序章1
ガタンガタン。
うだるような暑い日差しの中、冷房のない車内に定則的なリズムで音が響く。
「暑いな……大陸横断鉄道なんだから、冷房の一つや二つ付ければいいのに……ってこの世界にはなかったか」
そんな車内の一角。車両の一番端のボックスシートの進行方向窓側に座る少女がつぶやく。
肩ぐらいまでの長さの黒い髪と黒い瞳を持ち、真っ白なワンピースに身を包んだ彼女は、明らかに周りの雰囲気とは違う異質さを放っていた。それこそ、ほぼ満員で立ち客がいるという状況にもかかわらず、彼女が座るボックスシートだけほかの乗客が近づかないという状況が生まれるほどだ。
しかし、彼女はそのような状況など気にする様子もなく、窓枠に肘をついて車窓を眺めている。
『ご利用ありがとうございました。まもなく、ルフナ、ルフナに到着いたします。ルフナ駅での停車時間は約一時間となっております。皆さま、ルフナでの観光をお楽しみくださいませ』
短いチャイムに続いて流れた車内放送を耳にした少女……月花有栖は網棚の上にのせてある小さなリュックに手を伸ばす。
それとほぼ同時に列車は山間にある小さな駅に滑り込んだ。
単線のこの路線において数少ない交換駅であるルフナ駅は単式ホーム二つで二本の線路を挟む二面二線の構造だ。有栖をのせた列車が滑り込んだホームは人がぎりぎりすれ違えるほどの幅を残して、すぐ目の前まで崖が迫って来ているような状況になっていて、下手をしたら落石で死者が出るのではないかと不安になってくるような場所だ。
もしかして、とんでもないところで降りようとしているのではないかと不安になって反対側の窓を見ると、そこにはこちらと同程度のホーム幅ではあるが、崖が迫ってきているということはなく、牧場に囲まれたレンガ造りの街が広がっていた。
『ご乗車ありがとうございます。ルフナでございます。列車はこの駅で約一時間停車いたします。お出口は右側です』
町があるところでよかったと安心しながら、有栖はポケットの中から銀の懐中時計を取り出して、時間を確認すると手動の扉を開けて駅に降りる。
「チケットを出してください」
ホームに降りると、扉の横で待機していた駅員から声がかかる。
有栖は無言でポケットから切符を取り出すと、それを駅員に渡す。
「この駅までの乗車ですね。ご利用ありがとうございました」
その言葉とともに切符は駅員が持っている袋に回収される。
それを確認した有栖は駅のホームの端に向けて歩き出した。
「さてと……また仕事を探さないとな……」
その言葉とともに彼女は小さくため息をついた。
さて、彼女はなぜこのような場所にいるのか。話は半月前にさかのぼる……
*
日本の某所。
とある県立高校に通う月花有栖はコンビニの前で頭を抱えていた。
手元にあるのはとある弾幕シューティングゲームに登場する人形遣いのコスプレの衣装といくつかの人形、“文化祭の日程表”という題名がつけらえれた冊子だ。
彼女が頭を抱えている原因は主にそれらであり、それらを持つ状況を作り出した周りである。
月花“有栖”という名前。いわゆる、キラキラネームと呼ばれている分類に片足を突っ込んでいるこの名前こそが問題の発端なのである。
小学生の時に青いエプロンドレスを着てアリス役をやれた時はうれしかったが、今考えてみると名前だけでアリス役に決まるというのはいかがなものだろうか……そんな悪夢が今まさによみがえっているのだ。
文化祭でクラスみんなで踊ろうというところまではよかった。
それが某弾幕シューティングゲームのBGMを原曲としたアレンジというのもまだいいだろう。しかし、名前だけでセンター……しかも、同じ名前のキャラのコスプレをしろというのはいかがなものだろうか?
