第189話 ありがとう
カナンとドルーアンちゃんの戦いが終わった。
薄れてきた土煙の向こうで、主様がこっちに手を振っている。勝利したようだ。
「我が主もドルーアンもよく頑張ったものだ」
隣のドレナスさんは感動してるのか泣いてるし。
決着までオレはこのバトルフィールドを包む結界や空間拡張の効果の維持に手を貸す事になった。
ジョニーちゃんとかドレナスさんとかにも協力してもらったから動けなくなるほどではないけど、めちゃくちゃ疲れた。カナンやドルーアンちゃんの攻撃で結界を破られかけた時はヒヤヒヤしたぜ。
ただ、本当に破られたのはドルーアンちゃんの一撃だけだ。それも上空に向けた攻撃。おかげで被害らしい被害は無い。
「しかし……はうぁ、つかれた……」
オレにとって、魔力の消費とは疲労と同義である。魔力が尽きれば立ち上がる事さえままならない。
今日は結界の維持に魔力をかなり消費してとっても疲れたので、帰ったらゆっくりしたい。具体的には主様の腕のなかでぐっすり寝たい。
はやく主様と合流したい……
あぁ、うぅ……頭がぼんやりする。
……うん?
主様とドルーアンちゃんが、握手してる……。
互いの健闘を称え合う的なやつ、だよね多分……。
わかってる、わかってるけど……。
むうぅ、ずるい……。オレだっていっぱい頑張ったのにっ……!
*
「おまたせおーちゃんっ!」
ドルーちゃんとの挨拶もほどほどに済ませた私は、真っ先におーちゃんの元へ向かった。
今日はとっても頑張ってくれたから、いつも以上に可愛がってあげなくちゃね。
そう意気込んでお迎えに行ったのだけど……
「主様の浮気者……」
「何よ、どうしたのおーちゃん?」
「ドルーアンちゃんとあんなに長く握手するなんて……ひどい」
ちょ、おーちゃんがこんな風に怒ってるなんて珍しいわね? もしかして疲れて裏のおーちゃんが出ちゃってるのかしら?
おーちゃんは疲れるとなかなか湿度高めな性格に変わるのだ。
「浮気なんてしてないわよ? あれはドルーちゃんに敬意を表しただけ」
「そんなのわかってるよ……でもオレ、見てたらすごく不安になっちゃって……」
「ふふ……じゃ、これならどう? まだ怒る?」
可愛すぎるおーちゃんに、わたしはちょっといじわるしたくなっちゃう。思わず壁に追い詰めて抱きしめちゃった。
それもみんなも見てる前でね。うふふ、さあどんな反応をしてくれるのかしら?
「そのまま、ほ、ほっぺにちゅーしてくれたら……許す」
あら、これはちょっと予想外。ここまでじっとりしてるなんて、どこまで私を魅了すれば気が済むのかしらこの子は?
「もー、仕方のない使い魔ね。はい、ちゅっ♡」
「あぅ!? あうぅ……あぅ」
何なのこの可愛い生き物?
希望通りほっぺにちゅーしてあげたのに、何よその慌てぶり? 顔を真っ赤にしてそんなにあわあわしちゃって。ほんと可愛すぎるんだから。
「よしよし、ご機嫌いかがお姫様?」
「あぅ……わ、わるくない……」
うむ、かわいい。
世界一可愛い。
みんなに見られようとも、私はおーちゃんを愛でるのをやめるつもりは無い。
なぜならそこにおーちゃんがあるから。
私たちを見ているみんなの反応はだいたい同じね。顔を赤くして恥じらっていたり、微笑ましそうにしていたり。
「そそそ、そんな大胆に……!? 凄い……見習わなくちゃなのさ」
「何を見習うんだメェ? って痛いメェっ!?」
リースちゃんなんかはパラちゃんのほっぺをばしばし叩きながら赤面してるわね。当のパラちゃんは何も分かってなさそうだけど。
それから私はおーちゃんをなでなでしながら、魔導学科のみんなから労われる事になった。
ただ勝手にドルーちゃんと喧嘩しようとしてただけなのに、どうしてこんなに大事になっちゃったのかしら?
