第175話 心なき秩序
世界が闇色に塗り替えられ、足元に円形の輝く足場が現れる。
黒い死神と、それに抱き締められる金髪の少女。そんなステンドグラスの床の外は、どこまでも続く果てない闇。
そこに立つのは、カナンとオレと、そして白装束の修道女だ。
オレたちはついに、オレの心象【形影相弔】へ〝秩序の神〟を追い詰める事に成功したのだ。
「このまま物量でゴリ押してやる!」
闇の中から、魔霊形態のオレの形をした〝影〟が無数に湧きだし秩序の神に襲いかかる。
――〝秩序の神〟の能力は、己の心象内でしか使えない。
とはいえ、その干渉力は凄まじく、内側から心象を顕現したとて外側の秩序の心象に押し潰されて終わりである。
だが今は、カナンの機転により〝秩序の神〟の能力が解除された状態。
心象の干渉力は大きく下がっている。
〝秩序の神〟が再び優位を取り返すには、再び己の心象の能力――〝秩序〟を設定しなければならない。しかしそれには、おーちゃんの心象を打ち破る必用がある。
「行くわよ!!」
オレの分身たちとともに、カナンも〝秩序の神〟への攻撃に参加する。
絶対切断を込めた攻撃を加え、更に舌の魔力を用いた雷撃を纏った技も使っている。
〝秩序の神〟は抵抗しようとするも、なすすべも無くダメージを重ねてゆく。
一見与えた傷はすぐに癒えているように見えるが、それは再生に魔力を使っている証拠。魔力で身体を形成しているので、このまま削りきれば勝てる。
ところが――
*
〝それ〟が生じたのは偶然だった。
流動性の無い閉鎖的な環境下。
そこでは小さな社会と独自の〝秩序〟が造られた。
空気を読んでノリ良く振る舞わなければならないという、暗黙のルール。そしてそこから生まれるヒエラルキー。
そんな〝秩序〟は、やがて絶対的な神聖なるものとして、生徒たちから『信仰』され始めた。
秩序そのものが、神である。
生徒たちから漏出した信仰を孕む魔力は淀みのように依り集まり、何十年もの時をかけて意思を獲得した。
それは力を持ち、やがては神として振る舞うようになる。
自由学科に根付くルール、価値観、生徒たちのヒエラルキー。
〝秩序の神〟とは、自由学科が産み出した秩序そのものなのである。
この学園都市は世界屈指の強魔地帯の上に造られており、そして外界と隔絶した結界は魔力が拡散するのを防いでいる。
秩序の神は、そこら中に満ちる魔力を取り込み続けていた。
他にも、他学科にも多からずとも〝秩序〟が形成されている。
そこからも信仰を吸い、より肥大化し強大な存在へと成長したのだ。
そして今より20年ほど前のこと。
〝秩序の神〟は偶然か何者かの陰謀か、下位悪魔を喰らった。
これにより秩序の神は悪魔の能力である【魂食】を獲得し、更に形なき魔霊から偉大なる爵位悪魔と変貌を遂げる。
だが、しかし。
まだ足りない。
秩序の神は毎年一人、秩序のヒエラルキーからあぶれた者の魂を生け贄として喰らうようになった。
とはいえ、自我の希薄な〝秩序の神〟は、己の作り上げた鏡の世界の外では形を保てない。
それ故に、毎年一人鏡の世界に引き入れてその魂を喰らう。それが限界であった。
しかし去年は魂を食べそびれてしまい、空腹で仕方がない。
そんな自分の食事を邪魔されて、秩序の神は怒り狂っている。
だが、あと少し。
あと少しで、秩序の神は――
*
……なんだ?
〝秩序の神〟の纏う魔力が、急に消えてゆく?
「気をつけろ主様、なにか変だ」
「わかったわ、何かする前にとどめを刺すわ!!」
カナンは口を開けた。
オレと息を合わせ、【黒死雷】を放つのだ。
オレも更なる魔法攻撃と分身をけしかけ、確実に仕留めるつもりで攻撃を放つ。
それは、一国すら滅ぼしかねない程の一撃。
特級といえど、都合の良い防御能力でもなければ無事では済まないだろう。
だがしかし。
世界が、オレの心象が、ガラスの割れるような音をたてて砕け散った。
「何が……起きたんだ?」
けしかけていた分身はあっけなく消滅し、カナンの放った【黒死雷】は〝秩序の神〟に届いたが、ヤツの干渉力により魔力を分散させられてしまい、ほとんどダメージを与えられなかった。
『――有罪。汝の罪を赦しはしない』
まずい、何か来る――!
