第192話 故郷
無責任な偽善者は言った。
『止まない雨は無い』と。
救世主気取りの愚者は語った。
『明けない夜は無い』と。
言うだけ言って何もせず、それで人が救われたと悦に浸ってる。反吐が出るわ。
何時かは晴れるとしても、それまで傘を貸してほしい。
せめて朝が来るまでは、闇夜を照らしていてほしい。
私はこの世界を憎んだ事さえあった。
私に救いを与えないこの世界を。救いを差し伸べてくれた人を救えなかった、自分自身さえも。
けど、嫌いにはなりきれなかった。
それが苦しかった。
諦めきれたらどれだけ楽だったか。
苦しみ続ける哀れな私に、君だけは傘をくれた。夜道を照らしてくれた。
生きてて良いって言ってくれた。側に居てくれた。
君を知ったあの日から、私の世界は色づいた。
いつか雨が止んだなら、いつか夜が明けたなら。
その時私は君に伝えたい。
『愛してる』って。
穏やかな陽気に包まれながら、オレたちはのどかな草原を歩む。
そこらには小さな水まんじゅうみたいな生き物……スライムがぽよぽよ跳ねていた。
「スライムが多くなってきたわね」
「懐かしくなってきたな」
ウスアムの街の周りってスライムがやたら多かったんだよな。
戦闘能力も知能もほぼ無い無害な魔物だけど。
つんつんとつつくと冷たくてぷにぷにしている。
「おーちゃんのほっぺも負けてないわよ。うりうり~」
「んむむ~、なら主様のほっぺだって」
「あはは、くすぐったいわよ~っ!」
野原に寝そべりお互いにほっぺたをぷにぷに弄り合い、5分くらい経ってから我に返った。
危ないなこれ……いくらでもぷにれてしまう。
「はぁー……続きは向こうに着いたらしましょうね?」
「う、うんっ」
それから歩みを進め、オレたちはとうとう街へと帰ってきた。
四方を壁に囲まれた、少し風変わりな街だ。
この壁は何でもイセナ大結界を維持するのに必要な異質物を守るためだとか。
最初はこういうのがこの世界のスタンダードだと思ってたぜ。
「こんにちはー」
「こんにちはお嬢さん方」
門番さんに軽く挨拶をしてから、街に足を踏み入れる。
うーんこの少し淀んだ空気感、懐かしいな。
古きよき中世風な街並み、建物の壁には透明なビー玉みたいな何かが練り込まれている。
これって確か古魔石とかいうやつだったっけな。魔物の死骸が地中で長い年月を経て分解され、魔石だけが残ったもの。言うなれば魔石の化石みたいなやつ。壁に練り込むことで周囲の魔力の濃度を一定に保つ効果があるとか。
確かに街の外は大結界が近い事もあって魔力が濃いしね。中には濃ゆい魔力で酔う体質の人もいるのだ。
「ここもあそこも変わってないわねぇ」
「言うて半年も経ってないしな」
むしろ、まだ半年しか経っていないのか。ここを出てから本当に色んな事があった。
楽しい事も怖いことも、とてもとてもたくさんあった。
それでも時々はここを思い出すのだ。こここそが、それ以前の記憶が無いオレにとってはふるさとのような場所なのだから。
「さて……見えてきたわね」
懐かしき庭付きの一軒家が見えてきた。
かつて寝食のお世話になっていた、ある意味実家とも言える場所。
メルトさんとコルダータちゃんの家だ。
コルダータちゃんとの思い出が詰まったあの場所……。
「大丈夫?」
「だいじょうぶ。ちゃんと向き合わないとね」
カナンの声は震えていた。
親友との思い出を、守れなかった後悔を。それに苛まれるのではなく、向き合おうとしているのだ。
カナンも成長したんだ。前に進もうとしているんだ。
その先にはきっと、あと何年生きられるかの話もある。
……話が逸れたな。
今はただ、あのお家に帰ってきた事を喜ぶべきだろう。
慣れ親しんだ扉をコンコンとノックする。
すると庭に建てられた鍛冶小屋から『はぁい』と気の抜けた声が聞こえてくる。
「はいはいうちは新聞取らないよっ……て、カナンちゃん!?」
「久しぶり、メルトさん」
汗と煤にまみれた額を拭い、彼女は現れた。
一見して少女にも見える小柄な黒髪の女性。コルダータちゃんの育ての母親でもあるメルトさんだ。
彼女はドワーフという種族らしく、実は百歳を越える年齢だとか。本人に聞いたりはしないけど。
「いやぁ、二人ともちょっと見ない間にたくましくなったねえ? 雰囲気変わったよ」
「えへへ、そうかしら?」
「二人とも恋する女の子の顔をしてるよ。変わったねぇ」
「うぐっ……」
そ、そんな隠す気はないけどさぁ? 一瞬で見抜かれるとなんかこう、ね?
