第165話 さみしがり屋の死霊ちゃん
『おい、お前ら!』
真っ黒な世界でいきなり後ろから話しかけてきたのは、学園の制服を着たメガネの女子生徒だった。
茶髪を三つ編みにして、なんだか謎に昭和感が漂っている。
「誰よあんた」
『お前に名乗る義理などない! あぁ恨めしい恨めしい……! 呪ってやるぞ、呪ってやる! 絶対呪う……呪って呪って祝って呪い尽くしてやる!! お前は今日から1週間お腹を下し続けるだろうッッッ!!!!』
呪いって、こいつ例の噂と何か関係があるのか?
灰色のモヤモヤがカナンの足元から立ち上り、手足に絡み付く。
だがカナンには――
「……あ、あれぇ?」
「悪いわね、私に呪詛は効かないのよ」
モヤモヤはカナンの肌に触れた途端、霧散してしまった。
カナンは生きた肉体を持つ不死者なのだ。
「どうして、どおしてっ!?」
「どうしてって、効かないからよ」
「そんな……そんなのって……ぐすんっ、あんまりだよおぉっ」
あれ、今度は泣き出したぞ。情緒不安定過ぎるだろこの子。
「で、貴女が深夜に弾くと呪われるピアノの正体なのかしら?」
「ああそうだよ!!
なんで呪われるって噂だけが広まってんだよ!! しかも謎に時間まで指定してきてさ……!!」
今度は泣きながら怒ってるし……。
しかしこの子は一体何者なんだ?
「貴女はどういう存在なのかしら?」
「はぁ。……アタシはエスペランサ。享年14歳」
「享年?」
《解析が完了しました。個体名:エスペランサ
種族:死霊
状態:物体憑依》
し、死霊……。アンデッドだったのかこの子。
14才で亡くなるなんて不憫だな……と思ったら、エスペランサは顔をしかめて露骨に嫌そうな表情をした。
「あんたらなんかに同情される筋合いなんてねぇんだよ!! そうだお前、よくもジョニーさんを泣かせやがったな!!!」
うわ、今度はキレてきた。
「わざと泣かせた訳じゃないわよ。私だってジョニーちゃんがなんで泣いたのかよくわからないわ」
「ああそうかい言い逃れするのかい! ……はぁ、もういい疲れた」
うわぁ、急に落ち着くな。
死霊っていうからもっとこうホラーなのをイメージしていたが、人間っぽいなこの子。
「……てかさ、ここなんでこんな暗いわけ? しかもなんでもう一人いるの? あんたの心の中ってどうなってるのさ」
「気にしなくてもいいわよ。私の心って色々と特殊だから」
なるほど、ここはカナンの心の中だったのか。
「そもそもジョニーさん以外でここまで会話が成り立つヤツも初めてなんだけど……。何者なんだいあんたらは?」
「うーん、説明しようとするとすごく複雑なのよね。ざっくり言うと、私も不死者だからって事になるのかしら?」
「いやいや、あんたら生きてんじゃん?」
「生きた身体を持つ不死者なのよ。そういう風に造られたの。この子、おーちゃんは私の心から派生したもう一人の私……って所かしら?」
「もう一人の私と、造られたぁ? なんだか訳わかんなくなってきたよ。これ以上聞くのはやめとくわ」
それがいい。
カナンの過去なんて軽率に聞いても胸くそ悪いからな。カナンだってあまり話したくはないだろうし。
「で、エスぺちゃんはどうしてピアノに取り憑いてるのよ?」
「選んで憑いた訳じゃない。死んで気がついたらこのピアノの中に入ってたの」
「あのピアノに愛着があったのかしら?」
「愛着ねぇ。なくはなかった、かな。
でもさ、取り憑いたとは言っても、別に物理的には何もできないんだ。せいぜいがピアノに触れた人の精神に少しだけ干渉するくらい……うぅ」
「大丈夫かしら?」
「ぐすん、淋しいんだよぉ……構ってほしいだけなのに、干渉できてもみんなほとんど会話もできないし、あのピアノは呪われてるって言われるし……」
また泣き出したな。
とはいえ、呪いのピアノの正体は悪いものではなかったようだ。
「なあなあ、話を聞く限りじゃ、ジョニーちゃんとは会話できてたのか?」
「ずびっ、ぐすん。あぁね、ジョニーさんとはハッキリ会話できるんだ。理由はよくわからないけど」
ジョニーちゃんは生徒の中でも相当な実力者だしな。
死霊とお話しできる能力があっても不思議ではないな。うん。
「そういうあんたらも話が通じるね。最初は呪おうとして悪かったよ。お礼でもできればいいんだけど、あいにくアタシには肉体が無いからね」
「お礼はいいわよ。愉快な体験ができたから」
これでエスペランサちゃんの呪いの矛先がオレに向いてたりしたら、それはそれは恐ろしい事になっていたんだろうなぁ。
そんな事を考えながら、何かもじもじしてるエスペランサちゃんを見る。
「あ、あの……。また、アタシとお話してくれる?」
「全然いいわよ? またピアノ弾きに行くわね」
なんだかんだで話も良い方向に行けて良かった。
さて、そろそろ目覚める時間帯か。なんとなく、そんな感じがしてきている。
「ね、ねぇ、2人の名前を聞きたいんだけど……」
「ふふ、私はカナン。こっちのはオーエンよ。私はおーちゃんって呼んでるわ」
「おーちゃんだぜ。オレって可愛いだろ? 主様の趣味なんだなこれが」
「自分で可愛いって言っちゃうんだ……」
オレのこの幼女の姿は全面的にカナンの趣味なんだが、なぜ引かれなければならんのだ。解せぬ。
「……ひとつ、いい?」
「何かしら?」
「本当にまた来てくれる?」
「当然よ」
理不尽に怒っていた最初とは打って変わり、エスペランサちゃんは縋るようにカナンに問う。
ジョニーちゃんがいたとはいえ、ピアノの中で1人きりはとてもとても、言葉では言い表せないほどに寂しかったのだろう。
カナンはエスペランサちゃんの言葉に微笑みながら返す。すると、暗い世界がはげしくうねり、エスペランサちゃんの姿が遠ざかってゆく。
「またね。今度はもっと、たくさんお話したいな――」
―――
「むにゃむにゃ……ふにゃっ?」
なんだっけ、なんだか夢を見ていた気がする。
確かエスペランサちゃんがどうのって……。んにゃ、そうだ、ピアノの呪いの正体は死霊で……って。
「主様?」
目覚めると、隣のカナンの頬に一条の涙が垂れていた。
まだカナンは目覚めていない。
さっきの夢を見ながら泣いていた……訳ではなさそうだ。
「いかないで……」
また、魘されているのか。
「私を置いてかないで……コルちゃん」
……。
そうだな。忘れちゃダメだもんな。
オレを抱き締めてくるカナンの身体を、精一杯抱き返す。
「よしよし主様……」
もうすぐまた朝が来る。
今日はどんな1日になるんだろうな。
おちゃかわ。不憫なエスペランサちゃん