さすがにパーティを開いてまで勝利を祝おうとしてたのは断ったけどね。
はやく帰っておーちゃんを堪能したいし。
「それじゃまたねみんな~! 行くわよおーちゃん!」
名残惜しそうなみんなに手を振って、私は立ち去った。
さて、疲れてるおーちゃんを無理させたくない。
……なんて言い訳を考えながら、私はおーちゃんを抱え上げた。背中とふとももの後ろに手を通して、今のおーちゃんはいわゆるお姫さまだっこ状態。
そのまま塀や建物の屋根を跳んで跨いで最短で帰る!
「あ、あうぅ、主様……? み、みんな見てるよ……?」
「うふふ、可愛い……♡」
お顔を真っ赤に染めちゃって。帰るまで我慢できるか不安になるくらい、おーちゃんが愛しい。
つまみ食いくらいしちゃ……だめだめ、お外でえっちな事はしない約束なんだから。
我慢よ我慢っ。
ううぅ……疲労と吸血衝動の日が近いのもあって、いつも以上におーちゃんを食べたくなってるわ。
こんなの拷問よ拷問。はやくお家に着かなきゃ……あぁ、はやく……。
「主様……だいじょうぶ?」
「~ッ!!!?」
それはっ、それはずるいわよおーちゃん……!
私の体に更にぎゅっと密着して、その上そんな言葉をかけられたらもう襲っちゃうしかないじゃないのっっっ!!!!
「だ、だいじょぶ? まだ怪我が治りきってないの? 心配なんだけど……」
「だだ、大丈夫よ! 傷もなんにも問題ない! 大丈夫だから大丈夫!!!」
大丈夫、我が家の要塞樹まではもう少し。そこまで我慢できれば素敵で美味しいご褒美が待っている!
「えへへ、そっか。良かった……」
その瞬間、私の中で理性の糸はぷつんと音をたてて千切れ飛んだ。
*
「王様……いえ、魔王になるのも存外アリかもしれないわね」
ベッドの上であお向けになったおーちゃんを前に、ふと思った。
その紅潮した肌と濡れた瞳を見たら、声に出てしまった。
「どうして、そう思ったの?」
子猫のような声で疑問を発するおーちゃん。
「うふふ……それはね、おーちゃんを〝お姫さま〟にできるから」
「あぅぅ、主様ったらまたぁ……」
ただでさえ紅かった顔を更に紅く染めちゃって。可愛いにも程があるでしょ?
「私は本気よ? おーちゃんのためなら何だってするわ」
ふう……。何はともあれ、短いようで長かった我慢もこれでおしまい。
理性というタガが外れた状態で、よく我が家まで戻って来れたと思う。
奇跡よね、あの状態でおーちゃんに手を出さずに帰ってきた私って凄いと思うわ。
さて、あとはもうおーちゃんを美味しく食べるだけ。
「主様……」
物欲しげに潤む瞳で私を見上げるおーちゃんに、私はもう我慢しなかった。
もう数えきれない回数心も体も重ね合ったのに、おーちゃんは今もなお初々しさを保ったままだ。
そんなおーちゃんの事もたまらなく愛しい。
好き。
大好き。
――『愛してる』
最後の感情を言葉にするには、私はまだ幼かった。
*
あれからずいぶんと長い時間、一緒にいた。
時計を見ればすっかり夕方で、食事をしてから一緒にお風呂に入って……そのまま二時間くらいシてから出た。
お風呂で何をしてたかって? そりゃあんたね……。
お風呂を出てからは、室内着を纏ってベッドの上でくつろぎタイム。
お互いお風呂でとってものぼせちゃったからね、クールタイム中なのだ。
「ますたぁ……」
とろんとした表情のおーちゃんと眼が合った。
これだけいっぱい同じ事をしていても、おーちゃんには全く飽きない。
おーちゃんにかけられたこの魅了は、きっと一生解ける事はないのでしょうね。
