込もうとオレたちを深淵から覗きこんでいた。
――【対魔領域】
「あ、れ……?」
「どうしたのおーちゃん?」
「なんか、体が、重い……」
なんだこれ、急に何か……変だ。この感じは魔力切れの時みたいな。
けど、それとも違う。
魔力切れの時ほど動けない訳じゃないけど……これは――
なんだ……?
辺りの魔力が、消えた?
これは――
《解析中……対魔領域内に囚われました》
なんだそれ?
「大丈夫おーちゃん? 気分悪いの?」
最初は一瞬立てないくらいキツくなったが、体内の魔力操作をより意識してみたら普段通りに動けるようになった。
「主様……敵だ」
「そうみたいね」
真っ白な濃い霧の向こう側より、黒い影がゆっくりとこちらへ近づいてくる。
生ける屍とは違う、明らかに理性も自我もある生きた存在――
「ようやく会えたわね、〝騎士〟」
現れたのは、黒コートを纏った人物が2人。
片方は長身の男のようで、以前にも遭遇した騎士と同じだ。
だがもう片方――
小柄でカナンと同じくらいの身長と体格の、何者か。
《解析中――〝降誕の女神〟の加護により解析検索ができません》
くっそ、こいつもこのパターンかよ。
てか降誕の女神だって?
なんだコイツら……まさか、魔王か?
「……夢を見せてやろう」
〝騎士〟がオレへ手を向けた途端、何か真っ赤なものが迸った。
「いきなりおーちゃんに……何すんのよ!!」
一瞬の事だったが、どうやらカナンがオレへの何らかの攻撃を弾いてくれたらしい。
「……高位水魔弾」
「!!」
小柄な方の黒コートが血色の悪い右手を翳す。
その途端、鏃のような形をした巨大な水の塊が、オレたち目掛けて降ってくる。
「……高位氷結魔弾!!」
オレは絞り出した氷の魔法で水の矢を相殺する。
水が凍結し固まった事で、魔法の操作権が黒コートのものではなくなり砕け散った。
「……やるわよおーちゃん」
「ああ」
こいつら、強い。
まだ力量を全て確かめた訳ではないが、恐らくオレたちと互角くらいだ。
油断はしない。
騎士は、こいつらは、ここで確実に殺す。
お読みいただきありがとうございます。
小さい方のコートちゃんの正体は……




