第172話 血みどろの混沌
『アイツが、来る……』
ジョニーもまた、夢の中で死霊エスペランサの尋常ではない様子を目の当たりにしていた。
エスペランサを殺した『何か』が、間もなく目を覚ます。
正体は相変わらずわからない。しかしジョニーは、今日か明日にでも『何か』が自由学科で起こると想定して、学校を休み校舎の前で待機していた。
――カナンちゃんも呼ぶべきやったかなぁ?
一方で、待機していたのはジョニーだけではなかった。
シーバルの心の居場所であるカナおー同好会の面々もまた、付近から自由学科の内部の様子を伺っていた。
不思議なことに、同好会の全員が朝から言いようもない胸騒ぎを感じていたのだ。
このままではシーバルと、2度と会えなくなる。そんな強い胸騒ぎ。
かと言ってコミュ障陰キャの彼らに何ができるかと言えば、自由学科の校舎の周りをうろつく不審者めいたものだったが。
そんな中。
『心象顕現――』
それは起こった。
まず反応したのはジョニーだった。
自由学科の校舎全体に、巨大な心象結界が構築されているのが見えた。
ジョニーは結界が完成する前に内部へと侵入した。
同好会の彼らも、同じものを見ていた。
みるみる内に、自由学科の校舎がドーム状のどす黒い魔力に包まれてゆくのだ。明らかに異常な光景だった。
……しかし。
校舎の周りには、授業時間中とはいえ散歩中の研究者やインフラ従事者など、それなりに人が歩いていた。だが、まるで自由学科の結界に反応していない。
そう、見えていないのである。
ただでさえ異常な光景。しかも自分ら以外には見えていない。
ただ分かる事は、シーバルが危機に晒されていること。
彼らは友達を救うべく、自ら結界の中へと侵入したのであった。
*
血の大海の中に沈んだ檻の中で、その人形は泣いていた。
眼球の無い両の眼を無機質に軋む両手で包み、血の涙を延々と流し続けていた。
咽び喚いて泣き尽くし、もはや涙は枯れ果て眼からは血が溢れだす。
しかし閉じ込められている彼女の事を、誰も助けてくれやしない。
――あの時、僕には何ができたのか。
「心象顕現……【泣血漣如】!」
ジョニーの心象風景にまで染み付いた後悔が、この世界に顕現した。
ジョニー・ナイト・ウォーカーの心象である【泣血漣如】は、彼の心の何が形を得たものなのか。
影魔たるカリスは、なぜ血の鎖に縛られた檻に閉じ込められているのか。
ジョニーのこの心象に守られている後輩たちに、その事を聞く勇気は無かった。
「みんな、絶対ワイから離れたらアカンで」
そんな事は言われなくとも分かっている。
ジョニーの心象の外には、何人もの修道女が怒りの表情を浮かべながら立ち尽くしていた。
「あれは一体何なんですか、先輩……?」
「ワイにもさっぱりわからん。少なくとも、あのシスターたちがワイらを殺そうとしておる事は確かや」
そう言ったその瞬間。
『有罪!!!!』
ジョニーの心象の壁に外部から巨大なギロチンの刃が叩きつけられ、悲鳴のような金属音をあげた。
外部の景色は灰色の教室といった光景で、ジョニーの心象である血の鎖の壁とぶつかり合い、紅い火花のようなものを常に散らしている。
ここから外に出たら、命は無い。
「先輩……勝算は、あるんですか?」
目を覚まさないシーバルを抱えた一人が、血の海の上に立ち尽くして言った。
「今のところは無い。九割九分な。敵の心象結界があまりにも強すぎて手を出せへんのや」
「そんな……」
想定外。
黒幕に何かしら強力な存在がいるだろうとは、ジョニーも想定自体はしていた。
しかし、心象という手札をいきなり取らされる程の相手とは。
「うぅ……あれ? 僕……」
その時、昏睡していたシーバルが目を覚ました。
「大丈夫かキミ? 落ち着いて聞いてほしいんやが……」
