第173話 有罪
「結界……! ありゃあ心象か?」
異様な気配を感じて自由学科へ向かってみると、その校舎はどす黒い魔力の結界でまるごと覆われていた。
「たぶんそうね……。ヤバそうだったらおーちゃんの〝心象〟をお願いね」
「あぁ」
心象結界の内部は、術者の心の中を具現化したものと言っても過言ではない。
これにより使用者の〝イメージ〟の強さに左右される能力などは、とてつもないほどに強化されてしまうのである。
これに対抗するには、こちらも心象を顕現するしかない。
もしもそうなれば、より洗練された方がその世界に色を塗りつぶす事になるだろう。
オレの心象は奥の手である。
使えば膨大な魔力を浪費してしまう上に、使用中は結界外に移動ができない。
術者を巻き込む形以外では、できれば使わないに越したことはないが……。
「……あれ?」
いざ覚悟を決めて結界の中に入ったはいいんだが……
様子がどうも想像してたよりも違った。
濃い魔力で満たされてはいるが、そこに何者かの心象風景が広がっている……という訳ではなかった。
自由学科の、洋風な校舎の内部のごく普通の光景だ。
〝こういう心象〟かとも思ったが、明哲者の解析で否定された。ただ単に魔力の濃度がかなりあるだけだ。
だが、杞憂という訳でもなさそうだ。
「どうしたのかしら……立ったまま気絶してるわ」
生徒も教員も警備員も、校舎の中にいる全ての人間がその場で立ち尽くしていた。軽く揺さぶっても叩いてみても、何の反応もない。
この結界と何か関わりがあるとしか、思えなかった。
【魔性の瞳】で魔力の流れを観察してみる。
すると、この膨大な魔力はある特定のポイントから噴き出しているらしい事がわかった。
「主様。階段の上だ」
「なるほどね。踊り場の鏡ね」
この魔力の出所が分かったので、向かってみる。
やはり〝鏡〟が一連の事件と関係しているようだ。
恐らくだが、この謎の結界は毎年同じ時期に張られている。
そして結界内部で一人、生徒の命を奪う。
たった一人の命を奪うためだけに作られる結界。そう考えると奇妙だが、恐らくこの結界の主は人間の損得勘定で測れる存在ではないのだろう。
そしてオレたちは、踊場の鏡の前までやってきた。
やはりこの鏡の中から凄まじい量の魔力が湯水のように溢れ出している。
「おーちゃん……見えるかしら?」
「あぁ……」
鏡の中に、オレたちの姿は映っていなかった。
否、これは鏡ではない。
鏡の中の世界――。
明哲者による解析から察するに、ここと隣接するように、別次元にもうひとつの世界が存在しているようだ。言うなれば、裏世界……か。
そして鏡に見えるこれは、今は別世界への言うなれば窓のようなものらしい。
窓、とも少し違うか。
ともあれ、この鏡の形をしたものが、こちらとあちらの世界の境が薄くなっている箇所のようだ。
向こうに行くならば、これを使う他ないだろう。
「問題はどうやって入るか、よね」
「それについてはふたつくらい考えがある」
かなり特殊な状況下だが、この『鏡』も生徒らの様子も、心象結界によってもたらされた現象である。
ひとつは、こちらも『心象顕現』をする事で強引にあちらと空間を繋げること。
たぶんこれで成功する可能性は高い。
だが、心象結界の本体は恐らく向こうにあるのだろう。
向こうの様子がわからない状態で心象を顕現し、魔力を浪費するのはどうにか避けたい。
そこで、もうひとつのプランだ。
「主様。【絶対切断】で、この空間の境を切り裂けないか?」
「へぇ、面白い事考えるわね」
――あの時、【絶対切断】は暴風大竜鱶の【絶対防御】に対して、唯一ダメージを与えることができた。
空間の連続性を断つことであらゆる攻撃が到達できないようにする、という【絶対防御】に、【絶対切断】の刃は届いたのだ。
それが意味することは、【絶対切断】は空間をも超えられる・切断が可能な能力であるという事。
空間の境、次元の壁。それが薄くなっているここならば、切り裂く事で穴を開く事が可能なのではないか。
「やるわよおーちゃん」
「ああ、頼む」
カナンが、未完成の魔剣〝紅影〟を振るい、鏡を切り裂く。
鏡は粉々に砕けると、灰色の塵となって消えてしまった。
すると鏡のあった空間に、真っ黒な裂け目のようなものが現れた。
あっち側への入り口が、口を開けた。
向こうがどうなってるかさっぱりわからない。
だが行くしかない。
「行くわよおーちゃん」
「おう」
そしてオレたちは、秩序の世界に足を踏み入れた。
*
真っ暗なそこは異様な気配に満ち溢れ、肌を突き刺すような悪意が降り注いでいる。
どこから何が来るかわからないので、オレは幼女形態から魔霊形態に姿を変えた。
そうして暫く進むと、景色が開けた。
「うふふ……あっははははははは!!!」
うわ、急にどうしたんだカナン。めちゃくちゃ笑いだして怖いんだが?
だが、カナンが見ていたモノを見て納得した。
灰色の校舎内という、現実世界に酷似した心象風景。
その中に、半透明な赤い鎖が幾重にも絡んだ結界があった。
あれは……ジョニーちゃんの心象結界か。
そこに群がる、修道女のような見た目の何かの群れ。
全てを察した。
アレが、アイツらが、全ての黒幕だと。
「やっと会えたわねぇ!! 嬉しいわぁ!!!!」
『!! 有罪――』
「うっさい!」
シスターの一匹が何かしようとしてきたので、その前にオレはそれを虫のように叩き潰した。
「来てくれたか、カナンちゃん!」
「か、カナンちゃん!?」
「あら、ジョニーちゃんたちだけじゃなくてシーバルちゃんもいたの? みんな大丈夫かしら?
