第06話 初めての夢
鉛色の空が覆う見渡す限りの荒野。
そこに一人の青年が立っている。
おれはその青年を後ろから見ていた。黒い革服に黒い髪。顔も分からないのに、彼がまだ若い青年だということをおれは知っていた。
青年の先に、もう一人男が立っている。
男の姿を注視しようとすると、脳に靄がかかったような違和感を覚えた。
確かに男がそこにいるはずなのに、おれはその男をしっかりと視ることができない。
二人は対峙したまま互いに視線をぶつけている。
風が吹き、砂埃が舞った。
数秒の時が過ぎる。
やがて青年が動いた。
音速を超える速度で正面へ跳ぶ。
対する男もまた同じ速度、いやそれ以上の速度で跳んだ。
中央で二つの影が衝突する。
行き場を失った二つの力が爆発し波状に広がる。
その爆発の中央。
青年と男は、お互いの拳の先を突き合わせていた。二人の構えは鏡に映したように酷似していた。
青年が打撃を繰り出した。
男はその全ての打撃を防ぎ、躱し、捌く。
青年は上半身だけを左側へぐいと倒す。
奇妙で不自然な体勢だった。
下半身は残し、上半身だけが地面と水平になっている。
――だが。
これが青年の修めている流派の極意である。肉体の軸を折り曲げるという発想。この動きが攻撃のバリエーションを増やし、無限とも言えるコンビネーションを生み出す。
青年はその不自然な体勢から、足刀を繰り出した。
初動の見えない喉元への蹴り。
――男は難なくそれを躱す。
相手が人間であったなら、間違いなく打ち込まれていただろう。
だが男は人外、人の理の外側の存在だった。
人の姿形こそしているものの、全く別の生き物。人間とは出自から異なっている。
男はその場に立ったまま、右の掌を青年へ向けた。
男が小さく何かを呟いた。
その直後、青年の体が凄まじい勢いで後方へ吹き飛んだ。まるで姿の見えぬ巨神が拳を振りぬいたような、強烈な衝撃だった。青年は全身を打ちながら荒野を転がっていく。
青年はよたよたと立ち上がった。
が、口から血液を吐くと、彼はふらりと後ろへ倒れ、尻もちをついた。
いつの間にか男が青年の傍まで近づいていた。
「なぜ立ち向かった。勝てないことは分かっていたはずだ」
青年は答えない。いや、答えられないのだろうか。
「無意味だと思わなかったのか? いや、無意味だと思っていたはずだ。なのになぜ闘う。立ち上がろうとする」
敗者への哀れみも、蔑みも、勝利への安堵も、罪悪感も。
この男は何も感じていない――。
「……。分から、ないか?」
青年が呟いた。
弱々しい声に、空気の漏れるような音が混じっていた。
「まさか自己犠牲だとでも?」
青年の頭がぴくりと揺れた。
「自己犠牲の精神は認めよう。だが貴様の行動は無意味だと言わざるをえない。先ほどの攻撃に何の意味があった? 人間はしばしば不思議な行動を取る。無意味だと知りながらも、無意味な行動を取る。――私はその理由を知りたい。それこそが私の目的なのだから」
しばしの沈黙があった。
「……。なあ、どうしても教えてほしい? そんなに教えてほしいわけ?」
青年が不敵に笑った。
「じゃあおれがたった一つだけ、真実を教えてやるよ。よーく聞いておけよ。途中で遮るなよ」
青年の声はあまりにもか細い。
なのにそれは生命力に溢れているように聞こえた。
「魔を司る神オロガレスよ。人を司る神サニウレスよ。我の血肉を捧げよう。我の魂を捧げよう」
――瞬間、男は青年の肉体を切り裂いた。否、千切り飛ばした。
四肢が飛び、下腹部がねじ切れる。だが青年は詠唱に必要な部位だけは生命力を燃やし防御していた。
「偉大なる汝らの力を以て、今ここに原初の混沌を顕現せよ――ジャッジメント」
青年の体が赤く燃えるように光りを帯び始めた。
「はは、これは無意味でもなかったな」
「貴様……、謀ったな」
「まあな。でも教えてやるよ。最期だしな。……いいか。よく聞けよ。たった一つの真実。それはな――」
――青年の身体が世界と同化する。
赤の輝きがその場に満ちていく――。
浮上感とともに、おれはうっすらと目を開いた。
天井が見える。
何か夢を見た気がする。
だが夢の内容は忘れてしまった。
あれ?
ここ、どこだ。
頭が重い。
体に気だるさがある。まるで全身が鉛になったようだ。
どうもおれはベッドに眠っているらしい。毛布が胸まで掛けられていた。
上体を起こす。
質素だが清潔感のある小さな部屋だ。
右手には窓がある。深い赤色のカーテンが掛けられている。
左奥に扉がある。扉の前に人が立っていた。