「……ええと、もしかしてカナンちゃんのお姉さん……ですか?」
「いきなり何を言うんやキミ」
寝ぼけていたシーバルの眼には一瞬、ジョニーの顔がカナンと瓜二つに見えたのであった。
が、すぐに赤の他人であると気づいた。
「それであの……え、えぇぇぇ!? なんですかこれっ、ぜんぶ血!? うえぇぇ、どうなってるんですかぁっ!?」
「うっせえわ、ワイの能力の影響や。いいから説明させてや」
能力の都合上、ジョニーの心象は血の海の中というかなりグロテスクな光景である。
エログロ耐性の皆無なシーバルにとって、これはあまりにもショッキングであった。
がしかし、先程まで自分が置かれていた状況からして緊急事態である事は分かっていた。ので、なんとかパニックにはならずに根性でかろうじて耐えた。
そしてそれから、ジョニーに現況を聞かせてもらう。
あらかたの自体を把握したシーバルは、この状況を産み出している〝シスター〟たちの正体に、曖昧ながら心当たりがあった。
「あれは多分……この自由学科そのものが形になったもの……だと思います」
「そのもの、ねぇ」
確かにそうである。
校舎に潜む魔物の類にしては、行動が規則的すぎる。毎年同じ時期にシーバルのように生徒を一人食らうなど、まるで儀式のようである。
自由学科という機構そのものとまるで繋がっているかのような、あるいはそのものが意思と形を得て動き出したような。
また、あの〝シスター〟たちが同一の存在であるというのはジョニーも理解していた。あれは複数人いるような姿をとっているだけで、その実は同一個体なのだ。
――いじめは流動性の無い閉鎖的な環境に何人も閉じ込める事で発生する。
――閉鎖的な環境下では、独自の倫理観と小社会が構築される。
――そこでは、小社会の秩序に従わないものには秩序によって断罪が成される。
ジョニーは、薄々あのシスターたちの正体に気づき始めていた。
しかし、あり得ない。こんな規模の小さな場から、あそこまで強大なモノが生じるだろうか。
「アカンなぁ、このままじゃワイの結界が突破される……」
ジョニーの展開した心象は、既に半分ほどの大きさにまで削られて縮小してしまっている。
ただでさえ維持に膨大な魔力と精神力を強いられる上に、押し合いともなればそれはもう、命を削っていると言っても過言ではない。
「ちょっと反撃するで。みんな力を貸してくれへんか?」
「もちろんです!」
ジョニーは心象内に満ちる血液の一部を握りこぶしほどの大きさに結晶化させる。
「魔力はこれの中にワイのをありったけ込めてある。これを使って何でもええから攻撃術式を構築してくれ!」
「り、了解です先輩……!」
ジョニーは結界を構成する魔力の一部を削り、人工的な魔石を産み出した。
並みの魔法使いからすれば膨大な魔力を秘めるこれを、後輩たちに託した。
相手が〝秩序の神〟でなければ、そんな事をせずとも結界外部へ魔法を飛ばせたであろう。
しかし、今はギリギリの拮抗状態。
魔法の発動に僅かにでも意識のリソースが割かれてしまえば、そこから結界を一気に削り取られてしまいかねない。
だから、後輩たちに魔力だけ託し魔石に攻撃魔法術式を刻んでもらおうとしたのである。
「時間さえ稼げれば……希望はある」
結界の維持に精神と魔力を削られ、ジョニーの額から滝のように冷や汗が滴り落ちる。
「はい、絶対にみんなで生きて帰りましょう!」
後輩らも、自らを奮い立たせるようにそう応えた。
そんな様子を見ていたシーバルは、仲間を自らの問題に巻き込んでしまった事を悔いていた。
「みんな……ごめんなさい。僕のせいでこんな……」
しかし
「何を今さらですぞシーバル氏。それに、謝る方向性が違いますぞ」
「あ、謝る方向性?」
「そうですぞ!」
同好会の中の一人が言った。
