第196話 霧の牢獄
濃霧たちこめる深夜の街中。
真冬の夜中は、寒さで手先の感覚が心細くなる。
お祭りの最中だったはずの周辺はすっかり静かになっていて、あれだけいた人たちは皆一様に地に伏していた。
「主様……これは一体、何が起こったんだ?」
「わ、わかんない……急に霧が濃くなってきたと思ったら、みんな笑いながら倒れちゃって……おーちゃんも一瞬、倒れそうになっちゃってた」
なんだよそれ。
何者かによる攻撃か? 倒れてる人たちは大丈夫なのか? とにかく、こんな真冬の夜に寝ちゃったら危険だ。
何とかして起こさないと……
その時だった。
むくり、と誰かが立ち上がった。
オレみたいに気がついた人がいたのだと思った。
けれど、違った。
「穏やかじゃなさそうね」
むくりと他にも何人も起き上がる。
よろめきながらゆっくりとこちらに近づいてきて、取り囲んできた。
「お、い、お、おい、でよ」
「こっ、こ……こっちに、お、いで」
オレたちを取り囲む人たちは皆一様に、貼り付けて固めたような笑顔を浮かべている。
しかしながら眼の焦点は合わず、身体の動きは生まれたての赤子のようにとてもぎこちない。
《解析中。
憑死魔
自我を持たぬ下位の悪魔が抵抗力の弱った人間や死体に憑依し、その身体と魂を食い殺し乗っ取った存在》
「た、のし……いよ」
「し……あわ、せだ、よ」
アンデッドか何かと思ったが、肉体の方は生きている個体もいるようだ。
言うなれば、悪魔が憑依した生ける屍。
数は多いが強さは大した事もない。群れているがオレたちにとっては何の脅威でもない。
主様とその情報を共有する。
しかし
「レベッカ、ちゃん……?」
霧の向こうから近づいてくる一体の憑死魔は、見知った顔に歪んだ後付けの笑みを浮かべていた。
まさかレベッカさん……?
ステラバックスの店主である、若い女の人だ。
ついさっきも会話したばかりだというのに。
いや、嘘だよね? 似ているだけ……。そうに決まっている。
霧のせいか、現実感が無い。それはまるで夢と現実の狭間のように。
「お……いで、かな、んちゃ……しあ、わせ」
粘土をこねくりまわしたような笑顔から溢れた声は、認めたくない現実を肯定していた。
レベッカさんが……死んだ、ということを。
「嘘、嘘よ……なんでよ。これはきっとただの悪い夢よね。おーちゃん、そうだと言ってよ、ねぇ……」
オレは何も言えなかった。
せめて主様の前では落ち着いた態度をでいようと思っていたのに、声は出なくていつの間にか目から滴が零れていた。
それが、直視したくない現実を裏付けていたのだ。
「レベッカさん……」
「あ、あ、う……おー、え、お�……で」
瞳の焦点は合わず、涎を撒き散らし、関節を稼働範囲外に動かし軋ませながら、常連のお店の店長だったものが近づいてくる。
「主様……」
カナンは刀を抜いた。
それを使うかどうかは主様次第だ。
友達だったものを、斬れるかどうか。
「お、� で……た �い、よ」
レベッカさん以外にも、たくさんの哀れな屍がよろよろ迫る。
こちらに掴みかかり本能のままに貪り喰おうとしてくる。
しかしカナンの強靭な身体を押さえつける事はできず、軽く振るった腕に吹き飛ばされる。
しかしそれでもすぐに起き上がり、再びこちらへ群がってくる。
それはもはや、不死者と変わらない存在だった。
――魂を喰われる。
それが意味する事は、オレたちが一番理解している。
これはもう、レベッカさんではない。
ならばせめて、楽にしてあげる事が最後の慈悲――
「ごめん……ごめんね、レベッカちゃん……っ!!」
絶対切断を纏った紅影の刃が、レベッカさんの胸を刺し背中へ貫いた。
紅く温かい飛沫が、濃霧を赤く染める。
レベッカさんの口から鮮血が溢れ出る。
「い、た いよ……か�、ちゃ 」
レベッカさんだったソレは、そのまま滑るように崩れるように地に伏した。
そして、二度と動く事は無かった。
「おーちゃん。ねぇ、私は……今、何を殺したの?」
震えてうわずった主様のその問いに、オレはすぐ答える事はできなかった。
「……ごめんねおーちゃん。これは、私が答えを見つけなきゃ」
「ううん。オレも一緒に考えるよ。それよりも……」
「うん、わかってる」
カナンの魂喰は、レベッカさんの身体から出た魂を捕らえている。
それは自我なき悪魔の魂。しかし、レベッカさんの魂を食らって融合したもの。
さすがのカナンも、これを食べるつもりにはなれない。
オレはレベッカさんの遺体を【次元収納】で格納した。
それは、あとでちゃんと弔えるように。
そして、その魂も――
「あぁ、うああぁ……」