周りからすれば、有栖がアリスのコスプレをしてセンターに立つというギャグぐらいにしか考えていないのかもしれないが、極度の人見知りである有栖には拷問以外の何物でもない。そもそも、クラス全員でなんて言う企画がなければ、ステージになど上がらずに適当に空き教室に居座って、文化祭が終わるのを待つつもりでいたぐらいだ。
しかし、ふたを開けてみればみんなで歌って踊ると言い出し、自分の意見など完全無視で名前だけでセンターだ。どう考えてもおかしい。
「はぁ……どうしよう……」
気が付けば、衣装まで用意され、練習にも参加させられ、明日は当日だ。練習の時は周りにいるのはクラスの人間だけだったが、本番となると話が変わってくる。一番の違いとして、たくさんのギャラリーがいる。それが問題なのだ。
「今からでもいいから文化祭中止にならないかな……ならないよな……」
そのあとも、十分ほどぶつぶつと恨み言をつぶやき続け、ようやく有栖は立ち上がる。
「……よし! 明日腹痛になって休もう!」
ただ、仮病はよくない。
そう考えて、有栖はコンビニの中に入り、大量のアイスを買い占める。
「ありがとうございましたー」
やる気のなさそうな店員のあいさつを背に有栖は大量のアイスをもって町を歩く。
いくら夏とはいえ、袋いっぱいのアイスとコスプレ衣装を持って歩いていたら目立って仕方ないと思うのだが、今の有栖はその事実に気づかない。そのぐらいには彼女は上機嫌だった。
だからこそ、彼女は気が付かない。周りの風景が、人々が、文化が、空気が、そして世界が徐々に変化を遂げていることに気が付けなかった。
彼女がこの事実に気が付くのはもう少し後のことだ。
*
私はコンビニから自宅に向けて、商店街を歩いていたはずだ。
正直なところ、そろそろ自宅につくかと思っていのだが、全くそういった気配がない。というよりも、いつの間にか自分が知っている町ではなくなっている。
ただ、それだけなら道を間違えたで済むかもしれないが、見る限りそのレベルの変化ではない。
アスファルトで舗装されていた道は石畳に代わり、ごちゃごちゃとした鉄筋コンクリート造りの街並みが統一されたレンガ造りの街並みへと変化しているのだ。
それに合わせてなのか、待ちゆく人々も変化しており、会社員や学生、警察官といったごくごくありふれたものから、行商人風の男に大きな荷物を抱えた旅人、挙句の果てには狐のような耳を持った獣人や耳の長いエルフが町を歩いている始末だ。これはどう考えても異常である。
そろそろ、道を聞いた方がいいのではないだろうか?
そんな考えが頭をよぎる。
しかし、しかしだ。それにはいくつかの問題が浮かび上がる。
まず、これほどの変化が起きているのだから、言葉が通じるとは限らないという点だ。言葉が通じなければ、いくら話しかけても現在地の把握などできないし、そもそも、こちらの意図を伝えることができない。
次に月花有栖は極度の人見知りである。知らない人に話しかけるなどということはそう簡単にはできそうにない。
しかし、現在地を把握しないと行動すら起こせない。
意を決した有栖は偶然目の前を通りかかった旅人に声をかける。
「…………あっあの……」
しかし、声が小さすぎるせいかその声が旅人に届くことはない。
その後も似たような行動を繰り返すが、誰も立ち止まってはくれない。挙句の果てには町の人たちに避けられるようにすらなってしまった。
どうやら、何かを間違ってしまったらしい。
「……お嬢ちゃん。何かお困りかな?」
有栖が初老の男性に声をかけられたのはちょうどそんな時だった。
「あの……実はその道に迷って……」
相手がどんな人物かわからないが、これは千載一遇のチャンスだ。
そう見た、有栖は小さい声ながら、ゆっくりと状況を説明する。
ところどころ、男性が首をかしげる場面があったが、なんとか状況の説明を終える。
一通り話を聞き終えた男性は小さく頷いてから口を開いた。
「なるほど。とりあえず、ついてきなさい」
交番にでも連れていってもらえるのだろうか? はたまた、場所を変えてなにか教えてもらえるのか、もしくはもっと別の用件か……得たいの知れない男性を前にして、有栖は大いに警戒しながら、少し離れてその背中を追いかけ始めた。