――シーバルが何かを抱えている事は何となく察していた。
いつも傷だらけだった事。
いつもどこか苦しそうだったこと。
それでいて、シーバルはそれを知られたくなさそうにしていたこと。
全て察していた。察していた上で、あえて触れないでいた。
本人が知られたくないのだから。
しかし、心配になって自由外部に様子を見に来たらこの状況だ。
「どうしてみんな、僕なんかのために……」
「「「そんなの決まってるだろ、友達だからだ(ですぞ)!!」」」
シーバルの友達は、口を揃えてそう叫んだ。
「はは、ええ友達持ってるやん」
まるで、辺りに立ち込める黒い霧が瞬く間に晴れてゆくような。
友達に当たり前の事を突きつけられたシーバルは、そんな感覚を味わっていた。
「そうだ……友達だ。みんなこそが、僕の本当の友達だったんだ……」
「友達なんだ。辛い事は何でも相談してくれ! だから、これからもずっと一緒に……カナおーをめちゃくそすころう!!!!!!!」
「うん!!!」
「ちょっと待てや何や最後の!?」
カナおーのイチャイチャを観測してはそれを糧にする不審者の集団。
ジョニーは彼らがそんな変態集団だとは知らなかったのである。
「え、カナおーをご存知ない? カナンちゃんとオーエンちゃんのCP……」
「知っとるわ、友達やし! というかそんなコアな人気あったんかあの二人……」
ジョニーは知らない嗜好の世界を目の当たりにした衝撃をなんとか受け入れつつ、目の前の結界の維持を再開した。
結界は既に最初の三分の一にまで縮んでしまっている。
「先輩、術式の構築ができました!!」
「おぉ! そんじゃあそれをワイに渡せ! 後はなんとかする!!」
数人がかりで構築した術式の刻まれた血の人工魔石を、ジョニーは手の中で元の血液に戻し、外界と隔てる結界の壁と一体化させる。
すると、結界の表面に巨大な陣が展開され――
『有罪! 有――』
白い閃光が一帯を包み込み、数秒遅れてから凄まじい爆音が空気を叩き鳴らした。
「こ、ここまで強いなんて……」
想像以上の威力に、術式を込めた当人らでさえ戦慄していた。
威力が強大になった理由は、ジョニーが魔石に込めた魔力量が一気に解放されたからである。
この爆発で、周囲に佇んでいた修道女はみな消し飛ばされたようだった。
「やったか!?」
「いや、まだや!」
外部に広がる校舎の中のような空間の床から、再びシスターの群れが現れる。
『有罪、有罪! 有罪ぃぃぃ!!!』
憤怒のシスターたちは、更に縮んだジョニーの結界の上にへばりつくように覆い被さった。
今の一撃で、ほんの数十秒ではあるが心象結界の押し合いが弱まった。
ジョニーの作戦で敵にダメージを与える事はできた。
だが、〝秩序の神〟にとってそこまで大きなものではなかったのである。
「せ、先輩……もうダメなんじゃ……」
「いいや、大丈夫や! 時間稼ぎは十分にできた!!」
ジョニーの真の目的。
それは――
「うふふ……あっはははははははは!!!!!!」
突如、灰色の校舎の廊下に転がる姿見が砕け散り、そこから金色の何かと黒色をした巨大な影が飛び出した。
『……!?』
「やっと会えたわねぇ、嬉しいわぁ!!」
秩序を護る修道女は、再びの乱入者に困惑し、怒りを向けた。そしてその能力を発動させようとして――
『有罪――』
「うっさい!!」
金髪の少女――カナンの背後に佇む〝影〟が、〝秩序の神〟の化身の1体を叩き潰した。
「――みんな大丈夫かしら? 待っててね、すぐにこのふざけた世界を壊してあげるから!!」
巨大な影を従えし怪物が、秩序の世界を破壊しに降臨したのであった。
みんなのアイドルが目の前で戦うよ!
がんばぇ~!!
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