2.服を買いに行こう!
「そういえば、シャルロッテ。一つ訊きたいことがあるんだけど」
「はいー? なんでしょうか、マサヒコさま」
ある日、夕食を作るシャルロッテに俺は声をかけた。
エプロンを着けた少女は、小気味の良いリズムで包丁を動かしている。新妻みたいなその姿にはいまだに慣れないものの、どうにか胸の高鳴りを抑え込んだ。
そして、声をかけた理由たる疑問を投げかける。
「服って、その一着しかないの?」
正確には、その類のものしかもっていないのか、だが。
シャルロッテがここにきてから数日が経過した。しかし俺は、彼女が羽衣のような衣装から着替えたところを見たことがない。たまに色が変化しているが、その程度だった。
しばしの間を置いてから、シャルロッテはこう答える。
「そうですよー、この服で買い物とか行ってます!」
「…………マジで?」
「はい、そうですが」
「………………」
俺は愕然とした。
買い出しは必要に応じて、交代で行っている。
てっきり、現代日本に即した格好で出向いているものだとばかり考えていたから、いちいち確認なんてしていなかった。しかし、それを知ってしまった以上は行動に移さなければならないだろう。
というのは、つまり――。
「よいしょ。さて、今日のご飯はカレーで――」
「シャルロッテ、一緒に服を買いに行こう」
「……ん、どうされたのです?」
食卓に夕食であるカレーを置いた彼女に、俺はそう提案した。
小首を傾げるシャルロッテ。
そんな感じで、俺たち二人での外出が決まったのだった。
◆◇◆
――そうして、翌日。
俺とシャルロッテは外へと繰り出した。
だがあまり衣服やオシャレに明るくない俺は、ちょっとばかし考える。
「さて、とりあえず手近にある店でいいか」
「あの~、マサヒコさま?」
「三丁目なら、やっぱり――」
「マサヒコさまっ!」
「……ん、どうした?」
ひとまずの買い出しに行くのであれば、近くの店で良いか――そんな結論に至った時に、何やらシャルロッテが悲鳴に近い声で訴えてきた。
振り返って小首を傾げると、彼女は涙目でこう言う。
「わ、私は本当にこの格好で、外に出るのですか!?」
「し、仕方ないだろ!? それしかないんだから!!」
それに対して、俺も思わず声を荒らげた。
羽衣ドレスを着ての外出を変だと思わない感性の彼女だが、今の自分の服装には違和感を覚えているらしい。しかし、それはシャルロッテの普段着より万倍マシだった。と、いうのも……。
「と、とてもブカブカで……! 恥ずかしいっ!」
上下共に、俺の使っているジャージだった。
ヨレヨレのそれは、たしかに女の子が着るには粗末以外の何ものでもない。
「いや、ごめんって。というか一人暮らしの男の部屋に、女性物の服があった方がおかしいだろ?」
「そ、それはそうなんですけど! その――」
理由を説明すると、彼女も納得した。
だが、まだなにかあるらしく、小さな声でこう言うのだ。
「マサヒコさまの香りがして、胸がキュッとします……!」
――互いに顔が真っ赤になった。
いや、うん。シャルロッテさん、勘違いするから言葉を選ぼうか。
そうは思ったが口には出来なかった。言葉にしてしまうと、それはそれで彼女に失礼というか、微妙な距離になってしまうような気がしたから。
それ以上に、強力な一言で頭が沸騰していた。
「あの、マサヒコさま……?」
「ど、どうした?」
そんな状態のこちらに、少女はおずおずとこう告げる。
そして、それは――。
「恥ずかしいので、手を繋いでもらって……いいですか?」
またもや、俺の心を揺さぶるには十二分な破壊力をもっていた。
「…………おう」
「ありがとうございます……!」
左手を差し出すと、シャルロッテは両手でそれを掴んだ。
遠慮がちに、指は絡めずに……。
「………………」
「………………」
