第162話 ある少年の夢想
ただいま
空高く見上げれば、零れ落ちんばかりの満点の星空が瞬いていた。
見下ろせば、夜景という名の光の海が広がっていた。
「これはまた絶景ねぇ」
オレはカナンに連れられて、住んでいる要塞樹の枝のてっぺんまで登ってきた。
ここには誰もいない。夜の世界の頂上を、オレとカナンでふたりじめしたみたいだ。
「えへへ、主様……」
「よしよしおーちゃん……」
ぎゅっと抱き寄せられていたら、いろんな悩みがどうでもよくなってきた。
主様の隣がオレの居場所なんだから、何も悩む必要なんてないのだ。
「それにしても、本当に月が綺麗だわ。こんなに月が綺麗な夜は血を飲みたくなってきちゃうわね」
「しょうがないなぁ、ほら」
オレは髪をたくし上げ、噛みやすいよう首を傾けてカナンに抱きついた。
カナンもオレを抱きしめると、片腕が首の後ろにまわしてきた。まるで蛇が獲物を締め付けるように、力んだ腕や指先が絡みつく。
それは、オレという獲物が逃げられないように。
きっと本能からくる行動なんだろうな。
逃げるわけないってのに。
でも、オレを痛くしないよう理性で本能を御しているのもわかる。
それがたまらない。
「んっ……」
カナンの口の中で、オレの首筋の肌を小さく鋭い牙が突き破る。
あぁ、こうして血を飲まれている間がたまらない。
主様との繋がりがより強く感じられて心地がよいのだ。
あぁ、こんなにも月が綺麗だから。
もっと、もっと深く繋がりたい。もっともっと……
*
「――っていうの考えたんだけどさぁ」
それは内向的な生徒たちのコミュニティ。
学園の陰とも呼べる部分。
魔導戦闘学科は『戦闘』と冠してはいるものの、戦闘よりも魔術の研究に没頭する生徒も数多くいる。
その多くが内向的であり、物静かでインドア派……言ってしまえば陰キャである。
陰キャは陰キャ同士で独自のコミュニティを作り、互いに常人には理解しがたいオタク趣味を語らうのだ。
そんなオタクコミュニティに、ここ最近大きなブームが訪れていた。
「なんと素晴らしい作品だ……」
「現実のカナンたんもオーエンたんに吸血してると思うと……はぁ、てえてえ」
数ページの薄い紙の束をめくってはため息をつく、オタクの群れ。
かのジョニー先輩を体術で圧倒し、交流戦では天災のような活躍を見せた美しき少女カナン。
圧倒的な力を持つ彼女は、主従契約を結んでいるオーエンという魔人と恋仲であると公言していた。
そんなカナンとおーちゃんの仲睦まじさは、魔導戦闘学科のオタクたちの間で密かなブームとなっていた。
中には、妄想の中でカナおーがプライベートでどんな風にイチャイチャしているか、というものをこと細かく描写した小説を書いてきた者すらいる。
「なあなあ、これ印刷魔術で増やしてみんなで読もうぜ?」
「いや、それは絶対ダメだ」
カナおーの仲を見守るオタクども――〝カナおーてえてえ同好会〟の鉄則。それは『決して本人らに知られてはいけないこと』である。
この魔術で量産して配る事は可能ではある。だが、そうなればカナおーに知られてしまうリスクも同時に増えてしまうのだ。
あくまで自分たちは陰から密かに見守るだけの存在。
彼女たちの仲に自分たちという不純物が混ざってはいけないのだ。
だから、こうしてこっそりと目立たぬよう活動するのである。
彼らは陰。
密かにカナおーを愛でる。それ以上でも以下でもない、それだけの集団だった。
しかし。
「あれ……?」
魔導本まみれのアパートの部屋へ帰宅したあるオタクは、ある事に気がついた。
決して、絶対にあってはならない事に。
「俺の書いた小説が……〝カナおーイチャイチャ物語〟が、なな、無い!!?」
*
「……なんだこれ? カナおーイチャイチャ物語……?」
少年は痛む頬を抑えながら、地面に落ちていた一冊のノートを拾い上げた。
タイトルからして、流行りの官能的なモノだろうか。
「……」
周囲に人はいない。
少年はそれをカバンへ素早くしまうと、そそくさと逃げるようにその場を離れた。
「な……、なんだこれ!? 尊い……てえてえ!!!?」
自室の机で『カナおーイチャイチャ物語』を読み、そのあまりにもな内容に少年は絶句した。
2人の少女が愛しあう情景が、目の前に浮かんでくるようであった。
愛らしく、美しく、そして尊く。
人は深い感動を覚えると、極端に語彙が失われてしまうものだ。
少年もまた、例外ではなかった。
しかしそれでもこの感動を声に出したく思った。
そして独り静かに叫んだ。
「カナおーてぇてぇ……!」
……と。
声に出すだけではまだ足りない。もっとこの感動を形にしなくては。
少年は机に無地の紙を敷いてその上にペンを走らせる。
顔は。
体つきは。
髪の色は。
小説内の描写から事細かに「カナン」と「おーちゃん」の特徴を抽出し、納得するまで何枚も何枚も紙にペンを踊らせる。
(カナンちゃんの方が歳上……しかしおーちゃんの方が胸が大きいと)
少年は悩みつつも、想像力を働かせて空想上の2人の姿を紙の上に顕現させる。
(髪の色は二人とも特殊だな。おーちゃんは黒髪ツインテールに赤いメッシュが入っていて、カナンちゃんは金髪サイドテールで髪の先端が緋色をしている。そういえばカナンちゃんは吸血鬼って設定だったな)
描きながら、少年は想う。
まるで本当にいるみたいなまで詳細を、描写されていて、とてもよくできていると。
これを書いた人と友達になりたい。
でも、どこの誰が書いたものなんだろう。出版されているものではなく、誰かの趣味によるものだ。
そもそもこれは落とし物である。
作者を見つけて届けてあげなければ。
それでも筆の走りは止まらない。
時間を忘れて少年はカナンとおーちゃんの世界にのめりこむ。
殴られ青く腫れた頬の痛みも忘れて。
ハサミでズタズタにされた箇所をテープで補修した教科書。
一度ドブの中に捨てられひどい汚れがついたノート。
踏みつけられぺしゃんこになった、何かの人形。
嫌な記憶を視界に入れず、夢のような時間と興奮を終わらせない。
夜は更ける。眠れば明日になってしまう。
どうかこの時間がずっと続きますように。
少年は、そう願わずにはいられなかった。
テラリア楽しすぎて執筆が疎かになってました……すんません。
またノクターンに投稿しました。詳しくは活動報告や前話のあとがきをご覧ください。




