第180話 "ネメシス"
この世界には、〝魔王〟と呼称される存在が複数いる。
魔王とは、魔を束ねし者。
数多の魔を冠する者どもを従え、世界へ強い影響力を持つ存在。
この国の元首であり、オレたちに優しくしてくれるイルマセクのおじさんも、そんな魔王の一柱だ。
多くいる中でも、七女神の加護を授かりし魔王は別格であるという。
――『深淵の魔王』
すなわち、深淵の女神の加護を受けた魔王。
その中でも、およそ200年前の『深淵の魔王』は、歴代の中でも特に有名であろう。
「私の真の名は〝フェブルス〟。――人魔大戦を終結させた偉大なる〝深淵の魔王・バルベロス〟様の忠実なる僕である」
黄昏に照らされながら、〝それ〟はオレたちの前でそう語る。
それは、黒いローブを羽織った黒曜を思わせる黒い骸骨だった。
不死王。カナンの担任の先生であり、かつて殺しあった元敵であり、『ネメシス』と呼んでいた存在。それが、「フェブルス」という本当の名前があったという。
「魔王……バルベロスやと?」
「まさか、あの魔王様の名前が出てくるとわね……」
バルベロス……オレはよく知らないなぁ。
でも二人がここまで驚いているって事は、それなりに大物なんだろうな。
「〝ネメシス〟とは、バルベロス様が最期に私に託した『使命』の名。私をこの世界に繋ぎ止める、最後の楔」
「なんやなんや、想像してたよりえらいでっかい話になりそうやな」
「長い話になります。長い永い歴史の話。誰にも語られる事のなかった、真実の歴史の話を――」
死霊王フェブルス。
ネメシス先生もといフェブルスさんは、かつて深淵の魔王の幹部であり、そう呼ばれていた。
魔石を持つ人種と持たない人種。
かつて人類は、その二つに分かれ長い永い大戦争を行っていた。
それを止めたのは、魔石を持つ人種の筆頭と言える深淵の魔王バルベロスと、魔石を持たない人種の希望たる明星の勇者ソフィアであった。
建前として深淵の魔王と明星の勇者は敵対していたが、実際はお忍びで会って遊ぶくらい仲が良く……なんなら、幼なじみでもあったらしい。
そもそも最初から戦うつもりなどなかったのだ。
さまざまな膳を立て、両者はいよいよ和平という形で戦争を終結させる。
そして明星の勇者は、自らに加護を与えた明星の女神の化身を打ち破り、親友と自分の願いを叶えた。
――魔石の有無に関係ない、様々な人種が共に助け合う理想の国を創りたい。と……
そしてその願いは叶った。
人魔大国アトランティア。
女神の力で大陸を作り出し、そこに深淵の魔王と明星の勇者は共に一つの国を建国してみせた。
その国は、まさに理想郷であった。
穏やかで、憎しみのない世界。
人が助け合い、笑顔は絶えない。
そこには真の平和と呼べるものがあった。
だがしかし、それを良しとしない者もいた。
敵対していた人種に親兄弟や友や恋人を奪われた者たち。
そういった者どもからすれば、殺しあっていた相手と仲良くできる道理などないのだ。
それが戦争というものだ。終結しても、憎しみは消えない。無論ソフィアもバルベロスも、その事については想定済みだった。
しかし、想定外があった。
戦争中、深淵の魔王は他の魔王とも協力関係にあった。
魔人が幸福に暮らせる世界を創る仲間として振る舞っていた。
その中に、いたのだ。
戦争とは一切関係なく、元より普人が憎くて憎くてたまらない魔王が。
普人を殺す事に愉悦を感じ、殺すためならなんでもする。
戦争はむしろ都合が良い。
そんな、危険な思想の持ち主がいたのだ。
「やつの名は……〝奈落の魔王・ティマイオス〟」
「……っ!」
ティマイオス……!
カナンを『兵器』として産み出し、コルダータちゃんの身体を奪った……〝神〟の名だ。
許せない。
オレと主様にとって、最大の宿敵と言える存在だった。
そんなあいつが、魔王……?