そこから店に到着するまで、俺たちは互いに無言だった。
――――で。
アパートから出発して歩くこと十数分。
ひとまずは、最寄りの商店街に辿り着いた。その中で女性服の専門店を探して、入店するとそこには多くのレディース商品。
さっきも言ったが、俺はそういった方面に疎い。
だから、とりあえず店員に声をかけた。
「あの、すみません」
「はい。いかがされましたか?」
「この子に合う服を見繕っていただきたいんですけど……」
そう言うと予算はどの程度かと、色々と訊かれたがどうにか乗り越える。
一通りの要望を伝え終えると店員は、シャルロッテを連れて奥の方へと向かった。一人取り残された俺は、置かれていた椅子に腰かけて息をつく。
そうして待つこと数十分。
「お客様。お嬢さまがお呼びですよ?」
「え……? あ、はい」
今日の晩御飯はなんだろうか、と。
そんなことを考えていたら、先ほどの店員に声をかけられた。
なにやらシャルロッテが呼んでいるとのことだが、いったいなんだろうか。というか、いくら白髪だらけで老けて見えるからって、親子扱いかよ。
苦笑いを浮かべつつも、とりあえず向かうことにしよう。
「シャルロッテ、どうしたんだ?」
「ひゃんっ!」
俺が試着室のドアをノックすると、中から小さな悲鳴が聞こえてきた。
首を傾げていると、もぞもぞと衣擦れの音。
「ん、本当にどうした?」
「あー、えっとですね。これはちょっと、可愛すぎるかな、って」
もう一度訊くと、今度はそんな返答があった。
可愛すぎる、とは何なのか。俺は意味が分からずに首を傾げた。
そうしていると、シャルロッテは遠慮がちな大きさでこう口にする。
「それに、なかなかな価格ですし! 今回はやっぱり……」
なんだ、つまりは怖気づいたのか、と。
俺はそう思ってこう切り返した。
「大丈夫だよ。シャルロッテのお陰でお金に不安はないし、日頃のお礼だと思ってくれると嬉しいかな」
「う、うぅぅ……!」
すると彼女はどこか、退路が塞がれたといった風なうめき声。
そのことに首を傾げると、ゆっくりとドアが開かれて――。
「その、似合ってます……か?」
俺の思考は、一瞬で漂白された。
言葉が出てこない。さっきの緊張と、胸の高鳴りと、どこか似ている。
「あの……! なにか、言ってほしいです……」
「え、あ……その……!」
俺は少女の服装を見た。
身にまとうのは、清純な印象を受ける白のワンピースドレス、というのか。
とにかく、それを着ているシャルロッテを表現するなら、それは――。
「まるで、妖精みたいだ」
その一言に尽きた。
◆
「今日はありがとうございます、マサヒコさま」
「いや、いいよ。気にしなくても」
買った服に着替えて、喫茶店に入った俺とシャルロッテ。
とりあえずコーヒーを頼んで、それが届くまでの会話を楽しんでいた。
少しだけ頬を赤らめてお礼を口にする少女は愛らしく、見ていて少し緊張してしまうけど、同時にどこか心安らぐのも感じる。
背丈などの外見は、まだまだ年端もいかない女の子だ。
それでも俺なんかよりしっかりしていて、懐も深くて、行動力もある。
仕事を辞めてどうなるかと思ったけど、今では正反対のことを考えていた。仕事を辞めなければ――いいや。彼女と出会わなければ、どうなっていたのか、と。
「ありがとうな、シャルロッテ」
「え、マサヒコさま……?」
そう思うと、自然と手が伸びていた。
彼女の柔らかいその髪に触れ、ゆっくりと頭を撫でる。
「あぁ、ごめん。嫌だったか……?」
「い、いえ! そんなことはないです!」
「そか。それは、良かった」
とっさに手を離した俺だったが、彼女が嫌がっていないと言って安心した。
シャルロッテの方はといえば、どこか名残惜しそうに自分の頭を撫でている。今の俺たちの間には、普段の生活では流れることのない不思議な空気があった。
