第170話 小さな世界は秩序に塗り潰された
テラリアのマスターモードが地獄すぎてたのしい
「ん~……」
薄暗い部屋の中、ベッドの上であお向けに寝転んだオレの上に覆い被さり、鎖骨のあたりに噛みついて……。
喉を鳴らし瞳の紅く染まったカナンは、夢中でオレの体にむしゃぶりついていた。
「ふぅ……ふぅ……」
いつもと違う所から吸血されて、なんだか新鮮で……
「おーちゃん、痛くない?」
「いたくないよ……大丈夫、きもちい……」
あたまがぼーっとする。
女の子の日が終わって間もないくらいの吸血は、まるで命を吸われているようなアブナイ感覚がしてくる。
そしてそれがなんだかクセになっていたり。
息継ぎをしたカナンはもう一度吸血しようとする。
オレの鎖骨の上あたりの柔らかい所に突き立てられた白い牙は、ゆっくりと皮膚に沈みこんでゆき、一定の所までめり込むとぷつんと肌を突き破った。
この瞬間の甘い痛みが、いつもいつもここちがいい。
カナンの欲求をこの身で受けるほど、心が満たされてゆくのを感じる……。
「あうぅ……」
いつもの事だけど、吸血された後は貧血気味になってまともに立つのも難しい。
回復薬を飲んでも、特に今日みたいな時はすぐには動けない。
「今日もありがとね、おーちゃん」
「ん……主様」
オレは思わず、ふかふかソファで隣に腰かけるカナンの肩に頭を預けた。
主様……あったかい。
「あらもう、おーちゃんったらカワイイわね」
主様はそんなオレの頭をなでなでしてくれる。
幸せ……。ささやかだけれど、なでなでしてもらっている時がたまらなく幸せで。
主様……だいすき
*
――そうしてカナおーがイチャイチャしていた、一方その頃。
「クソ……どうなってんだよ」
ザードは誰もいない路地裏の壁にもたれかかり、空を眺めるように放心していた。
「ありえない……あんな下民ごときに」
ザードはグラム王国の伯爵家の長男である。
そんな自分のありがたい誘いを、下民風情の少女が一蹴した。それどころか、武力で脅してきた。
なんたる大罪か。
ザードは、少女をこの学園で暮らせないように断罪してしまおうとした。
下僕や仲間を使い、少女が売春行為をしているとした紙を大量にばらまいた。
こうしてザード様に逆らった罪人は、悲惨な末路を辿る……ハズだった。
――この世界でも5本の指に入る輸出大国『アルマンド』
吸血鬼の吸血鬼による吸血鬼の為の王国『夜の国』
どちらも辺境の小国のグラムなどとは比較にならないほど、強く巨大な国である。
この学園に通うその王族二人が、放課後に突然下校中のザードを訪ねてきたのだ。
「君がザードくんやな?」
「そうだ。何だお前ら不躾な……」
「ワイは〝ジョニー・ナイト・ウォーカー〟というもんや。吸血鬼の国の次期王やで。そんでこっちのは……」
赤みを帯びた黒髪に真っ黒なコートを羽織った少女と、金髪の少年。その正体を聞いたザードは、思わず腰が抜けてしまいそうになった。
「僕は〝ローゼス・ダルナ・カンドラ〟だ。言わずとも僕が何者かはわかるだろう?」
「お、王族ですと!? 私めに一体何の用でしょうか?」
〝ダルナ・カンドラ〟
その名はすなわち、アルマンド王国の王〝ダルナロンド〟の実子である事を意味する。
「ちょっと君にお願いがあってね」
「えぇ! なんなりとなんなりと!!」
これはチャンスかもしれない。
大国の王族とパイプを作るための、大チャンス。
愚かしいことに、ザードはそう捉えていた。
だが、しかし
「うちの学科で今朝ね、校舎前にデタラメが書かれたチラシが大量にばらまかれてたんだ。うちのある女子生徒が売春に手を染めているっていうね」
「な、そんなことが……?」
嫌な予感がする。
ザードは背筋が冷える感覚を覚えた。
「それでそのチラシに書かれてた女子生徒なんだけど、僕たちの大事な友達なんだよね」
「そ、そ、それは災難でしたな……」
ザードは、なぜ彼らが自分に声をかけたのかを察してしまった。
「お前やろ、アレを手引きしはったんは?」
「な、何の事でしょうか……?」
「とぼけるつもりか? こっちには証人もおるんやがなぁ」
絶対絶命である。
大国の王族が二人、敵に回ったのである。
「そういえば君の故郷のグラム王国は、アルマンド王国からの輸入にけっこう頼っていたね? 後はもう、言わなくてもわかるよね?」
「も、申し訳ない……! まさか彼女達がご友人とは露知らず……知っていたらこのような事は――」
ザードはうやうやしく頭を下げ、赦しを願う。本心では反省などはいていないが。
「誠意を感じられんなぁ。まあええわ」
「それじゃ、今後一切カナンちゃんに近寄らないって約束してくれる?」
もうカナンらに近寄らなければいい。たったそれだけである。
「や、約束……します」
だが、ザードの膨れ上がったプライドがそれを拒絶しようとする。
なぜ下民ごときに、こんな恥をかかされなければならないのだ。
――許せない。
しかし、もはやザードがカナンに対してできることは何もない。
裏からも、正面からも敵わない。
どんな手を使おうと、決して敵わないのだ。
それが、なおさらザードを苛つかせた。
憎い。
「クソ、クソ……どうなってんだよドブカスがぁっ!!!」
誰もいない路地裏で、ザードは怒鳴りながら壁に拳を打ち付けた。
血が滴っても苛立ちは収まらない。しかしこれをぶつけるにはカナンはあまりにも高嶺の存在。
このどうしようもない苛立ちの矛先が向いたのは――
*
「あら~、おーちゃん似合ってるわ~♡」
「あうぅ……」
お風呂も入って寝る直前、突然カナンがオレに色んな髪飾りを試したいと着せ替えパーティーが始まった。
リボンにカチューシャ髪留めに、色んなデザインの髪飾りを着けては外して着けては外して。
……どれも似合ってるんだろうなぁ。
ほら、オレって超絶美少女だし?