「ね、主様……」
「なあにおーちゃん?」
「だい、すき……」
「私も大好きよ、おーちゃん♡」
「だいすき……主様」
「うんうん、大好きな主様はここにいるわよ」
「主様だいすき……」
小さな胸を小刻みに上下させ、同じ事をうわ言のように繰り返す。
最高に可愛いけど、本当に疲れてるみたいね。残念だけど今日はこれくらいにしようかしら。これ以上はおーちゃんの身体が保たない。
「よしよし、おーちゃん今日はお疲れ様ね」
「あうぅ……主様だってお疲れ様だょ……」
「ありがと。ちょっと早いけど今日はもうおやすみにしよっか?」
「うん……おやすみ主様」
「おやすみおーちゃん」
明かりを消して、いつも通りおーちゃんを抱き枕にベッドに横たわる。
肌寒い季節だけれど、おーちゃんとならちっとも寒くなんてない。
……私の胸に顔を埋めて、しがみつくように、鼓動を共有する小さく可憐で貴いこの子を見ていると、ふと不安になってくる。
この子に私は、何かを返せているだろうか?
自信も
強さも
名声も
信念も
日常も
快楽も
――愛さえも
おーちゃんがいなければ、私には得られず知り得なかったものばかり。
今の私は、この子から貰ったものばかりでできている。空っぽだった私にこの子は色んなものをくれた。
そんなおーちゃんに、私は一体何を返せているの?
おーちゃんからもらってばかりで、何も返せていないんじゃないの?
……私は、あとどれくらい生きられるの?
狂信国で倒されてしまったおーちゃんを復活させようとした時、私は寿命の半分を対価に差し出した。
そんな元々の寿命が何年なのかなんて、私にはさっぱりわからない。
私には魔力が無かったから、自らの魔力の暴走で焼け死ぬ事は無かった。
けれど、複数の魔物の因子を無理やり混ぜ合わせて造った人造複合魔人の体では、そもそも長く生きられるとも思えない。所詮私は実験体だったのだから。
如何なる傷もたちまち癒す【超再生】でさえも、寿命に抗う事はできない。
もし私が死ねば……魂を共有するおーちゃんも消える。
私の死はおーちゃんの死と同じなのだ。
何処までも、私とおーちゃんは運命共同体。
……やだなぁ。
おーちゃんにまだ何も返せてない。
死にたくない。死なせたく、ない。
今まで奪ってきた命たちも同じことを思ってきたのだろう。
それでも、我儘だろうとそれが私の本心。おーちゃんに貰ったぶん何かを返せるまで、死にたくない。
けど、私はおーちゃんにそもそも何を返せるの?
美味しいごはん?
楽しい冒険?
甘い夜?
思い浮かぶのはどれも私がおーちゃんに『付き合わせて』いるものばかり。
結局、私に返せるものなんて何も――
「……オレは、幸せだよ。主様と一緒にいられて、生きてて良かったと心の底から思ってる」
私の胸の中で、寝ているはずのおーちゃんが言った。
ひょっとしたらこれは、私に都合の良い夢か幻聴かもしれない。けれど、この胸の中にある不安を確かに和らげてくれた。
またひとつ、おーちゃんから貰っちゃった。
「ありがとう、おーちゃん……」
返事はない。
けれど、それでもいいの。
これから私が、おーちゃんの事をもっといっぱい幸せにしてあげるんだから。
たとえ短い一生だとしても、私はおーちゃんと夢を叶えて幸せになる。
――そう、誓ったのだから。
たまにはカナンちゃん目線でのおちゃかわを。
次かその次くらいから晨星落落編以来の闇展開やります。そのぶんイチャイチャさせておきたかったのです。
 