「やはり、ルミレイン様のおっしゃる通りだった。
カナン様よ、貴女はティマイオスに大きな恨みがある」
「……当然よ。アイツは私の大事な親友の身体を奪った。新たな肉体とか言ってね」
「デミウルゴス教がそんな……」
ジョニーちゃんは絶句している様子だった。
聞けば、ジョニーちゃんの故郷である夜の国は親デミウルゴス教なのだという。
ジョニーちゃんも子供の頃から、デミウルゴス教に触れて育った。
信じてはいないし、むしろ胡散臭いとすら思っていた。しかし、その実態までは知らなかったのである。
「……話を続けよう。ティマイオスは、戦争中は仲間だった。バルベロス様にとって隠し事はあれど、信頼する間柄のハズだった。
しかし、裏切った。……いや、ヤツからすれば裏切り者はバルベロス様の方だったのかもしれない」
肉の無い骨だけの顔を夕陽に向けて、さっきまでネメシス先生と呼んでいた……フェブルスは、どこか悲し気だった。
「バルベロス様の戦闘力は下級神すら上回る。だから、ティマイオスは信頼を逆手に取った。平和な世になり油断していたバルベロス様の隙を突き、能力を……〝封緘〟した」
「能力を封緘されるとどうなるのよ?」
「能力が使えなくなる。
ヤツが封緘できるのはそれだけではない。バルベロス様の力のみならず、肉体の動きまでもを封緘し……そして、バルベロス様はなす術なく倒された」
「そんな事が……〝深淵の魔王〟は〝明星の勇者〟と仲違いして、相討ちにあったと聞いとったのに……」
「そんなもの、後にティマイオスが勝手に広めた嘘に過ぎない。
すぐさま〝明星の勇者〟も駆けつけたが、まだ息のあったバルベロス様を人質に、彼女も〝封緘〟され……敗北してしまった」
明星の勇者は、カナンの憧れの存在だ。
彼女のようになりたい訳ではないが、その生き様はカナンの人生に大きな影響を与えていた。
「明星の勇者さまも……アイツは殺してたって言うの?!」
「……ソフィア様とバルベロス様が身勝手に殺しあった……ティマイオスはそういう物語を作り、世界を再び戦乱に導こうとした。しかし失敗した。
勇者と魔王の決裂……その程度では、もはや戦争を行う大義名分にはなり得ない時代だったのだ」
憎しみは、人を狂わせる。
ティマイオスの過去に何があったのかは知らないし、知りたいとも思えない。
だが、ヤツをそうさせるだけの何かがあったのだろう。
同胞の平和よりも、憎き隣人への復讐を優先させる何かが。
「これが、私の知る歴史だ。
そしてここからは、私の〝使命〟について話そう」
黄昏の淡い光が一層強くなってゆく。
気がつけば、辺りにオレたち以外に生徒はいなくなっていた。
昔話は終わり。
つまり、ここからが本題だ。
そう、先生の〝使命〟について。
「――率直に申し上げます。〝深淵の魔王・バルベロス様〟の能力を、貴女に継いでもらいたい」
……へ?
いや待って、ネメシス先生……いやフェブルスさんの〝使命〟がカナンに関係ある事は知ってたが、魔王の能力をカナンにだって?
「……詳しく聞かせてもらおうかしら」
「はい。バルベロス様は、亡くなられる寸前に、〝魂の回廊〟の繋がりを持つ私に自らの力の一部を分け与えました」
――フェブルスさんは元々、魔王バルベロスが産み出した不死者の一体だったらしい。
魔王の力で創られたフェブルスさんは、主たる魔王が死ぬ時は共に消え果てる運命のハズだった。
「――しかし、私はバルベロス様に〝使命〟を託された。〝使命〟は私をこの世界に留める最後の楔。
バルベロス様が倒れた時。私も深い眠りに落ちたが、共に消える事はできなかった。
そして百幾年後に目覚めたあの時、いっそ私が新たな魔王となり復讐を成そうとも思った。だがそれは、貴女に阻止された」
「それがあの時ね……」
海辺の村が不死者の群れに襲撃されていた事件を思い出す。
あの時は確か、眷属を増やしたがっていたような。それは魔王になるためだったのか。納得。
「その後ルミレイン様に諭され、私は決めたのだ。託された〝使命〟を成す事に」
真っ黒な髑髏の眼窩の奥に、強い決意が宿っているように見えた。
「〝深淵の魔王 バルベロス〟……その能力の一部、あるいは原型が、私の中には宿っている。そしてそれを資格ある者に〝継承〟させるのが、私に託された使命。
――しかし因果とは奇妙だ。ルミレイン様のおっしゃった通りになった。
自由学科に巣食っていた悪魔を喰らった結果、まさか本当に〝資格〟を得るとは」
フェブルスは、どこか崇拝じみた様子でカナンを見据えていた。
まるで、自らの全てを供物として捧げんとするような。覚悟を決めた、聖者のごとき様相だった。
「――【高位能力:罰するもの】
今一度問おう、カナンよ。〝深淵の魔王〟が遺したこの力。引き継いではもらえないだろうか?」
後々合成するとヤバい能力に化ける能力。(既に十分ヤバい能力だけど)




