第171話 名も無き秩序の神
「む……」
仙術学科にて教鞭を取っていたルミレインは、いち早く〝ソレ〟を察知していた。
――場所は自由学科……。この感じ、もしもアレが解き放たれたら……。
やむなし。
〝調停者〟としてボクが対処してしまおうか……。
ルミレインはそこまで悩んで、手を出さない決断をした。
――否、カナンとオーエンの二人に任せる。そろそろ〝アレ〟くらいなら倒せる頃だろう。
むしろ、あの程度倒してもらわねばこちらが困る。
そうしてルミレインは、静観する事を選んだのであった。
*
窓から見える空が果てしなく紅い。
それ以外にこの世界の全ては灰色で、それでいていつもの教室には灰色の〝みんな〟がシーバルを紅い眼で見つめていた。
『捧げよ 捧げよ 我らが主に』
『今宵は星が揃う時』
『贄となれ 秩序の神が 目を覚ます』
『罪人よ 秩序の神の 糧となれ』
そこに〝みんな〟の顕在的な意思は存在せず、ただシーバルにその言葉を突きつける。
シーバルもまた、この状況を自然な事だと認識してしまっていた。
自分は罪人なのだと。
〝秩序の神〟への生贄なのだと。
全てを悟った時、シーバルの目の前に〝処刑場〟への路が開かれた。
教室はいつの間にか深淵へ続く深い闇へと姿を変え、まるで腹を空かせた獣の口のようにシーバルを誘おうとしていた。
一歩。また一歩。
闇へ歩みを進めるごとに、闇の中に祷り捧げる修道女たちが、二つの列に並び立ってシーバルの進むべき路を示す。
『〝有罪〟 〝絞首刑〟』
秩序の神が、憐れな罪人に裁きを降す。
シーバルの目の前に突然、絞首台が現れた。
――嗚呼。僕は、なんて重い罪を犯してしまったのだろう。
僕は万死に値する大罪者だ。死ななければならない。
ならばせめてこの命を、貴女様の糧として……
シーバルは絞首台の縄に首をかけ、そして自らの命を――
――カナおーは今頃何をしてるかな。
その刹那、シーバルの脳裏の片隅に〝不純物〟が紛れ込んだ。
*
『アイツが来る……』
夢の中のエスペランサちゃんが尋常ではない様子で、何かに怯えていた。
『そうだ、あたしはアイツに殺されたんだ。アイツに死刑を宣告されて……そのまま……いやだ
助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて――』
いつもと違って会話は成り立たない。
ただただ怯えるエスペランサちゃんの姿だけが遠ざかってゆき、抱き合っていたオレとカナンは夢から目を覚ました。
「なんだかあたし……頭が痛いのさ」
あれから学校に登校するなり、パラヒメちゃんの頭の上に寝そべっていたリースリングちゃんがそんな事を言った。
顔色も悪く、かなり体調は優れなそうだ。
「実は……オレも少し頭が痛いんだよな」
「気圧のせいメェ? 2人とも大丈夫メェ?」
そう言うパラヒメちゃんは何ともなさそうだな。
気圧……もありそうだが、なーんか変な感じだ。貧血になった時みたいな、生理の時みたいな。
頭に血が足りてないような、そんな感じ。
オレとリースリングちゃん以外にも、クラスでは何人か頭を痛そうに抱えてる生徒が何人かいた。
なんでだろう、こんなの初めてだ。
「う~、頭が割れる~」
授業が始まってもみんな悶絶しており、これでは勉強どころではない。
――その時。
「ねえ、おーちゃん」
「ああ。オレも感じた」
遠くの方で、おぞましい気配が立ち昇った。
場所は間違いない、自由学科の方面だ。
あそこに眠る〝何か〟が、目覚めたのかもしれない。
そうなればまた犠牲者が出てしまう。
あるいはエスペランサちゃんの仇を討つことができる。
早く行かなきゃ!
「行くわよおーちゃん!」
「あぁ! 主様!!」
オレたちは、教室の開けてあった窓から飛び出した。
「え、えぇぇ!? かか、カナンちゃん!!!?」
む、なんかめちゃくちゃ驚かれてるな。
あぁ、飛び降りたのかと思われてるのか。その心配はいらない。
オレはカナンの背中に抱きつくと、背中の翼を思い切り広げてはためかせて空を飛翔した。
「このまま一直線よおーちゃん!!」
「りょーかい!!」
目指すは自由学科の校舎。
あそこで何が起こっているのか、突き止めなければ。
*
――捧げなければ。僕の命を。
シーバルがロープの輪に首を通そうとした、その時。
絞首台のすぐ隣に立て掛けてあった姿見の中から、何かが飛び出した。
「シーバル氏!!!!」
「……みんな?」
それは、カナおーを共に愛する仲間たちの姿であった。
彼は友を救うべく、この秩序の世界に飛び込んだのである。
「なんで……」
「馬鹿なことはするな!! ここから逃げますぞシーバル氏!!!」
「離せ! 僕は死ななきゃいけないんだ!!!」
シーバルに声は届かない。しかし同好会の皆は、力づくでシーバルを絞首台から引きずり降ろした。
――皿に盛りつけられた年に一度の食事が、あと少しのところで奪われた。
彼らは〝秩序の神〟の、逆鱗に触れた。
『有罪! 有罪! 有罪!!』
暗闇の中から、何人もの修道女が現れた。
彼女たちはみな憤怒に歯を食い縛りつつも、手を組み瞳を閉じた祈りのポーズのまま近づいてくる。
「や、ヤバい! こっちに来てるぞ!!」
その背中に純白の天使の翼がばさりと開いた。
神々しくもおぞましき存在が、怒り狂い食事の邪魔をする小虫を排除せんとする。
その時
「心象顕現――【泣血漣如】!!」
突如として、周囲の地面が紅い紅い血の海へと変貌を遂げた。
そしてその中から、黒いコートを羽織った赤黒い髪の少女が現れる。
「よかった、間に合ったようやな! 全員ワイの側から離れるなよ!!」
魔導戦闘学科の秀才 ジョニー・ナイト・ウォーカーが、秩序の世界に血みどろの混沌を持ち込んだ。
今回のレイドボスはやべーですわよ
 