〝秩序の神〟の異様に大きな下半身の中から、分身たるシスターどもが何体も這い出してきた。
ところがそのシスターたちは突如悶え苦しみうめき声のようなものをあげると、まるで豆の鞘が割れるようにして――
「なんだ……あれ」
その背中の中から、赤黒い竜のような生き物が出てきた。
《呼称名:なし
種族:上位魔将》
眷属を召喚……いや、産み出したのか。
竜の悪魔たちは、オレたちに向かって突進や炎のブレスを放ってくる。
大した脅威ではないハズ……だが、ここは〝秩序の神〟の心象。
その攻撃の威力は大幅に底上げされ、干渉力も尋常ではない。
カナンとて、1発でもまともに食らえば無事では済まない。
「主様! こっちへ!!」
残り少ない魔力で、オレはカナンを【多重結界】の中に匿いつつ抱きついて空中を逃げ回る。
クソ、やられた。
まさかここまで早く心象が破られるとは……。しかも様子がおかしい。
すると突然、〝秩序の神〟の下半身に亀裂が生じ、中から周囲にいる上位魔将によく似た姿の赤黒い竜が現れた。
しかしそれは周囲のものよりもはるかに巨大で、なにより頭が二つあった。
〝秩序の神〟はその背中にまたがると、こちらに炎の魔弾を飛ばしてくる。
「くっ……本気になったって事かしら」
破壊力は高位魔弾並み。まともに直撃すれば、骨すら残らない。
周りの竜の悪魔も、分身ではないので【タナトスの誘惑】による自死の誘引も効果は薄いだろう。
八方塞がり。
一瞬脳裏に浮かんだ言葉。
しかし、カナンはまだ諦めてはいない。
「……あんたが眷属を呼ぶなら、私だって……! おいで――」
【炎竜王召喚】っ!!!
空中に狐火が何個も灯り、それらは円形に並ぶと炎の魔法陣を展開した。
「くはは……」
炎の魔法陣の中から、朱色の鱗の巨竜が顕現する。
それは、かつてカナンと激闘の末、眷属となる事を選んだ炎の〝竜の女王〟だ。
「我が主を妨げる者共よ、悔い改めよ!!!」
ドレナスさんが一声咆哮しただけで、周囲の竜の悪魔が消し飛んだ。
「ドレナちゃん、召喚に応じてくれてありがとう」
「くはははは! 召喚していたただき光栄である!! して、どうやら状況は芳しくないようであるな」
ドレナスさんは赤髪チャイナ服姿の人化形態になると、オレたちの側についてくれた。
『……有罪 銃刑』
「むっ!」
空間に巨大なガドリングの銃口が出現し、ドレナスさんに銃撃をぶちかましてきた。
ドレナスさんはそれに対し、肉体の表面を強靭な竜の鱗で覆う事で無傷で弾いたのであった。
「防げたのね、それ……」
攻撃を回避するのはほぼ不可能。この心象の有罪による攻撃は必中と言っていい。
ドレナスさんはあっさりと攻撃を防ぐと、生き残っていた竜の悪魔を竜爪で切り裂いた。
『……有罪 拘留刑』
「むむむっ!? 我が主――」
それは、一瞬の事だった。
ドレナスさんの姿が消えた。
攻撃を受けた……いや、拘留って言っていたな。
どこか別の場所に隔離されてしまったのか?
周囲に竜の悪魔の姿は見当たらない。
――秩序の神は、言うなれば蛹。
希薄な自我のせいで外界に出られなかったが、あと少しでそれを克服できそうだった。外界に出て、より沢山の魂を喰らいより多くの信仰を得るのだ。
その為には、全力で邪魔物を排除しなければならない。
『有罪――』
双頭の竜の尾が直撃し、オレは吹っ飛ばされてしまう。幸い多重結界のおかげでダメージは無いものの、カナンと距離を離されてしまった。
「おーちゃんっ!!」
カナンの目の前に、〝秩序の神〟が立ち塞がる。
――脳内に開示されているルールに、攻撃を禁じる項目は無い。
カナンは秩序の神に飛びかかり、そして――
「主様っ!!」
赤い鎖に手足を縛られ、捕らわれてしまった。
オレは急いでカナンの元へ向かおうとする。しかし、灰色の檻のようなものに包まれてしまい動けなくなってしまう。
カナンを……どうする気だ
「う……」
すると秩序の神はカナンの顔を覗きこむと、これまでとは打って変わって優しげな声で冷たく囁く。
『親友を救えなかった。
頭を貫かれ絶命する瞬間を、何もできず見ている事しかできなかった。弱さ故に、無力故に。それが、汝の罪』
「う、ぁ……あぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
それは……。
今なお苦しむ心の傷を、よくも……
よくも主様を……!!
「やめろ!! それ以上主様に触るな!!!」
怒り叫ぶも、今のオレは無力。
檻の中からカナンが苦しむ様子を、ただ眺めている事しかできなかった。
馬鹿野郎ここから勝つぞお前