でもそれは、不快なものでなく。むしろ心地良いもので……。
「そういえば、私ばかり服を買ってもらって良いのですか?」
その感覚に浸っていると、不意に彼女はそう言った。
俺は少しだけ間を置いてから答える。
「いいんだよ。これはお礼だから」
「お礼……?」
素直な、心からの言葉だった。
「こんな俺のことを尊敬してくれるし、家事をやってくれるし。仕事のこととか、その他にも色々なことをやってくれているだろ? だから、俺に出来ることは何かな――って。それを考えたら、これくらいしか出来ないから、ね」
冴えない三十路の男が、出来ること。
それを考えた時に浮かんだのが、この程度のことだった。
もちろん、あの格好のまま外を出歩かれると困るのもあったけど。だけど、お礼をしたかったというのが本音だった。恥ずかしくて、言えなかっただけだ。
だけど口にして言ってしまうと、大したことでもないのかもしれない。
そんな恥じらいなんて邪魔なだけで、本当はもっと……。
「マサヒコさまは、素晴らしい方ですよ」
「…………え?」
そう考えていたら、不意打ちのように少女がそう言った。
目を丸くして彼女の方を見ると、そこには――。
「マサヒコさまは、他でもない私の世界を創りだして下さった方です。そして、たくさんの苦労と努力をしてきた方です。そんな人が報われないなんて間違ってますから、もっと自信を持って下さい――ね?」
胸に手を当てて、柔らかく微笑む女神の姿。
「あぁ、本当に……」
俺はそんなシャルロッテの慈愛に、感極まりそうになった。
本当に夢のような時間だな、と。
「ありがとうございます、マサヒコさま。生きていて下さって」
あぁ、本当に――なんて幸福な時間なのだろうか、と。
俺の頬を一筋の涙が伝っていった。
拭うこともできない。シャルロッテも気付いているのだろう。
だけど彼女は、決してそんな俺のことを馬鹿にせず、テーブル越しにそっと手を重ねてくれた。そして柔らかく微笑んで、小さく頷いてくれる。
それは、肯定だった。
きっと俺が、今までずっと欲しかったもの。
――ここにいても良いんだよ、と。
きっとそれは、それだけで素晴らしいことだったから。
「ありがとう、な。シャルロッテ……!」
そこまで考えると、もう堪え切れなかった。
少女の顔を直視できない。うつむいて、俺は肩を震わせた。
「ありがとう、本当に……!」
しばらくの間。
俺とシャルロッテは、人気のない喫茶店で互いに感謝を述べ合った。
◆◇◆
――そうして、夕日に染まる帰り道。
俺たちは、自然と手を繋いで歩いていた。どちらかが申し出たわけでもなく、ただ互いに、いつの間にか手を取り合っていた。
たしかな温もりを、そこに感じながら。
「今日の晩御飯は、なにがいいですか? マサヒコさま」
「ん、今日の晩御飯か……」
そして交わすのは、何気ない会話。
これが俺たちの日常なのだと、そう言うように。
「ハンバーグが、食べたいかな……。おっきなやつ」
「ハンバーグ、いいですね!」
俺の子供っぽい提案に、少女はコロコロと笑った。
そして、おもむろにこちらへ身を預けてくる。俺はその羽のような感覚をしっかりと、離さないように抱きしめた。
こちらを上目遣いに見るシャルロッテ。
そんな彼女の頬は、ほんのり赤に染まっているように思えた。それが夕日のそれによるものなのか、それは分からなかったが。
「なぁ、シャルロッテ……?」
「なんですか、マサヒコさま?」
俺は少し気恥ずかしくなり、前を向き直って深呼吸。
そして、そう彼女の名を口にすると、少女はくすぐったい声色で応えた。
そんなシャルロッテ――俺のことを救ってくれた、大切な女神、大切な人に俺はこう伝える。
「明日も、よろしくな……」
本当に、そんな何気ないことを。
シャルロッテのイラスト、誰か書いてくれないだろうか。
という、欲望の垂れ流し……。