1.社畜、解放される
「えっと、それでシャル……」
「シャルロッテですよ、創造主さま?」
「あー、うん。そのシャルロッテさんは、いったいどこから?」
俺は食卓を囲みながら、突如として現われた女性と対していた。
長く癖のある長い蒼の髪に、円らな金の瞳。やや童顔ながらも美しい、均整の取れた顔立ち。スレンダーながらに溢れんばかりの果実が二つある、成熟した大人な身体つき。まとうのは羽衣のような、薄いドレス。そして、様々なアクセサリーを身に着けていた。
その女性――シャルロッテ・ユークリウッド。
彼女はキョトンとした顔をしながら……。
「どこ、とは……?」
心底、不思議そうな声でそう言うのだった。
「いやいやいやいや。そんな首を傾げられても、俺の方が困るんだけど? ――というか『創造主さま』ってなに? もしかして……」
そんなシャルロッテに、俺はツッコみを入れる。
そして、まさかと思いながらもノートパソコンの方へと視線を投げた。
すると彼女は満面の笑みで、こう口にする。
「あぁ、そういう意味ですか! 私は創造主であるマサヒコさまに創られし世界の女神、その一柱です! この度は、私たちを創っていただき誠に――」
「はい!? いや、感謝されても困るんですけど!!」
深々と頭を下げようとするシャルロッテを止めて、俺は必死に考えた。
要するに、だ。これは夢のようだが夢ではない――ということ。信じられない話ではあったが、目の前にいる彼女は俺が書いた小説の登場人物だ。
いや、やっぱり素直には呑み込めない。
俺は口角をヒクヒクとさせながら、頬を掻くのだった。
「うそ、だろ……?」
まったくもって現実味がない。
頬をつねってみるが、たしかな痛みがそこにあった。
そして、食卓に並ぶ料理はどれも美味しそうなそれなのだが――。
「あれ……? うちの冷蔵庫に、こんな食材あったっけ?」
そこで、ふと疑問が浮かんだ。
俺の食事は基本的に、総菜パンとゼリー飲料。
冷蔵庫はお茶などを冷やすためだけに使用されていた。
「あぁ、僭越ながら私が近所のコンビニエンスストアで購入してきました! こちらの世界の知識はある程度を持っておりますので、ご心配いりません!」
「あぁ、そう……。もう、なにからツッコんだらいいのやら……」
財布を返してもらって、中身とレシートを確認しつつ。
俺は深くため息をつくのだった。
「とりあえず、シャルロッテさんは――」
「呼び捨てでお願いしてもよろしいでしょうか?」
「……シャルロッテは、本当に俺の書いた小説の世界の住人、と」
そして、最後に信じたくないものを信じることにする。
まだ頭が混乱していた。自分の部屋にいるはずだというのに、まるで俺の方が異世界にやってきたような、そんな感覚に陥る。
いいや、実際にまだ夢の中にいるのでは――。
「あ、そうだ時間……!」
そう思った時だった。
俺の思考は、一気に現実へと引き戻される。
次いでスマホを取り出して、現在の時刻を確認した。すると――。
「う、わ……。部長からの着信……!」
そこに表示されていたのは、上司からの不在着信の山だった。
いつもの出社時刻はとうに過ぎている。
「急がないと……!?」
俺はシャルロッテに用意された食事を無視して、立ち上がった。
そして大急ぎで身支度を始める。すると、
「どうされたのですか、マサヒコさま?」
首を傾げながら訊ねてくる美少女が一人。
シャルロッテは俺の顔を覗き込むと、無垢な表情をみせた。
「どう、って……。早くしないと今日の仕事が……!」
「どうして、マサヒコさまがお仕事をされるのです?」
「なんでって、そりゃ――」
慌てる俺に、まるで理解できないという彼女。
シャルロッテは言葉を詰まらせた俺に、こう言うのだった。
「創造主さまが労働をされるなんて、おかしいです!」
こちらが身動きを取れないように、後ろから抱き付きながら。
「いま、心身の疲労度を確認しました。――マサヒコさま。お顔には出されてませんが、相当に無茶をなさっていますね?」
「え、でも……!」
「でもも、なにもありません! このままでは過労死一直線です!」
くるり、俺の前に回り込んだ少女。
彼女はこちらを涙目で見上げながら、こう訴えるのだ。
「もっと、ご自身を大切になさってください! 私にとってのマサヒコさまは親であり、同時に敬愛すべき御方なのですから! ――いなく、ならないで……」
最後には、消え入るような声で。
きゅっと服の端を掴んで、そう漏らすのだった。
「シャルロッテ……」
肩を震わせるシャルロッテの姿に、俺は強く心を揺さぶられる。
もしかしたらだが、俺が死んでしまうと彼女の世界も消えてしまうのかもしれない。創造主の消滅――言葉にしてみるだけでも、嫌な予感がした。
だが、それ以上に少女の真摯な訴えが俺には分かる。
彼女は本気で、俺の身を案じてくれていた。
「…………分かった」
だから、俺はそう答える。
一日くらいなら、風邪と言い張れば済むはずだった。
明日、部長と顔を合わせるのは億劫になるけれど、これは仕方な――。
「――言いましたね?」
「へ……?」
そう、思った瞬間だった。
シャルロッテが、小さくそう言って面を上げる。
するとそこには……。
「では、思い切って辞めてしまいましょう! ご心配いりません、諸々の手続きは私が代わりに執り行います! マサヒコさまは、ここでお待ちいただければ!!」
瞳を輝かせて、鼻息を荒くした女神の姿。
彼女は捲し立てるようにそう俺に告げると、スマホを奪った。そして、
「……あ、そちらマサヒコさまの会社――上司の斎藤さんですか。これから代理として私がそちらに伺いますが、問題ありませんね? ありませんよ、ね!?」
「あわああわわあわわわわわわ!?」
部長に電話したよこの女の子!?
俺の動揺をよそにシャルロッテは一方的に通話を切り、満面の笑みを浮かべた。
「それでは、行ってきますね!」
そのまま唖然とするこちらを置いて、彼女は行ってしまった。
◆◇◆
「な、なんだ……、この金額は……!?」
「退職金と、今まで未払いだった残業代をこってり絞り上げてきましたので。その金額はマサヒコさまの苦労にとって、相応の対価ですよ?」
「え……マジで俺、ホントに仕事辞めちゃったの……?」
「マジですよ?」
数日後――口座に振り込まれた金額を見ながら、俺とシャルロッテはそんな会話をしていた。あの日付で退職扱いとなった俺は、ポカンとする他ない。
少なくとも今後しばらくは生活できる額が手元にあるのは良いとして、しかし仕事をしていないというのは、どうにも居心地が悪かった。
「大丈夫ですよ、マサヒコさま。私がついています」
「シャルロッテ……?」
そんな気持ちを察してか、彼女が後ろから優しく俺を抱きしめる。
そしてまた、優しい声色でこう言うのだ。
「また、前に踏み出さなきゃいけなくなった時――その時も私がお手伝いしますから。マサヒコさまは、今までよく頑張りました」
それは、今までの空虚への労い。
「だからこれから一緒に、失った時間を取り戻していきましょうね?」
頑張りへの肯定と、未来への展望だった。
「シャルロッテ……」
なんだろうか。
就職してからの九年間、固まっていた感情が溢れ出てきた気がした。
それを感じながら、俺はシャルロッテの細く小さな手に触れながらこう言う。
「ありがとう……」
次回の更新は明日の20時頃。
おそらく、一日一話の更新になります。