第199話 あるエルフと妹の別れ
新年初投稿
精霊の森、と呼ばれていた場所がある。
そこはエルフや妖精族といった精霊に準ずる種族が手を取り合い暮らしており、私もそこの住民だった。
精霊の森での暮らしは外界と接触する機会はなかったが、外を知らずに育った私にとっては別に退屈ではない。
両親と妹との暮らしは満足していたし、妖精族の子たちはみんな面白いし。みんなみんな大好きだったんだ。そう、幸せだったんだよ。
だけど知らなかった。
外の世界で、私たちエルフや妖精といった種族がどういう扱いを受けているのか。
――普人の軍が攻めて来るまでは。
業火が森を呑みこんでゆく。
炎から逃れようとするエルフを、妖精を、動物たちを、普人の軍勢が仕留めてゆく。
慈悲などない。
私たちは人間ではないらしいのだから。
中には普人に捕獲される者もいた。
エルフや妖精はどうやら珍しい生き物だそうで、高値で取引されるらしい。
そうでなくとも、利用価値は高いそうだ。
慰みモノとしても、戦争の兵士としても、薬の素材としても。
人間じゃないから、失われても問題ない。
目の前で両親と妹を斬殺された私は、家族で唯一奴隷として生き延びる事になった。
このまま自分はどうなるのか。
慰み物として扱われてしまうのか。
何もかもが未知だった。
しかし。
乗せられていた馬車が横転し、谷底へ落下したのは僥倖だったのかもしれない。
そのおかげで、同乗していた簡易的に奴隷契約で私を縛っていた普人は頭を岩で砕かれて死んだ。
そうして、同乗していた奴隷何人かも契約が消え晴れて自由の身になった。
その中に一人、まだ7歳くらいの少女がいた。彼女は連中と同じ普人だったが、産まれた時から奴隷だったらしい。
それから私は、その子を連れて逃げ出した。
彼女には名前が無かったので、私は死んだ妹と同じ名前をつけることにした。
『ニーレ』
と。
*
ずいぶんと後に知った事だが、普人らにとってエルフや妖精たちを捕まえたのは〝ついで〟だったらしい。
目的は、森の木々そのもの。
精霊の森の樹木には〝ミスリル〟という特殊な魔法金属を含んでおり、森ごと焼き払うことで木々からミスリル以外の物質を飛ばすのが目的だったそうだ。
普人たちが大量のミスリルを欲した理由は、戦争で使う武器が必用だったらしい。
そうして精霊の森は、今ではもうほとんど残っていないらしい。
そんな話を聞いたのは、こちらの大陸へ渡ってきて冒険者として大成してからだった。
ニズヘルム大陸では、向こうと違って亜人への差別意識が薄い。
おかげでエルフの身でもニーレを飢えさせず、育ててあげられた。
当初はほとんど喋らず感情も見せなかったニーレだったけど、今じゃ生意気な口を聞くくらいには大きくなってくれた。
だからニーレが感情豊かに振る舞う度に、私は内心とっても嬉しいんだ。
ニーレは血こそ繋がってないが、私のたった一人の妹。
……幸せになってほしい。
ニーレはエルフの私とは違って寿命が短いのだから、短い一生を私に拘らず素敵な殿方と結ばれて幸せになってほしかった。
私がギルドマスターになってからは、イケメンと出会える機会が多そう……という偏見もありニーレを半ば無理やり受付嬢にさせた。
本人は嫌がらず、むしろ向いていたらしく手際はとても良かった。
が、ナンパは悉く無視。イケメンで性格も悪くない貴族の坊っちゃんなんかが来た時も、あっさりフった時はさすがに眩暈がした。
なんでも、男と結婚するつもりはないんだってさ。
私と一緒がいいんだってさ。
*
霧が濃い時は、異界と現世の境界が曖昧になっているのだと祖母に教わった。
だから外を出歩いていると、知らぬ間に〝向こう側〟へ渡ってしまって帰れなくなるんだって。