待っててね、すぐにこのふざけた世界を壊してあげるから!」
ハイテンションに見えるが、カナンは怒ると笑うのだ。今のカナンは、友達を傷つけられてかなりごきげん斜めである。
『――有罪!!!』
他のシスターどもが、オレを指さしてそう叫んできた。
ギルティ……って、罪の事だっけ?
気がつくと、突如としてオレの四肢にギロチンの刃のようなものが突き刺さっていた。
「おーちゃんっ!?」
『ぐ、大丈夫だ。大したダメージじゃない』
突然の事に驚いたが、幸い刃はそこまで深くは刺さっていない。
「おーちゃん。こいつらが何なのか分かったかしら?」
『あぁ、断片的だがな』
《呼称名:秩序の神:化身体》
神――。
まさか神性を得ている、という事だろうか?
あるいはティマイオスのような自称神か。
それに、たくさんいるように見えるが、あれらは全部同一の存在のようだ。化身……恐らく分身体のようなものだろう。
何処かに本体がいると思われる。今はそれくらいしかわからない。
何にせよ、かなり厄介な敵である事に変わりはなさそうだ。
「――神様、ね。ふふふ、相手に取って不足なしよ!」
カナンは嬉しそうに笑っていた。
「ジョニーちゃん、もう少し耐えられるかしら?」
「あぁ、カナンちゃんらがこちらに入ってきてくれたおかげで、こちらの心象にかかる圧力がだいぶマシになった。これなら10分くらいは問題あらへん」
「了解よ。それまでに決着をつけるわ!!」
タイムリミットは10分。
それまでにこの心象の主を見つけ、そして倒す。
その為にオレたちは、【広域探知】【魔性の瞳】【明哲者】をフル活用して、敵の本体の位置を探った。
――シスターどもが〝有罪〟と叫ぶと、回避不可能の攻撃がこちらに当たる。
現状この攻撃を食らったのはオレだけだ。そして、シスターに対して攻撃を行ったのも。
そこから推察するに、この心象内においての〝秩序〟を破った行為……すなわち罪に対して、〝刑〟を与えるという効果なのではないか。
もちろん、それだけじゃない。有罪以外にも、白い槍を持つシスターどもがこちらに群がり攻撃しようとしてくる。
かといってそれに反撃してしまば、有罪が発生してしまう。
本体の所へたどり着くまでは、可能な限りシスターを倒さずに乗り切らなきゃいけなさそうだ。
ちなみにだが、オレには一度刑が執行されたからか、今のところ再度有罪は発生していない。
そうしてシスターどもからの直接攻撃を防ぎつつ解析し、そして見つけた。
「あそこね」
『あぁ。行くか』
魔力の流れの中心は、最上階の空き教室があった場所にある。
この心象の校舎、間取りは現実のものと全く同じらしい。
このまま階段を登って行ってもいいが、できればあまり時間はかけたくない。
「ぶち破るわよ!」
息を合わせ、オレたちは天井をぶん殴って破壊し、最短で最上階までたどり着いた。
最上階は、あの踊場よりもはるかに濃い魔力で満ちていた。
この魔力も、あの空き教室から湧き出ている。
『……行くか』
「うん」
一旦【部分召喚】に切り替え、カナンは空き教室の引き戸を開けた。
そこには――
真っ白な装束を纏った、修道女が立っていた。
さっきから群がっている奴等に似てはいるが、手には天使の翼を象った白い権杖を持っている。それだけじゃない。
背中には天使を連想させる3対の翼が広がり、その下半身のスカート部分は異様に大きく丸く膨れていた。
間違いない。アレが本体だ。
その雰囲気は、以前〝大海の女神〟を目の当たりにした時を連想させるほど、神々しかった。
「……行くわよ」
覚悟を決めて、カナンは教室に足を踏み入れた。
その時。
あのシスターの眼が、カッと見開かれた。
それと同時に、教室の形がまるで粘土のように作り替えられてゆく。
そして作り上げられたそこは、まるで法廷のような形になっていた。
『汝。審判を受けよ――』
その時、オレを含めカナンの脳内に〝秩序〟が開示された。
・審判中の心象顕現の禁止
・分身体の破壊の禁止
・〝秩序の神〟への攻撃行為の禁止
・秩序の世界からの脱出行為の禁止
・秩序の神への反逆行為の禁止
・上記を破った者は例外なく死罪に値する
ルール……!?
まるで自分がルールそのものであるかのような、理不尽な規則。
『汝……〝カナン〟は、秩序違反〝分身体の破壊〟に関与。よって、処罰を下す』
はぁ!?
シスターを叩き潰したのはオレなんだが、なんでカナンが!?
まさか、教唆とかそういうのでもダメなのか?
カナンは何かが発動する前に、ヤツを倒そうと駆け出していた。
しかし秩序の神は、それよりも速く判決を下す。
機械的に、意思も感情も感じられない声で、審判を下した。
「っ……! 【魔人召喚】――」
『有罪 〝斬首刑〟』
カナンの白い首筋に、一条の紅い線が走った。
噴水のように血が頚から溢れだし、力無く床に倒れるカナンの身体。
そしてオレの爪先に触れたのは――
「あ、あぁ……主様あぁぁぁぁ!!!!」
虚ろな眼差しで虚空を見つめる、カナンの頭部であった。
おーちゃんが助かったのは事前に四肢に刃を受けるという刑を済ませてたからです。