絞り出すかのようにカナンの嗚咽が溢れ出る。
この場にいた生ける屍たちも全員、レベッカさん同様に胸の核を破壊して殺した。
大人も子供も、性別も関係なく。
こんな事にならなければ、たぶんオレたちより何倍も長生きしたはずの人たちを。
その中にはレベッカさんのように顔見知りの人もいた。
「よしよし大丈夫、主様は悪くないから……」
気分が悪い。
ハッキリ言って最悪だ。知り合いが死んでいく光景を見続けるなんて、並大抵の精神力では耐えられない。ましてや、自ら殺さなくちゃいけないなんて……
あまりにもつらそうで、オレが代わりにやろうとしても、カナンは自分でやると言って聞かない。
だからもう、オレにはこうして慰めるしかできなかった。
「ありがと、おーちゃん……」
たまにどうしようもなく追い詰められたとき、主様は年相応の女の子になる。
そうして、ぼやけていた現実感がハッキリした形で戻ってくる。
――怒り、という形で。
……よくも主様を泣かせたな。
お前を、オレは絶対に許さない。
このふざけた霧を作り出したお前を必ず見つけ出して、八つ裂きにしてくれる。
*
濃霧をかき分け、オレたちは進む。
生存者を探しつつ、こんな事を起こした黒幕を探す。
この霧は、精神に何らかの干渉を行う術のようだ。オレの魔力感知がバカになるくらいに濃い魔力で満ち溢れている。
道を行くと、またあの生ける屍たちが群がってきた。
罪悪感を感じつつ蹴散らし進んでゆく。
中には口元が真っ赤に染まっているヤツもおり、どうやら人を喰らっているらしかった。
生存者もまだいるかもしれない。
土地勘を頼りに濃霧の闇を歩む。
広域探知すら今はあまり機能していない。
なのでそれなりの強さを持つ敵が霧の中から奇襲してきたら、ひょっとすると一撃くらいはもらうかもしれない。
しかしそんな敵が現れる事もなく。オレたちは、見慣れた冒険者ギルドの前へたどり着いた。
中から人の気配がする。
カナンとオレは、扉をそっとノックする。
扉には鍵とつっかえがかかっているのか開かず、オレたちが生存者だと理解してもらってから向こうに開けてもらった。
「カナンちゃんだ……」
「カナンちゃんが来てくれた……」
中にはそれなりの人数の人たちが詰め掛けており、避難所として機能しているようだった。
カナンはこの街では有名人なのだ。強いし可愛いと、冒険者以外の知名度も高い。
それもこれも、今は何の意味も持たないが。
「ニーレちゃん……! 無事だったのね!!」
「ええ、カナンさんとオーエンちゃんもよくぞ無事に……」
仲の良い受付嬢のニーレちゃんは無事だったようで、ギルド内部で避難してきた人たちに温かい飲み物を振る舞っていた。
「さて、カナンさん。この状況について、何か分かる事はありますか?」
「それはおーちゃんがわかると思うわ。お願いおーちゃん」
「ああ。この霧はどうやら精神に何かしら干渉する術によるものらしい。そして、精神の弱った者は下位悪魔に憑依され魂を喰われてしまう」
オレは知り得た情報をニーレちゃんに共有する。
オレの【明哲者】についてはもう包み隠さず説明した。
「なるほど……」
「――この霧の作用はそれだけではない」
そこへ、野太い声が横から入ってきた。
「アガスさん……」
それは、昼間にも会った元Aランクの大男、アガスだった。
今は全身に包帯を巻いた様子でおり、何かと戦ったのだろう。
「カナンよ。知らせなければならないことがある」
「……何よ?」
「……メルトという鍛治師が拐われた、と言えば早いだろう」
メルトさんが拐われた……?
なんで? 誰に? 何の目的で?
「……話は最後まで聞け。拐ったのは真っ黒なローブを纏った二人組。俺はそいつらと交戦し、返り討ちに遭った。今生きているのは、殺すまでもないと判断されたからだ。俺には分かる」
黒いコートを纏ったヤツだって?
……騎士か!
アイツの仕業だったのか。
もう一人いたという話は気になるが、ともあれ敵が何なのか分かった事は大きい。
「それで、そいつは何処にいるのかしら?」
「……恐らく、街の外だ」
「それじゃあ早く追いかけて殺さないと!!」
「それはできなかった……」
「あ?」
アガスが歯を食いしばって言った。
「ヤツらを追って俺は霧の中を突き進んだ。そして数分かけてたどり着いたのは、元いた場所だった。その後も何度も同じ事を繰り返したが、結果も最後は同じだった」
何度街から出ようと霧を突き進んでも、元いた場所へ戻される。
それはつまり。
「俺たちは、この街にいる全ての人間たちは、閉じ込められてしまったのだ。この霧の牢獄に」