今この街を包み込む霧も、向こう側に通じているのだろうか。
そんな事を考えながら、私はギルドの入り口を見張っている。
外からあの生ける屍たちが入ってこないように、このギルドに避難してきている人たちを守るために。
「――ニーレも無理しないで休んでたら?」
「大丈夫、お姉ちゃんが頑張ってるんだから私だって」
ギルドの奥には布団や布類が敷き詰められ、その上で女性や子供たちが眠りについている。
男性や実力ある冒険者は、万一の襲撃に備えて寝ずの番だ。
一応オーエンちゃんが強力な結界でギルドを守ってくれているみたいだけど、油断はしない。
「……どうしたのキミ? 寝れないの?」
「うん……」
ニーレが寝れない子をあやしている。
昔はニーレも寝ない子だったっけ。私が側にいないと朝まで寝れなくってね。それはそれは大変だった。
そんな思い出が頭の中に蘇る。
この街に起こっている事件が解決したら、一度ニーレとじっくり話し合おう。無理に幸せになってもらおうと押し付けるんじゃなくて、もっとニーレの気持ちに寄り添いたいんだ。
わからずやなお姉ちゃんで、ごめんねって謝るんだ。
だから絶対に、生き延びるんだ。
「……あれ? どうしたんで――」
背後でニーレが誰かに声をかける。
眠っていた誰かが目を覚ましたらしい。
私はそれを気にも留めず、カナンちゃんとオーエンちゃんの帰りを待っていた。
それが、間違いだった。
「キャアアアァァァァっ!!!!」
甲高い金切り声が突如として響いた。
突然の事に何が起こったのか理解しようと振り返る。
「お、お姉ちゃん……」
そこにあったのは、寝ていたハズの子供や女性たちに群がられ、押さえつけられるニーレだった。
「ニーレっ!!」
「あ……」
みるみる内にニーレの姿が群がられた女子供の中へ消えてゆく。
咄嗟に魔法で攻撃しようとするも、子供に魔法を向ける事に一瞬躊躇してしまう。
ブシュッ
紅い何かが噴き出した。
ベキンッ
何かが砕ける音がした。
「ニーレ……ニーレっ!!!」
私は駆け出した。
今ならまだ間に合うかもしれないと。
「りっ、〝中位風魔弾〟……!!」
躊躇している場合ではない。
私は群がるソレへ向け、風の塊を飛ばして炸裂させた。
積み重なり合っていた屍どもが吹き飛ばされ、ニーレの姿が顕となる。
「ニーレ……?」
しかし変わり果てたニーレが、そこにはいた。
呼び掛けても何も応えない。
床に転がったニーレの頭と目が合って、私はもう……なにも、考えたくない。
どうして。
私は、どうして。
どうして、いつも私ばかり残されるの。
「ニーレ。ニーレ、ニーレ。ニーレ」
「ダメだ離れろエルム!! 生き残りを連れてここから逃げるぞ!!」
離してよアガス。ニーレがいなきゃ私はもう――
あぁ、ニーレが遠ざかっていく。
子供たちがニーレを食べようと戻ってくる。
私にはもう、生きる意味は残されていない。
けれど、今は死ぬ事もできない。
眠る事もできない。
頭の中が急速に冷静になってゆく。現実から目を逸らして、自分の心を守ろうとしている。
まるで自分が自分じゃないみたいに、客観的に感じられた。
今のでわかったよ、ニーレ。
ここでは誰も寝てはいけないんだ。
寝たから、おかしくなったんだ。
あはは。あは、アガスが何か言ってる。
私がギルドマスターだって?
ニーレがいなきゃそんなの意味ないんだよ。
あはは。おかしいよね。
笑ってよ。
貶してくれよ。
あはは、あはっあはっ、ああぁ。
「あはははははははははっ!!! あーっはっはっはっは!!! あぁ、あああああああああっっっっっ!!!!!!! ……あああぁぁっ」
とうとう自分が壊れてしまう所さえも、どこか他人事で眺める自分がいるのであった。
人の心とかないんか?