「さすがおーちゃん、最高に可愛いわ」
角の先にもリボンを結ばれで。鏡に映る自分が、悔しくなるくらい可愛いくなっていた。
「はぁ~、もう最高ね」
こんなにいっぱい可愛いと言われてしまったからには、これから朝までめちゃくちゃにされてしまうかもしれない。
……むしろ、それでいいかもしれない。もっと主様にまさぐられたい……もっともっとひとつになって……
って何考えてるんだオレ!?
まてまて、そんな誘い受けみたいな事って……
「おーちゃん……ふふ、可愛い♡」
カナンはおもむろにオレの手を取って、自分の頬に当てた。
柔らかい……。
「おーちゃんのおててあったかいわね……」
まっ、主様が可愛いすぎるんだけど?
そんなことされたら、一層まさぐられたくなっちゃう……
ふー、よし、落ち着くために別の話をしよう。
「そ、それにしても、今度の敵はけっこう強そうだな?」
「まぁね。私の【タナトスの誘惑】を打ち消せるんだもの。かなり強いわ」
正体不明。しかし、確実に存在する。
【タナトスの誘惑】を打ち消せるって事は、ひょっとすると精神干渉系の能力なのかもしれないな。
「近々強い敵と戦いになりそうね。だからその前に……」
「その前に……?」
「おーちゃんをたっぷり堪能させてもらうわねっ!!」
しまった、罠だ!!
そう気づいた時には既に羽交い締めにされていた。
そしてそのままベッドに押し倒されて――
*
翌日。
今日も登校したシーバルは、教室で奇妙な光景を目の当たりにした。
「誰……?」
それは教室の隅に立っていた。
黒い修道服を纏い、黒いベールを被り、そして手を組んで祈っている。
なぜか修道女が、教室の隅に立っていたのだ。
それも、何人も。
明らかに異様な光景だったが、シーバルはなぜか一瞬気になっただけですぐに気に留めなくなってしまった。みんなには見えていないようだった。
そうしてしばらくすると、担任の男教師が教室に入ってくる。
その腕にはなぜか、大きな姿見が抱えられていた。
「今日はまずは特別授業を行います。シーバルくん、君についての授業です」
「シーバルの授業?」
「そう、シーバルくんはどうして皆に嫌われるのか、分かっていない。だから皆はシーバルくんに直接、彼のどこが悪いのかを教えてあげるのです」
淡々と喋る男教師の瞳には、意思の光は宿っていなかった。
「え……?」
シーバルは何も言えないまま、クラスのみんなに嘲笑と蔑みと微かに憎しみの混ざった眼差しを向けられる。
「いつもいつも黙っててキモい」
「見ていて不愉快」
「ほんと死んでくれないかな?」
「空気読めないのマジでキモい。消えろ」
シーバルは、罵詈雑言の嵐に巻き込まれた。
クラスのみんなが、シーバルに笑いながら罵声を浴びせる。
そこへ、ザードが飛び出した。
「ぎゃあっ!?」
「死ね!! 死んじまえ!!! 消えろシーバル!!!」
シーバルに馬乗りになり、ザードは何度も何度も顔を殴りつけた。
昨日受けた屈辱を、他人にぶつけるために。
「きーえーろ! きーえーろ! きーえーろ! きーえーろ!」
〝みんな〟のコールは止まらない。
先生も少し離れた所で笑いながらそれを見ている。
「いいぞザード! シーバルの腐った性根を叩き直してやれ」
あろうことか、先生は止めるどころかそう言って助長していた。
ここにシーバルの味方はいない。
――悪いのは全部僕なんだ。僕が死ねば、みんな喜んで……
シーバルの心はもはや、眩しい虚無の中に沈みかかっていた。
その時、シーバルは見た。
教室の隅に立っていた修道女たちが、みんなの後ろからシーバルの顔を覗きこんでいるのを。
先生が持ち込んだ鏡の向こうに映る自分の顔が、真っ黒に歪んでいたのを。
そして、修道女達は祈りながら一斉に言った。
『【心象顕現】』
世界も、シーバルの心さえも、全てが秩序の色に塗り潰された。
おちゃかわが無理やりねじ込まれてきた。後悔はしてない