そんな顔にも出てたなんてなぁ。
「さ、こんな所で喋ってるより家に上がりな。大したものはないが、お茶でも出すよ」
「ありがとう。そうさせてもらうわ」
そうしてオレたちは、久々にこの家の玄関を跨いだのであった。
*
「――ねえ、いっそこのまま遠くへ逃げちゃわない?」
身なりから高貴な身分であることが窺えるその少女は、従者の一人のメイドにそう呟いた。
「い、いけませんお嬢様。そんなことをしては……」
「そんなことをしたら、何だって言うの?」
そのメイドはかつて、闇奴隷として違法にこの国へ連れて来られた。故郷は戦火で焼け野原となり、生き残ったのは自分だけ。
未来も尊厳も全てが絶望に沈んでいたと思われていたある日、全てを変える事が起こった。
『気に入ったわ。身寄りが無いならワタシの従者になりなさい!』
騎士団により闇奴隷市場が摘発された日の事を。騎士の中に混じっていた幼い少女に、手を差し伸べられたあの日の事を。
彼女と主人たるこの少女の間には、主従以上の関係が生まれていた。
互いの純潔の味も、〝愛〟という感情も、全てお互いで知ったのだ。
「……お嬢様の幸せの為です。家の後継ぎを産む事が、使命なのですから」
「ホントにそれでワタシが幸せになれるとでも思ってるの?」
「それは……。しかし許されない事なのです、従者との恋など……それも同性同士というのは」
「許されない? それは誰が決めるの? ワタシの人生はワタシのもの。貴女もワタシに人生を捧げたのなら、覚悟を決めなさい」
メイドの彼女にとっても、このまま主人が好きでもない男の胸に抱かれ子を産ませられるなど、耐えられるはずがない。
自分が辛いだけなら良い。しかし、主人もそんなことを望んではいないのだ。
だったらもう――運命を共にするしかない。
主人と従者として、そして伴侶としても。
身分も積み上げてきた全てを失ったとしても、お互いの方が大切なのだから。
だからこのまま、何処か遠くへと――
「ね。顔を下げてくれる?」
「はい、お嬢様」
メイドは屈み、お嬢様はつま先立ちに。
お互いにお互いを大切に想い合うその中間に、顔が重なりあう。
辺りに人の気配は無い。あったとしてまもう気にしない。
二人の濃密な口づけは、それから暫く続けられた。
*
「すごいの見ちゃったわねぇ……」
「危うくお邪魔しちゃう所だったな……」
メイドとどこかの貴族のお嬢様か?
橋の下の陰でひっそりと抱き合いながらキスをしているのをうっかり目撃してしまった。
メルトさんの家に少し上がらせてもらったが、本腰入れてくつろぐより先にギルドやステラバックスへ挨拶に行こうかと思ってた所だ。
そこにあのイチャラブな光景が飛び込んできた訳だ。白昼から外であんな堂々とイチャつけるなど、その点に関してはオレたちより上手なのかもしれない。
「帰ったら私たちも……ねっ?」
「あうぅ……」
くしゃりと頭を撫でられて、オレたちは彼女たちを背に懐かしき街並みへと入って行くのであった。
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